Silver linings

カリフォルニアで子育てとか仕事とか。

日本の免許/カリフォルニアの免許

2014-04-27 13:07:50 | 日本への帰省
運転免許センターでほぼまる一日を費やしましたが、その甲斐あって、失効していた日本の免許を取り戻すことができました。これはひとえにカリフォルニアの免許と以前に日本の免許を取ったことがあるという経歴のおかげ。それらがなかったら講習や超難関と言われている実技試験などが必要になり、一日では終わらなかったでしょう。

だって免許センターにはトータルで18人の外国人が自分の国の免許を日本の免許に切り替えるためにちょっとした実技試験を受けに来ていましたが、受かったのはたった1人でした。厳しいんだね、実技試験。「私、これで6回目」という外国おばさんもいました。普通に運転できるのに、チェックがとても厳しいんだって。

それから、私は今が平成何年なのかまっっったく想像がつかず、20年ぐらいかな?と思っていたのに平成26年と知ってだいぶ驚きました。

ともあれ、じゃーん!

久しぶりの日本の免許!
私かつてはゴールド免許だったのに、またまたふりだし緑の帯に戻ってしまいました。これって「初心者」という意味よね?まぁ、アメリカの道は広いから誰でも運転できるけど、日本の道を運転するのは確かにハードル高いから初心者でじゅうぶんだけど。次の期限は平成28年の12/11まで。忘れないようにしないと!


ちなみにこれがカリフォルニアでの免許。今のと過去の合わせて2枚ありますが、写真の規格とかだいぶいいかげんでしょう?顔のサイズが違いすぎるし、写真とるとき「はい、スマイル~」って言われたので、全快スマイルで写ってしまっています。あとは、髪の色、目の色、身長、体重まで記載されてるんですよね(写真では加工して見えなくしてるけど)。

おっと、カリフォルニアのは有効期限が今年の誕生日だ。今度はこっちを忘れそう、、、。


この日のランチは父と免許センター近くの居酒屋風レストランでホッケの開き定食を食べました。日本で食べるもの、なんでも「おいしい!」しあわせです。しかもこれで680円ぐらいだったような。やっすいなー。


父はカキフライ定食を食べていたかな?

まる一日かかったけど、たった一日で済んでよかったとも言える。これで晴れて日本での運転が可能になりました。この日、とても風が強くて、びゅーーーーびゅーーーーとひたすら耳元で冷たい風の音。群馬県の風物詩(?)ともいえる上州からっ風をこれまた何年ぶりかで体感する日でした。

5年ぶりに実家へ

2014-04-26 16:33:40 | 日本への帰省
日本滞在記がつづきます。
5年ぶりに実家に着いたけれど、何となく数日間はカリフォルニアの自分の家が恋しくて落ちつかない感じでした。たぶんカリフォルニアの家は今の自分の毎日がつまっていて忙しくしてるけど、5年ぶりの実家では何となく手持ち無沙汰でなんだかお客さん気分になってしまったんだろうな。

それに実家の家は築30年以上経っていて、昔は家族四人で住んでた家に今は父と母がふたりで暮らしているだけなので、いろいろと老朽化しているのが目立ちました。そして家族の30年以上の過去の品々がだいぶ場所をとっていて、部屋がひとつ物置に使われてたり、私の高校、大学、留学時代のいろんな思い出のかけら(ガラクタ?)があちこちに。うぅ、、、立つ鳥あとをにごしてますね。ごめんなさい。

今度帰ってきたらゆっくり家の修理とか片づけに時間使いたいなー。


ほら、こういうのとか。壁紙がはがれたまま~。
これはすぐ直せるからなんてことないけど、お風呂場のタイルがひび割れてたりコーキングのカビがひどかったり、、、(どうしてこんなになるまで放っておく???)タイルの目地補修やコーキング打つくらいならできるけれど、たぶん床下にも水が入って土台の木まで侵食しているだろうからコトはそんなに簡単ではなく。他にもリビングルームの木の床がところどころ柔らかくなってて歩くとボゴボゴいったり。・・・リフォーム屋さんを呼びたい。

はー、ここに工房があればいいのに。

こういう時、手を伸ばせば木材や金属がふんだんにあって、それを加工する道具と機械が何でも揃っている自分の職場やコミュニティが恋しくなります。そういう環境にいてそれが当たり前だと思っていると、それがない環境に身をおいた時になんとも言えない無力さを感じます。「何でもできる/つくれる/直せる」そう思っていたのは、それなりの設備があってこそなんだなぁ。

だいたいから、ここでの私は資材を買いにいくにしても車の運転もできない(苦笑)。私の地元で車の運転できないと、本当になんにもできない無力な人です。

まずは、車の免許!
そう思って、アメリカにいるあいだに有効期限が切れてしまった車の免許を取り直すべく、翌日は免許センターへ行ったのでした

5年ぶりのお蕎麦

2014-04-19 23:58:54 | 日本への帰省
カリフォルニアに戻ってから、ぜんっぜん身体がついていけてません。母が帰り際に「疲れはこれから出るよ」と言ってくれてたのが身にしみます。この1週間は、時差ぼけが思った以上にひどくて夜眠れず、一日は大寝坊をして仕事を大幅に遅らせるなど、すったもんだでした。。

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日本滞在記の途中から:


兄の結婚式が行われていたホテル(水戸市)に2泊したのだけど、ホテルの朝食が海外帰りの者にとって本当に美味しく感じました。ごはん、納豆、焼き魚、たらこ、こんぶ、お漬け物と梅干し、湯葉のあんかけ、サラダ、お味噌汁、ヨーグルト、、、!

ひとつひとつ小鉢に入っていたり、こうして全部がお盆にのせられていたり、アメリカではぜったいに巡りあわないスタイルの朝食で、よい意味で逆カルチャーショック。日本にずっと暮らしていたらなんてことのない朝食かもしれないけど、久しぶりの日本での初めての朝ごはん。とてもおいしかった!両親と三人で、食後もゆっくりとコーヒーを飲んでくつろいで、幸せなひとときでした。

水戸市での結婚式の帰り。

つくば市にある兄達の新居へ寄って荷物をとどけました。水戸→つくばの移動は兄の車に乗り、あれやこれやと他愛ないいろんなことを話しました。そこで筑波はおそばが美味しいという情報を兄から聞いて急におそばが食べたくなる。

お寿司や天ぷら、うどんなど、おいしい日本食はカリフォルニアに数あれど、蕎麦だけはアメリカで「美味しい!」っていうのになかなか巡りあわないんだよねぇ。


ということで、お昼ごはんは「いちい」という筑波で評判なお蕎麦屋さんへ。
5年ぶりに食べたおそば。そば湯まで頂いて、ほんっとおいしかったー!
ズルズルっと音を立てて食べるのには抵抗があったのだけど、ここは日本ですから。
(フィリップが一緒じゃなくてよかった、とこういう時は思います。)

お蕎麦を食べたらやっと落ち着きました。
なにって、出発ギリギリまでこちらで仕事してて、サンフランシスコから11時間飛行機に乗って夕方6時に成田に着いてその日のうちに茨城県の水戸市へ移動して、翌日が結婚式だったのでなんだかずっとバタバタしていたのよね。このお蕎麦を食べて、「結婚式も無事終わったし、さー、実家へ帰るか!」となったのでした。

この春いちばん嬉しかったこと

2014-04-15 21:45:34 | 日本への帰省
帰国のいちばんの目的は兄の結婚式に参加することでした。

私がアメリカに引っ越してくる直前ひと月ほど兄のアパートで居候したことがありました。2009年は私にとって人生の大きな転換期で、その頃のブログは6ヶ月ほど空白。過渡期にいるときって、日々のブログなんて書けないね。決断とか勇気とか迷いとか、とにかく不安な時期だったから、そんな時に、それまでの自分の生活や人生といっさい関わりのない土地に兄の家があったことはとてもありがたかったのでした。

大人になってから一緒に生活する兄妹、というのもめずらしいかもしれないのだけど、先行き不安定な居候の身分のくせに、兄のことをすぐそばで見ていて「はやく誰かいい人見つけて結婚しないかなー」と思っていて、この先どんな人と結婚するのだろう~と心底楽しみにしていた。

あれから5年弱。

毎年、毎年、待てど暮らせど少しも良い便りがないし、兄本人に聞いてもそっけない返事がくるだけで、私も母もいつからか聞くことすらしないようになりました。

そんな矢先の朗報!


この春いちばん、なんて書いたけど、たぶん今年一番になるんだろう。

昨年末、「結婚するんだって」と母から第一報を聞いた時は、目の前がパッと明るくなって、兄の秘密主義ぶりに腹がたったりしたもののそんなの帳消しにするぐらい、本当に本当にうれしかった。もうね、帰国の3ヶ月前から、自分が5年ぶりに帰国することと、その帰国のいちばんの理由を思い起こすだけで、「にたにたにたにた~」、誰に何されても怒る気にならないくらい、超がつくほどご機嫌な日々が続いていたのでした。笑。

だから結婚式当日も、うちの家族はみな誰もが上機嫌。

素敵なお嫁さんと、幸せそうな兄。盛大なパーティよりも、身内だけのこじんまりとしたアットホームなあたたかい式。今まで疎遠気味だった親戚のおじちゃんおばちゃんも集まってくれて、小さい頃かわいがってもらった懐かしい記憶とのギャップを感じつつも、大人になった今の自分としていろんな話もできて、ほんとうにたのしかった。


叔母からのお下がりで 40年前に仕立てたというピンクの着物を着せてもらいました。
(私がピンクを着るなんてね。)

いい日でした。
これが一時帰国の第1日目でした。
なんだかもうだいぶ前のことのように感じるなぁー。 

もうすぐ終わっちゃうー

2014-04-10 22:54:21 | 日本への帰省
なんだか今日あたりから旅の終わりを意識し始めました。
5年ぶりの日本。
たのしいなぁ~。
でもあと金、土、日の3日で終わっちゃうんだなぁー。

はじめは17日間のお休みが嬉しくて「たっぷりあるぞ」「長いぞ!」と思っていたけど、本当にあっという間だった。これまで5年間日本に帰ってこなかった長~いブランクのせいか。どの時代の友人とも会いたかったけれど、結局連絡とれなくて会えずじまいという人たちもいて少し心残り。

まだまだ帰りたくない!っていうのが本音だけれど、一方で、足るを知れ!もう十分でしょ!と言ってる自分もいて心の中落ち着かないのだけど、結局は「またすぐに来られるよ」と言い聞かせて気持ちに決着をつけています。


3月28日、最初に出迎えてくれたのは成田空港の「おかえりなさい」
こんな言葉、忘れてた。とても心にしみました。

あ、日本を離れてて忘れていたことも多くて、多少は逆カルチャーショックもあったのよね。そうそう、最初の「ぎょっ!」は成田空港の和式トイレでした、笑。正直、5年も見ていなかったから、その存在をすっかり忘れてた。何も考えずにトイレのドアを開けて、足下に和式トイレがでーん!と。

あれには絶句したね。
少し外国人の気持ちがわかった気がしました、笑。
減少していると思うんだけど、まだまだあるんだねー、和式のトイレ。

そんなふうに始まった5年ぶりの日本トリップ。
少しずつリフレクションしていこうと思います。

地元の風景

2014-04-06 17:37:20 | 日本への帰省
地元の桜。


小学生の頃よく遊んだ神社。


写真とったのは5日ほど前、まだ満開ではなかったね。


これこれ。
こんなふうに、送電線とどこまでも広がる田んぼや畑をみると、
群馬に帰ってきたなぁと感じます。

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久しぶりの日本滞在も折り返し地点!
今日から京都にいます。泣くほど久しぶり。

思い出のカフェレストラン

2014-04-03 04:20:07 | 日本への帰省
昨日は眼科へいって少し診察をしてもらい、その後昔よく行った地元の美容室で髪を切りました。

「変わってないですねー!」
足を踏み入れるなりそんな歓迎のことば。その美容室へいっていたのはもう10年以上前なのに、私もその人の顔を見るなり「あ~、覚えてますよ!」とお返し。あの頃の担当美容師さんではないけれど(その方はもう辞められたそう)、当時から在籍しているスタッフが私を覚えていてくれて、その後髪を切っている間じゅうアメリカ話や地元の話で盛り上がりました。

そしてランチには、高校時代によく行った新幸堂(しんこうどう)というこじんまりとしたカフェレストランへ。


高校時代ここで土曜日のランチを友達と食べるのが楽しみだった。学校が終わると「ミスド?」「ちび太?」「じゃ新幸堂いく?」そんな会話がおきまり。もうあの頃あったミスドも、古いちび太というあんみつ屋(焼そば、ラーメンも)も、どちらもなくなってしまった。

聞けば今のマスターの一代前から続けけこられたそうで、もともとは和菓子屋さんだったのだそう。それで納得、名前がカフェレストランというより和菓子屋さんぽいものね。ともかくトータルで40年以上もここにお店を構えているそうで、その継続性というか「変わらなさ」には頭がさがる思い。

マスターもおかみさんも、当時のまま。
お昼時で混んでいて、カウンターに座っていた私達。
「高校生の時によく来たんですよ」と声をかけると、
「うん、覚えてるよ。変わってない!」と驚きのことば。

えぇ~!覚えてるって!?そんなに来てたんだったっけ?
さっきの美容室は10年前の話だけど、ここは20年ぐらい前の話なのに!!
びっくりしました。


高校時代とっても好きだった明太子グラタン。


母が食べたシーフードのパスタ。

お店の中は当時と変わっていなくて、カウンターの席、テーブルの席、電話機、配置やインテリアまで当時と同じものがたくさんあって、制服を着た自分と当時の友達をあたまのなかで思い浮かべてしまった。。

と同時に、昔の自分が好きだった場所が、20年近く経った今も同じ人達によって同じ場所にあるという事実を前に、あ~わたし地元に帰ってきたんだなぁと心底感じることができる。ありがたいね。もう私の人生の背景だよ、この場所も。


帰りにはこの新幸堂のケーキまでおみやげに。入り口のケーキのショーケース、当時のままです。ここは看板に「チーズケーキのお店」とうたっているほどでチーズケーキの種類が多い。

また帰ってきたら食べにこようっと。
これからもずっとずっとありますように。