Silver linings

カリフォルニアで子育てとか仕事とか。

1枚目

2008-01-31 22:11:28 | 日常
みぞれ降る冷たい日。
午前中、京都市内で仕事。8時40分の約束、少し早めにいってカフェでコーヒーを飲んで待つ。いつも車通勤で、自分の足でアスファルトをカツカツ歩くということがないので、朝のひとときなんか新鮮だった。

京都のだいぶ北まであがると、地下鉄を降りたら気温が低くて驚く。市内、南と北で気候が違うよね。

仕事後、学生時代からお気に入りの洋食屋さんHasegawa(北大路の賀茂川沿い、おすすめ!)でかけこみランチ。

その後、本当なら直帰できるとかなり楽なのだが、そんなわけにもいかず、自分の家を通りすぎて、京都府南端のオフィスに戻る。
で、いま帰りの電車。

気付いたら、今日で1月が終わりなんだね。はやいよー。
一日、一日、過ぎていくよ。
家に帰ったら、カレンダー、ビリッとやろう。
2008年、1枚目。

夜中の着信

2008-01-30 01:07:17 | 日常
昨夜、夜中の1時過ぎに母親から着信があった。
気がついたのが深夜2時をまわっていたのだが、こんな時間にかけてくるなんておかしい。
不吉な予感がして夜中だったけどかけ直した。

(なにかあったのかな)

(つい昨日まで実家にいたけど、なんも変わったことなかったけどな)

(事故かな) 

なにかの間違いだと思いながら、ハラハラと呼び出し音を待つ。

「…はー・・・もしもし」電話に出た母の声は力なく。
わたしはすぐに「もしもし?わたしっ!なにかあったの?」
「あぁ」
「なにっ!」

「いちろうがね・・・」

一郎? いちろう? 
どこのおじいさん???








「さっきイチローがテレビに出てたよ」


そんなことかい!!!びっくりさせないでよー!!!
心臓に悪いよ。夜中に起こしちゃってごめんだけどさぁ。あー、びっくりした。

しかしイチロー(NHKのやつ)、観たかった。
※お正月の「プロフェッショナル」イチローの特番見逃しちゃった、という話を実家で母としてたので、わざわざ電話くれたようです。いつも事務連絡以外ほとんど電話しないので、ほんとびっくり。

最近観た映画の感想

2008-01-29 00:05:07 | エイガ、DVD

「4分間のピアニスト」
冒頭から「あ、なにか美しくも壮絶な物語が始まるな」という予感をさせる映像。
ピアノの映画が好きなのです。だからなんでもピアノに関係する映画は見に行っちゃう。この「4分間のピアニスト」は、ドイツ映画。しかも刑務所の中のお話。主人公はその刑務所で服役中の天才ピアニスト。

主人公ジェニーの表情の変化がすごい。ピアノ弾いているときの優しい少女の表情と、キレた時の表情が、紙一重ではらはらする。それと、彼女の背中。演技してます。なにか人生で拭いきれないものを背負っている、という背中をしてます。全体的に静かな雰囲気、でもちょっと暗く、重い。なのに、ガラスのようにもろい、かと思うと荒波のように激しかったりする。

ピアノの映画って美しい音色で魅了するのかなと思ったけど、これは違ったな。もちろん、すばらしい演奏も聴けるけれど、最後のピアノの演奏、魂を削るような荒々しい音。なにかものすごい迫力でメッセージが突きつけられている感じで、観終わったらなんだかつかれてしまったよ…。

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「アース」
公開初日に観に行きました。
高校生のとき、作文に書いたことがあります。「地球に優しく」という表現がきらいだと。この表現は地球より人間が上位であるという前提にたっているようで嫌いだった。今回映画を観て久しぶりにそのことを思い出した。地球が私たちに優しかったのだよね。

大画面で見たら圧倒されるシーンばかり。自然の風景はもちろんのこと、野生動物たちにも感動しました。当たり前のように家族(あるいは仲間)がよりそう姿、生きるために苦しくても何千キロも移動する者たち、仲間がくじけたら励ます姿、誰に教わるでもなく一人立ちしてゆく姿、求愛行動、子育て、、、人間が勝手にそこにドラマを見出そうとしているだけなのかもしれないけれど、動物たちのふつうの営みに心打たれました。なんかね、最近さ、つくりものじゃない、ホンモノの自然なことにすごく感動するんだよね。

観終わった次の日、4人の人にこの映画のことを話したらみんなが「絶対観に行こう」と言ってくれました。話すこと、話題にすることがこの映画を観た人のミッションかなとも思います。地球温暖化なんてみんな知ってることだけれど、熱帯に住むあの美しい鳥のこと、あたたかい海の中で満ちあふれている生命の大合唱、知らないこと、見たことないものもたくさんあったよ。

劇場にこども達がたくさんいましたが、親子で対話をしながら観てほしい映画だなと思います。

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「いのちの食べかた」
これもドキュメンタリーです。私たちの食卓にならぶ、お肉や野菜、卵、魚がどのような生産過程を経ているか、きちんと見せてくれます。なんとなーく分かっていましたが、実際に牛や豚の加工現場をまざまざと見るのはショックです。1時間半、まったく解説なし。解説なくとも、映像がパワフル。ただ淡々と現実を描写します。
大量生産、人工生産、いかに効率よく、いかに機械的に殺すか、、、すべてを機械で行うわけではなく、やはり人の手が介在します。しかしそこで働く人々も、機械の1コマとなっています。牛や豚、鶏は、生き物ではなく、無造作に扱われるプロダクトです。いのちの食べかたなんていうけれど、いのちの尊厳も何もない。でも自分が毎日ふつうに食べているものです。なんだか言いようのない嫌悪感を覚えます。
ベルトコンベアで流れていくひよこ、雄叫びをあげる子豚、殺される気配を感じているのかいないのか脅える雄牛。

「アース」を見て、弱肉強食の食物連鎖は自然の摂理だと思ったけれど、人間こそなんでも食べてしまう異質な存在だよね。これからは食べ物に感謝をしていただこう、とかそういう気にもならない。繁殖行為も人工的、生まれてから死ぬまで狭いところに入れられて機械的に加工される牛や豚、私たち、そんなの食べてたんだ。
…考えさせられます。

同窓会にて教え子に再会!

2008-01-28 23:18:01 | 日常
実家に帰り、同窓会に行きました。
群馬県で教師をしていた頃の、教え子たちです。今は22~23歳になっています。

私を含めて18人、3年12組の同窓会。
看護系、福祉系へ進路をとる子たちが多かったクラス。
2年前の同窓会では、まだ誰1人、看護士になっている者はいなかった。あのとき「国家試験の勉強たいへーん」とかなんとか言っていた彼女たち、今は3人が無事に看護士さん。それ以外の看護士志望者たちも、准看護士から正看護士へと勉強を続けている様子。福祉施設へ勤めている子たちもがんばって続いているようだ。

「へぇ~、K岡が注射?」
「え、S山が福祉施設の立ち上げメンバーに?」
「遅刻の女王S原が美容師になって毎朝埼玉まで通勤してるの?」
「K林がお母さんになってる!」

ほんと、感慨深いものです。病院にいって、教え子が注射担当だったらちょっぴり怖いわ、笑。
そんなことを言ったらかなり怒ってたけれど。

どこが中心ということもなく、あちこちで話の輪が咲く。誰かが仕切ることもなく、自動運転モードで一人一人がその場を楽しんでいる、そういうのが12組の特徴。それでも、全員がきちんと話しに来て、近況を聞くことができ、お互いに喜びあったり、励ましあったり。辛い時期でも会いに来てくれた子がいたのが、嬉しかった。なかなか、そういう時期にはクラス会って足が遠のくよね…。ありがとね。ひとりひとり見ていると、ふっと記憶がよみがえります。あ、この目つきにあの頃はさんざん苦労させられたものだ、とか、このキレやすさに私だって傷ついたさ、とか(笑)、この凛とした表情は私の心のオアシスだった、、、とか。

教師をしていた頃のあの期間は、私の中では揺るがない記憶となっています。
けれど、この夜に会ったのは、あの頃の出来事の記憶から飛び出た彼女たち。
今も、生々しい現在を生きる彼女たちです。

「あの3年間に出会った生徒たち」というふうに完結するはずがなく、
あの3年間の延長上に今もひとりひとり現在形として存在していることを実感しました。

おまけ:

深夜1時過ぎに残ったメンバーでプリクラなんて撮ってみたよ。
わーい、プリクラなんて何年ぶりよ♪

友達+赤ちゃん=幸せオーラ

2008-01-28 23:05:16 | 日常
1/26、実家にて高校時代の友達に会う。

久しぶりに会った彼女はとってもスレンダーな素敵なママに。
ランチの約束をしていたので、駅まで迎えに来てもらいました。ロータリーで彼女の車を見つけると、すぐに乗り込み、走り出した私たち。
しばらく車内でお互いの近況などいろいろキャッキャと話してたら、
「フガフガ…ングッグウ」と後部座席からなにやら声が。
ふと振り向いたら赤ちゃん!彼女の愛娘、さよちゃんです。
やだー、一緒に乗ってたの、知らなかった!!

あ~、びっくりした。

イタリアンレストランでランチ。
さよちゃん一緒で大丈夫かなあと思ったけれど、とってもおとなしくて、ぜんぜん泣かず。
ちょっと見てると、頭上にぶらさがったおもちゃを、ベビーカーの中で精一杯背伸びをしながらつかもうとしている。つかもうとしては、よけいにおもちゃが手から逃れてブランブラン揺れる。それに夢中になって、何度も何度も同じことをして遊んでいました。すごいなぁ、もう自分の意志で手を伸ばしたりできるようになったんだね。遊んでいるというよりは、何度もそれをくりかえして、手の感覚やモノをつかむという行為を、学習しているのです。こういうことって、留学中に「発達」の授業で習ったけど、親友のこどもが実際そうしてるのを見ると感慨深いものです。

おもちゃ遊びをやめたかと思うと、ランチの間じゅう、さよちゃんは時折私のことをじーっと見つめる。お母さんとは違う人がいるから、それがどういう人なのか確かめようとしている感じ。これは、離れていてもお母さんが誰であるか、お母さんのシルエットや顔をもうすでにしっかり認識しているということ。最初は声や匂いで自分の母親を認識するのですが、離れていても、ちゃんと分かってるのね。ベビーカーの中から、私をじっと見つめた後に、横に座っている彼女のこともじっと見つめて、「うんうん、これが私のお母さん」となじみのある形、姿を確かめているようでした。

愛らしいなぁ。

至極自然なことだけれど、彼女とさよちゃんの間にある、見えないけれど力強いつながりをとてもあたたかいものだと感じました。そうだよねぇ、この子は彼女の身体の中から出てきたのだものね。そして出たら出たで、母乳をもらわないと生きていけないのだものね。母と子の絆はなにものもおかすことのできない、とっても神秘的なもの。そんな自然でとても当たり前なことだけれど、あらためてその営みに感動してしまうよ。

30代でこどもを産むといろんな意味で落ち着いていて、子育てにも余裕が出るのだ、と彼女が言っていた。初めて母親になった彼女は、雰囲気がすこし変わった。なんだか母子ともに、本当に落ち着いていて、一緒にいるこっちまでその幸せなオーラを分けてもらった感じだった。アリガトウ。

育休が終わったらまた職場に戻る彼女。今のこの幸せな時間を思う存分、満喫してほしいな。
赤ちゃんて赤ちゃんの匂いがするよね。
くんくん、くんくん、と赤ちゃんの匂いに癒されながら、まったり土曜の午後は過ぎていきました。


群馬では空が大きいよー。

2008-01-26 10:12:39

2008-01-26 10:12:39 | 日常
昨日は朝、小学校へ行って、大学生が行うワークショップ型の授業のサポートにいった。
みんな、よい顔をしていた。教室のなかに中心がなくて、前、後ろという概念もなくて、ただグループ活動の輪があちこちにあって、それぞれの集中力がよい空気感をうみだしていた。「つくる」という活動はいいなぁ。

夜、「秋篠の森」へディナーへ。自然食で癒された。一週間、無事終わる。

週末は用事のため実家に帰る。いま新幹線、もうすぐ東京。

プリンシプル

2008-01-24 01:02:54 | 以前のシゴト
だいぶ前に仕事でお世話になったS先生に再会。夜、みんなで飲みに行った。

アメリカに最近できた、とある高等教育機関に視察に行ってきたばかりという先生。今日はそのお話を聞けると思って楽しみにしていた。ところが報告は、コンセプトやビジョンはかっこいいが、その学校はまだまだ軌道に乗っていないようで現場の人間はとても苦労している、出口を模索している、という内容だった。

仕事で参考にしたいことだったので、アメリカの成功事例があればなにか学べるものがあるのでは?と思っていた私にとっては、
「なーんだ。うまくいってないのか。」
あからさまに、がっくり。

するとその先生が、「どうして?」
「いや、かくかくしかじかのプロジェクトの参考にしたいと思ってたんです。」というと、
それを聞いた先生があきれたように、

「あのね、うまくいっていない今だからこそ、見にいって一緒に考えるんだよ。」

「どこどこでなになにが成功しているといっては美味しいところだけ見にいって取ってこようとする。そういうの、もうやめたほうがいいね。日本の企業はみんなそういうことをしがちだけれど。そのコンセプトに共感するなら、模索している今だからこそ見に行ってどういうところが難しいのか、何が問題なのか、どうしたら解決できるのか、一緒に考える。軌道に乗るまで外で待ってて、いろいろなことが整った後に中に入って見に行ったって、もう得られるものはなにも残ってやしないよ。学べるのは模索していろんなことを試している今なんだよ。」

そうだな。

この人はいつも「座って考えるより、立って表現しなさい」という。
それはいろいろな意味があって、自ら動きなさい、actしなさい、表現しなさい、行動しなさい、、、etc.ということだ。今夜もそんなプリンシプルを教わった気がした。

感謝。

ヨガ初体験

2008-01-22 22:36:56 | 日常
さ・む・い!!
こんなときは石油ストーブが大活躍です。部屋狭いので電気ストーブで十分なのだが、寒い日は石油ストーブをつける。
利点はやかんがかけられること。蒸気も出るし、いつでも熱いお茶が飲める。うれしい。
今週どうも代休とれなさそう。カレンダーを見ながらちょっとため息。

以下はちょっと前に書いたもの。
時間があいてしまったが、記念すべきヨガ初体験をしたので載せておきます。

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・1/14の日記
前に「やってみたら?」と勧められて以来、ずーっと機会を逃していたヨガ。

ニューヨークにいたとき、Anaがスウェットの上にコートを着て、丸めたヨガマットを肩にかけ、さっそうとヨガクラスへ行こうとする姿に「私も行くー!」ガバッと起きてくっついていったのです。
ところが。
行ってみて分かったのですが、その日はたまたまお目当てのレッスンが休講!他のクラスもすべて終了ー。


くー。
入り口だけでも写真に撮る。

でもその「空振り」経験は、
「京都に帰ったら絶対ヨガやるぞー!」
と、よけいに私のヨガ熱をメラメラと燃やしてくれました。
そう、ニューヨークでは種火をもらってきたわけです。

それで。
連休中に、行ってきました。ヨガのクラス!
正直、どこのクラスがいいのかわからなかったのですが、直感で決めた。賀茂川沿いに建つヨガスタジオ。


受けたのは初心者コースというVinyasaクラス。
ヨガって、ヒーリング、癒し、リラックス、、、という穏やかなイメージしかなかったのですが、大間違い。私が受けたクラスは90分間ひたすら有酸素運動!筋肉つかうつかう。休むヒマなし。すごくハードでした。ポーズもアクロバティックで、体固くてぜんぜん美しく決まらない。日頃使わない筋肉を使い、普段伸ばさないところを伸ばし、普段曲げないところを曲げて、、、しかし、ハードながらも体が改善されていくようでこのうえなく気持ちよい。

格好はきまらないが、身体がぐにゃぐにゃとほぐれていく感覚がよかった。
みんなが美しく両手を床について、足をのばし、お尻を頂きとして三角形のポーズ(ダウンドッグのポーズ)していても、
私1人、





_| ̄|○




四角形だったりしたが。

それでも、とっても生きている感じがしたぞ。
ヨガ2回目が楽しみである。

濃い4日間

2008-01-21 23:19:51 | 以前のシゴト
月曜朝、再び多摩市から青山へ移動。青山では2つミーティングがあり、夜までかかるかと思ったが、早く終わって夕方前に東京を出ることができた。よかった、5時前だと新幹線もとても空いていて嬉しい。
京都着、7時。毎日、濃い出来事の連続だったので、京都に帰ってきてほっとした。

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木曜日から日曜夜まで4日間ずっと、アメリカからいらしていたある研究者の方のアテンドをしていました。(今見たらこの先生のことは3年前の日記にも書いてありました)その方は日本だけでなく、アジア、ヨーロッパ各国をまわっている途中で、まだまだアメリカに帰るまでにあと2週間旅を続けなければならないそう。
そんな折にぎっくり腰・・・!
まぁ本当に、時に見ていられないほどかわいそうでした。ゲストですから、会うたびいろいろな人に「体の調子はどう?」と聞かれ、症状はよくならないのに(or even getting worse)毎度同じことを笑顔で説明していた。とても我慢強い人だなと思った。

今回は通常以上のケアをしながらのアテンドだったので、なるべく動かなくて済むように、なるべく気疲れさせないように、スケジュールの管理、そしていつもそばにいて手足となることを心がけました。それはとても地味な仕事なようだけれど、そういった仕事から、なにかつながりが生まれてくるように思いました。もちろん、もともと上層部の方々とがっちり契約やら提携やらという会社や社会的ルールとしてはつながっているのですが、私のような現場レベルの人間がその研究者の人にベタ付きすることで普段的なつながりができたような気がしました。病院の待合室、タクシーの中、ホテルのロビー、毎日の昼食・ディナーなど、様々な場面を多く一緒に過ごさせたもらったおかげで、彼の研究の話や日常の苦労も聞けたし、現場の声、小学校や大学での実践報告など、私のほうからも色々なお話ができてとても幸運だった。

1/17(木)、国際交流会館でカンファレンス。合間をぬって病院へ。ランチでは国内のコラボレータの方とご一緒。今まで深く話したことはなかったが、とても気さくな方だと分かった。

1/18(金)、ランチミーティング。ご一緒した他社の人はみな帰国子女のような人ばかりで緊張。英語上手いな~。ずっとサピアタワーでカンファレンス。夕方、都内の小学校をともに見学。小学校実践は私にとっても参考になった。

1/19(土)、朝一で赤坂の病院へお連れする。薬を2週間分もらう。多摩へ移動。ランチミーティング。午後、私がずっと抱えていた出版プロジェクトについて、その研究者の人と、日本人研究者との対談を設定。いろいろディスカッションをしてもらったおかげで、かなり収穫があった。ムリをいって4時間も集中力のいる対談につきあって頂けて本当に感謝。

1/20(日)、こども達を交えて、私たちのワークショップ実践を見てもらえた。教育用ツールを開発している研究者なので、それがどういった文脈でつかわれているのかを見ることは彼にとってフィードバックのようなものでとても喜んでもらえた。保護者、プレスや、多くの見学者で会場はにぎやかだった。このワークショップを企画していた同僚にとって、思い入れのある回となった。それを知ってたので胸いっぱい。この日のことは忘れずにいよう。

コラボレーションという言葉は簡単なようで実行するのは実は難しい。特に海外とのコラボレーションは難しい。でもそれがうまくいっているかどうか、見極めるのはとてもシンプルで、どれほど時間が経っても「お互いがお互いから学びあうことがまだあるかどうか」ということなのだ。そういう意味で、その研究者の人もたくさんのことを学んだと言ってくださってよかった。コラボレーションって、ギブアンドテイクが成り立ってこそ、なのだ。忘れちゃいけない、大切なことだ。

日曜夜、お別れの場面は、私たち日本のスタッフへの励ましの言葉と、お礼の言葉と、これからもお互いに学びあいましょうというあたたかい言葉で締めくくられた。その人がハイヤーに乗り込む寸前、最後に私に対してお礼の言葉を言いに来てくださった。びっくりした。とても背の高い人なのだが、背の小さい私に合わせて腰イタイのに背中をかがめてお話しくださった。春から迎える大きなトランジション、私にとってちょっと難しい時期となることなど丁寧に話してくれて(実は人の異動で大きな変化がある)、「でもがんばるんだよ、助けるからね、何かいい解決策を一緒に見つけていこう」と心の底からのあたたかい言葉をかけてくれた。最初は笑顔でバイバイを言って送り出そうと思っていたのに、(いい意味で)話が長かったので感動してしまって、スマイルが持たなくて最後のほうは泣きそうになるのをこらえつつ、ビッグハグと、歪んだ笑顔でお別れをした。

3年前の日記にこう書いていた。
>この先生はプレイと学びをすごく近いものとして結びつけていて、
>どちらも「模索すること」「いろいろ実験してみること」「境界線を試すこと」なのだと言った後、
>「それはそのまま私の人生に対するアプローチ(the approach to life)なのです」と言った。
>かっこいいねぇ~。


この4日間でその人自身からそれを強く学ぶことができた。

何が起こるかなんて、わからないのだ。
自分の人生がまわりの人のことで影響を受ける場合もある。それは予測のつかないこと。それでも、日々生成されるさまざまな出来事を、どうつなげていくか。それはいつも私の課題。バラバラになったようでも、散らばっているようでも、それでも「きっと何か方法があるはずだ」と考え、何らかの文脈をつくってつなげていくこと。そのために、模索し、いろいろ試していく姿勢を忘れずにいたいものだ。