Silver linings

カリフォルニアで子育てとか仕事とか。

ペルー、オリャンタインタンボに寄り道

2013-09-10 17:46:36 | ペルー
さて、マチュピチュからの帰り道。
改めて切符を取り直した列車はオリャンタインタンボ(Ollantaytambo)という舌をかみそうな名前の駅で終着*。ここは、マチュピチュ~クスコ間の約真ん中あたり。ここからはバスかタクシーで1時間半~2時間ほどかけてクスコまで帰ることになります。でもその前に町を散策。自分たちの大きな荷物(スーツケース)をどうしようかと思ったけれど、駅に無料預かり所がありました。

*なんでも近年観光客の増加に伴い、クスコ~マチュピチュ間の列車数が増発されたのですが、すべての列車がクスコから発着しているわけではないのね。中間地点の駅の活性化をはかっているのか、マチュピチュ~オリャンタインタンボ間の列車本数のほうが圧倒的に多く(~クスコ間の3倍ぐらいの本数走ってる)、チケットも取りやすいのです。


オリャンタインタンボの駅、青い列車が今降りたばかりの Peru Rail.
オリャンタインタンボはインカの聖なる谷(Sacred Valley)に位置する小さな町。


山の谷間にお土産物屋さん。バックには山肌。
なんだかね~、時間がとまったような町だったわ。すごく静か。


マチュピチュで見たうっそうとしたジャングルのような山々と違って、ここはすべてがからからに乾いてる印象。


こちらの行商のおばちゃん達。荷物を大きな織物に包んで身体にぎゅっと巻いて運びます。赤ちゃんまでくるまってる。


オリャンタインタンボは昔ながらのインカの家々が今も現在形で残る町。


町からすぐの山々に遺跡が見えます。
マチュピチュで2日たっぷり遺跡を見学した後だったので私達は登らなかったけれど。


のどか~。


ぶらぶらして駅までの道のりを戻る。

さてクスコまで戻らないと。
ここからクスコ行きのバスは1日3本ぐらいしか出ておらず。
次のバスまで3時間ぐらい時間があったので、迷わずタクシーを選択。

タクシー業者は駅のまわりにたくさんいるので、大きな荷物もってぽつんとしていると瞬く間にお兄さん達が寄ってきて「クスコ?」「タクシー??」と攻めてきます。値段を聞くと、US$20、安いなー。たぶん多めの金額を言ってるんだと思うんだけど、それでも私達の感覚からすると安い。タクシーで1時間半走って 20ドルって。しかもクスコ市内のホテルまで送ってくれる。

タクシーの写真はとらなかったけれど、トヨタの小型乗用車。窓の開け閉めが手動だけど、まだ新車って感じで乗り心地よし。運転手のお兄ちゃんはビュンビュン飛ばします。信号もない田舎道をクスコめざして爆走していました。


道中、見晴らしのよい高台にきたとき車を停めて「フォト?」というので写真を一枚取りました。

せこかったのはこのお兄さん、料金交渉の時は US$20って言ったのに、クスコ市内で渋滞にはまってホテルまでたどり着くのに手間どりイライラしたのか、車をおりたら US$25 を請求してきました。ペルーではタクシーにメーターがついてないので、値段交渉は乗る前にみな済ませるのですが、乗っちゃってから5ドルプラスってあなた、、、と思ったけれど、「ま、5ドルぐらいいいか」とこちらも怒る気にならずすんなりあげました。

あ、そうペルーではドル札がけっこう使えます。もうこの頃には両替したペルーソルが手持ちになかったので、ドルで払ってばかり。ただし、お札が破れてたりくたびれてたりすると受け取ってくれません。 「ブロークン(壊れてる)」とか言われて突き返されます。アメリカではくたびれたお札だって立派なお金なのにー、じゅうぶん使えるのにー!!と反論しても、他のきれいなお札をよこせと言われるのです(どこへ行ってもそうなの)。。幸いなことに母が日本で両替したきれいなドル札を持っていたので助かったけれど。

やれやれ、、、でようやくクスコのホテルに到着。

ペルー、マチュピチュを去る

2013-09-09 22:55:25 | ペルー
私と母はマチュピチュ村でのホテルは3泊分とっていたのですが、来てみたらそんなに日数いらん!ということになり、3泊目は切り捨ててクスコへ一日早く帰ることに。マチュピチュ遺跡は2日あれば十分堪能できます。入場料も毎日かかるしね。

私達のマチュピチュ遺跡観光のしかた:
●1日目:
・クスコからマチュピチュ着(3時間)
・午後一でガイドさんを雇って遺跡全体を観光(2時間)
・「インカの橋」までちょっとしたハイキング(1時間半)


やっぱりここ、遺跡を一望できる場所から職場の Tシャツで記念撮影しといた。同僚との約束を果たす(笑)。

●2日目:
・朝からワイナピチュ登山(4時間)
・ランチはサンクチュアリロッジでビュッフェ(一人$40!ペルーでこの値段!高すぎだよ~)
・午後は「太陽の門」までインカトレイルをハイキング(3時間)


「太陽の門」って赤い矢印のところにあるんです。マチュピチュ遺跡から、インカ時代から続くインカ道を歩いて約1時間半ほど、でもひたすらゆっくりな上り坂なのでこれも体力必要。足下は石畳とは言え、かなりごつごつ&ごろごろなので常に足下を見ていないと転びます。





こんな感じでマチュピチュは思う存分楽しめました!
ちなみに、母が日本から持ってきていたこの雑誌がとても役に立ちました。


るるぶから出ているペルー情報雑誌です。
今回ペルーで会った日本人観光客の中にもこの雑誌を持っている方がけっこういましたよ。
特にマチュピチュ遺跡に関する記述が詳しくビジュアル的にもとても親切に書いてあるので助かりました。わざわざガイドさんを雇って遺跡を案内してもらったけれど、実はほとんどがこの雑誌に書いてあることだったなぁと後で気がついたり。要は、インカ帝国って字を持たない文化だった(記録を全く残していない)ので今でも「不明」なことが多いのね。逆に言うと、分かっていることが少ない=情報量が少ない、というか。

ともかくこの雑誌おすすめですよ。遺跡内の地図が特に助かります。

で、3日目はホテルでのんびりするとか、ふもとのマチュピチュ村を散策するとかでもよかったのですが、なんというか泊まっていたホテルが好きになれなくて(ネットとか夕食とか)、クスコ帰りたいな~ってなってた(笑)。この頃には私も仕事のことでサンフランシスコとやりとりしないといけないことがたまってきてて、ネットが必須だったの。

旅の予定はフレキシブルに~。

予定を早めた分のクスコのホテルを余分にとらないといけなかくなったので、マチュピチュからクスコでお世話になったホテルへ電話。
「1日早くクスコへ帰ることにしました。明日お部屋あいてますか。」
「1部屋だけ空いてますよー、どうぞどうぞ」
で直前予約が成立。
フロントのお姉さん英語がしっかり通じるので安心です。明日は一路クスコへ。

ペルー、マチュピチュでついにワイナピチュ登山!

2013-09-09 12:21:31 | ペルー
マチュピチュ2日目はワイナピチュ登山の日でした。
ワイナピチュ山とは、マチュピチュ遺跡の背後にそびえ立つ尖った山(写真では赤い矢印の山)。

「あんなそそり立ってる山、どうやって登るのー!?」が私の最初の感想。
でも登れるらしいです。
登山道の傾斜が急すぎて毎年何人か滑落事故に遭う人がいるらしいけれど、でも、登れるらしいです。それも一日限定 400人だけ(許可証チケットを事前に購入する必要あり)。

私はなんの前知識もなかったので行き当たりばったりでマチュピチュ村のツーリストインフォへいき、すんなりと翌日分のチケットを買うことができましたが、昨日のガイドさんに言わせると本来なら何ヶ月か前に予約して購入するほど人気なのだそう。へぇー、私達ラッキーだったのかな。母はマチュピチュに来たらぜひともこの山に登りたいと言っていたのでチケット購入の時点でアウトにならなくてよかったです(ほっ)。

「ワイナピチュ」はインカ民族の言葉ケチュア語で、young peak(若い峰)という意味なのだそう。それに対して「マチュピチュ」は old peak(老いた峰)という意味です。さて、一日限定 400人のみが登頂を許されるというワイナピチュ山。実は時間にも制限があって、最初の 200人は朝 7~8時の間に登山口ゲートに集合、あとの 200人は朝 9~10時の間に集合、ということになっていました。私達がとったチケットは最初の朝はやい組。ということで朝6時半にはホテルを出て、再びバスでマチュピチュ遺跡まで上がりました。


朝7時ごろのマチュピチュ遺跡。まだ人が数えるほどしかいない。
母と目の前に見えるワイナピチュ山を目指して歩く。まだ身体が起きてない感じ。


遺跡の広場を横切って指定のワイナピチュ登山口まで急ぎます。朝もやバックの遺跡もまた素敵。


そしてたどりついた登山口。まだ朝7時半前だったけれど、もうすでにこんなに人が並んで入山手続きを待っていました。リャマもお出迎えしてくれてました。


さぁいよいよ登っていきます。よく見ると、石の階段があるのがわかるでしょう?道が急すぎて、コースのほとんどが石積みの階段になっていました。


ときどきこんな崖を登るような感じのところもあり、手を使い足を使い登っていくのですが、脇にロープがついていたのでとても助かりました。厳しい傾斜ばかりなので軍手を持ってくればよかった、、、と少し後悔。素手でも大丈夫だけど手袋してたほうが心強いと思う。


心臓やぶりの崖道をはい上がること 3~40分。ワイナピチュ山のてっぺん付近に遺跡が見えてきました。今見ると母のリュックサックはずいぶんパンパンだなぁ、、、。(これからワイナピチュ山を登る人は荷物は少なく+すべらない軍手でいくことをオススメします。)

そして、、、だいぶ頂上に近いところ。
見晴らしが良すぎる!


ひゃっほう!
ここまでくると、左につづら折りのバス道、ハイラムビンガムロード。右にはマチュピチュ遺跡を見下ろせます。やったー、ついに登れたね。

前日までこの登山に恐れおののいていた私達。登山道がかなり険しく、入場者制限もあるし、毎年滑落事故が起きている危険な山だって聞いていたので。それに母は 66歳だし。私は私で登山靴は持ってこなかったし(ふつうのウォーキングシューズ)、、、大丈夫なのか??って。でも、登り始めて1時間ちょっとでようやく登頂!母の夢もかなったか。


私は職場の Tシャツきて記念撮影。
(エクスプロラトリアムの同僚の間でこの Tシャツを着て世界各地で写真を撮ってくる、というのが流行ってるの、笑)


ここが頂上です。頂上は大きな岩がごろごろしていて、ゆっくり立てるスペースがあまりないです。人もいっぱい!日本人の方も多かったです。やっぱり人気なんだなぁ。


頂上の岩に立って、遺跡と反対側を見下ろす。
落ちたらまっさかさまに下まで転げていきそう。

ワイナピチュ山の標高は 2570m そんなに高い山じゃないのね。でもとんがりすぎてて怖い!
帰りのほうがもっと怖いです。私はかなりゆっくり降りました。石段があるといっても段差が大きいのでそこをガンガン降りていったら膝にも相当負担がかかります。それに、石の幅がほんとうに小さくて私の足を乗せるのもやっとというような小さい階段たちもあって、ほんとに恐る恐るでした。手すりとなっているロープを上手に利用して、手で、足で、全身使って降りる感じ。

●入山時間 7:47
●下山時間 11:00


ワイナピチュの登山口のところで入山時に記帳した自分の名前の横に、無事に下山しましたのサインと時間を記入。山に入るには全員が名前、国籍、年齢まで書かないといけないんだけど、ざっと今日の登山者のページを見たところ女性ではなんと母が最高齢!(おめでとう?)、ひとり男性で 67歳という方がいましたが、ざっと見たところそもそも 60歳以上の方は少なかったです。

すごいすごい。私、自分がその歳になってもこんな登山できるかしら??少し不安。37歳の今だって登山は母のほうがペースが早いというのに、、、私ほんと体力ないわ。


下山してからあらためてワイナピチュ山を見る。よく登ったなぁ~の一言につきます。母とワイナピチュ山。

ペルー、マチュピチュ村のホテル

2013-09-09 10:00:54 | ペルー
マチュピチュ村(アグアスカリエンテ)には2泊しました。
泊まっていたホテル
Casa del Sol
608 Imperio de los Incas Avenue,
Aguas Calientes,
Peru


今回はきちんとベッド2つ。


ウルバンバ川沿いに建っていて、お部屋からも川が見渡せる。
といっても、石がごろごろしていて水の流れが見えなかったけれど。


朝食も夕食もついていて、清潔だし(→新しいホテルだから)至れり尽くせりなんだけど、、、
なぜかあまり好きになれないホテルでした。

なぜか、このホテル、あまりまだ板についていない感じがした。
まっさらな建物を新しくつくって、地元の若者を雇ってスタッフにしているけれど、、、なんというかこのホテル全体をプロデュースするプロデューサーが不在な印象。いろんなことがちぐはぐ。それはロビーに流れる音楽の選曲や(はるばるマチュピチュまで来てどっぷりインカ文化に浸りたい欧米や日本からの旅行者が Maroon5 聞きたいわけがないでしょう!)、音量(大きすぎる)、廊下や階段の電気の付け方(電気代を節約してるのか?旅行者が遺跡からホテルに帰ってくる時間なのに廊下と階段まっくら)、お食事に出されるお料理の冷たさ温かさ(熱いものは熱いうちに食べたい)、インターネット回線の安定性(部屋からネットが使えずパソコンもってロビーまで降りなければならなかった、すごく不便だった)、、、などなどはっきりと目には見えないんだけれど大事なものが欠如している感じで、こりゃだめだ、と思ってしまった。気持ち的にぜんぜんくつろげませんでした。予約時にネットで評判をチェックしたとき評価はとてもよかっただけに、残念でした。(だいたいから駅に出迎えにきてるはずだったのに駅についたときいなかったし。)



マチュピチュ村はなんというか群馬の温泉街に似てる。
ここは伊香保か水上か?そんな印象。

昔ながらのアグアスカリエンテ村としての面影が残る部分と、急ピッチで進められている観光客向けの建設と。今はまだ、それらが共存している感じだけれど。3~5年後ここに来たらまたずいぶん様子が違ってる気がするなぁ。

ペルー、マチュピチュ、インカの橋

2013-09-08 22:25:44 | ペルー
2時間たっぷりマチュピチュ遺跡を案内してくれたガイドさんに4人で合わせて 160ソル(5~6000円ぐらい)を払い、アメリカ人カップルともお別れしてあとは母と私の自由行動。ガイドさんに勧められたインカ・ブリッジ(インカの橋)へ行ってみることに。


遺跡から 30分ほどのハイキングです。道はインカ時代から続くインカトレイル(インカ道)。

このハイキング中にすれ違った人達 40人ほどいましたが、全員が日本の人でした!向こうから来る人、来る人みんながみんな日本語しゃべってるので、すれ違うたびに「こんにちは~」って挨拶をかわしてましたが、まるで日本でハイキング登山しているような気分になりました。日本からの団体旅行グループだったのでしょうか。


さぁ見えてきた、インカ橋。見えるかな?
あの真ん中のちょこっとかけてある橋、あれがインカ橋です。
遠目で見て、「なんだ、あれだけ?」と思ったものですが、この橋が断崖絶壁に沿ってかけられていること、橋を支えるインカ道もやはり断崖絶壁に沿い細かな石を積み上げてつくってあること、いやいやあっぱれです。


クローズアップ。
マチュピチュへ敵が攻めて来たときに、この橋の丸太を落とせば敵の侵入を防げるというしくみ。でも、こんな裏手から攻めて来る人たちはあまりいないだろうから、この道と橋は自分たちが逃げるための秘密の抜け道だったのかも。しかしこんな断崖絶壁に道をつくったりして(下は谷底まで 600m ほど)建設途中に命を落とした人もいたでしょうね。。


高所恐怖症のひとはこのハイキング辛そうだなぁ。
道幅が狭いし、万が一道から外れれば谷底まで落ちていくだろうし。帰り道は右手が山、左手が崖、という感じ。


谷底に見えるのは村。

往復1時間強ほどのハイキングで再び遺跡まで戻りました。その時点で時刻は4時近く。今日はもうそろそろ退散しようかということで、帰りのバスの列に並び下山しました。マチュピチュのおみやげ Tシャツにはろくなデザインがなかったけれど、バスに乗り合わせた欧米のおじさんの Tシャツのデザインがかっこよくて
"Machu Picchu
Where the mountains
meet the sky"
(マチュピチュ、山と空が出会う場所)
と書いてあった。
あれどこで買ったのかなぁー。
乗り合わせたときに聞けばよかった!
お土産屋さんをいろいろのぞいたけれど、結局さいごまで見つけられませんでした。

ペルー、いよいよマチュピチュそして石組みの技術!

2013-09-08 19:52:19 | ペルー
さて、ホテルに荷物を置いてのんびりしてもまだ午前11時ごろ。
私達がいるのはマチュピチュのふもとの村で、遺跡へ行くにはここから 30分ほどバスに乗る必要があります。ただ、個人旅行ゆえ、バスのチケットも、遺跡への入場チケットもまだ手に入れておらず。とりあえず、それらのチケットを買いに、村のツーリストインフォメーションへ行くことに。

・マチュピチュ遺跡までのバス料金 US$ 18.5
・マチュピチュ遺跡入場チケット Peru Sol 128 (US$ 46)
・マチュピチュ遺跡+ワイナピチュ登山チケット Peru Sol 154 (US$ 55)


マチュピチュは2日間分の入場チケットを購入。
これ1人約1万円分ほどの計算になる。ばっちり先進国から観光に来る人向けの値段だね。先進国以外から来ている人には少し敷居が高いのでは?と思う。ともあれ、さっそくマチュピチュ遺跡へバスで行ってみることに。


ふもとの村から出ている乗り合いバス。人数がいっぱいになるとどんどん発車していく。30分に一本と聞いていたけれど、この時期だいたい 10分に一本ぐらいは出ているような感じでした。

バスがどんな道をのぼっていくかというと、、、


これよ!これすごくない??
左下に見えるのがふもとの村。そこから急な山の斜面をジグザグにのぼっていくバス専用の車道。到着まで 25分ぐらいかかります。運転手さんは手慣れた感じでバスを走らせていくけれど、車線などないのでバス同士がすれ違う時はドキドキ。


車窓からの景色。

そして、、、
バスはようやくマチュピチュ遺跡の入り口にたどり着きます。
遺跡の入場口付近には、たくさんの現地ガイドが待機していてお客さんの獲得に必死です。ただ言語がスペイン語か英語。日本語の現地ガイドはまずいません(そういうのは前もって手配しておく必要あり)。私達は英語の現地ガイドを2時間、たまたま居合わせたアメリカ人カップル観光客とシェアして雇いました。

そしてそして、、、

念願のマチュピチュ遺跡!

今日は曇り~、だけどやっぱりこれはすごい。
インカ帝国時代に築かれた美しい石組みが今もきれいに残っているなんて。


ハロー、マチュピチュ!また来たよ!

ガイドさんに連れられて、見所をまわります。
よく見ると、ひとことに「石組み」といっても実はその精巧さにランクがあることがわかります。






いちばん粗雑な石組みの例たち。
積んであるだけだったり、石と石の間を埋めるフィリング(粘土を使っていたらしい)が入っていたり、石の大きさが揃っていなかったりするもの。単なる通路の壁や、食品貯蔵庫の壁などはだいたいこんな荒いデザイン。


これはランクが上の石組み。王女の宮殿と呼ばれている部屋の壁です。重要人物の住む建物は石組みも精巧ということ。壁のくぼみは灯りを置くためのもので、窓ではないそう。マチュピチュのこういった窓やくぼみのほとんどが、長方形ではなく台形の形だったのも謎(作り手からしたら台形にするほうが難しい)。でも構造上はそのほうが強度があり崩れにくいのだとか。


これが一番きれいで精巧な石組み。一目瞭然です。石と石がピタッとくっつききれいにおさまっていて、カミソリの刃一枚入る隙間がない。しかも驚いたのは、これ積んであるだけでなくて、外からは見えないけれど中で噛み合わせの凹凸をつくって石どうしをくっつけてあるのだそう。まるで大昔の日本の木工職人がよくやっていた継手と組手のような感じ?

私はふだん木工をしていてそういうジョイントを完璧につくるのがどれだけ大変か分かっているので、それを石でやってのけたインカ職人の技術力には脱帽。


その最も精緻な石組みは「太陽の神殿」と呼ばれていて、マチュピチュ遺跡の中で唯一美しい曲線を描いた建築物。


これが全体像。さらに驚いたことには、この神殿が、もともと自然に存在していた巨大な岩のうえに築かれていたこと。自然と人工物の融合!マチュピチュではこのように自然の岩を利用した建築物が他にもいくつかありました。神殿の下はお墓(陵墓)として使われていたそう。

それにしてもこの石達、いったいどこから運ばれて来たの?それに作業場はあるの?
私の疑問にガイドさんは「それなら石切り場を見せてあげるよ」と石切り場に連れて行ってくれました。


さぁ、これがマチュピチュ遺跡の石切り場。大きな岩がごろごろしています。
つまり、インカ時代この都市を築き上げた石達は、下から運ばれて来たのではなく、もともと山の上に自然に存在していたものを採石したのね。


ガイドさんが石のハンマーの実演をしてくれました。
マチュピチュで建築に使われている石はほとんどが花崗岩だそう。鉄や金属を持たなかったインカ時代に、石を加工するツールもまた石だった(ずんぐりした茶色っぽい岩が “ハンマー” として使われていた岩)。このハンマー石は花崗岩よりもずっとずっと硬くとても重くて私は持ち上げられないほどでした。


採石場にはどうやって石を切り出したかのヒントになる岩が残っていました。インカの人々は石を切り出すのには、石がもともと持っている割れ目や筋を利用したそうです。筋目にそって、石鑿で適当な間隔に穴をあけ、そこに硬い木材をくさびとして打ち込むのだそう。打ち込んだ木材を水で湿らせると木が膨張しようとする力で、石が筋目にそって割れるのだとか。

ふ~ん、すごい!
電動工具もない時代だもの。
あの都市をつくりあげるひとつひとつの石をそんなふうにして切り出して、切り出した後にも建物に合うような形に成形する。どんだけ手間がかかってるんだろう!!ちなみにインカ人は建築家と技術者でしたが、実際にこれらの作業をしいられたのはアンデス山脈に住んでいた人達で、いわゆる奴隷のような感じで連れてこられ石の作業にあてられていたそうです。

前回2004年に来た時はこういった遺跡を見学する際に「ものづくり」や「技術力」の視点ではそれほど見ていなかったように思う。あれから9年後の今またここを訪れて、こんどはその職人の技や技術に心底感動している自分がいることがなんだかおもしろい。インカ時代の謎の要塞都市にまつわるさまざまなストーリーや天文学、宗教観などより何より、まず一番に
「これ、どうやってつくったの??」
が私の最初の疑問でした。本当に、インカ独特の精巧な施行や石積み技術は見応え十分。

ここに書いたことはガイドさんから聞いたことのほんの一部。
他にもいろいろな見所を回ってくれたんですよ。ガイドさんの強いなまりのある英語をしっかりと集中して聞きながら、ときどき彼の発音のせいで分からないことがあって同行者のアメリカ人カップルが言い直してくれて分かったりして。ブロークンイングリッシュのガイドさん+ネイティブスピーカーのアメリカ人のコンビはなかなか良かったかも(ガイドさんと私達だけだったらお互い第2外国語どうしでたぶん理解し合うのが大変だったと思う)。私は途中途中で母に日本語に訳して伝えるのだけれど、ふだんから英語⇄日本語の切り替えが苦手な私、頭の中いそがしかった。しどろもどろな訳になってましたね。

・・・長くなってきたのでここでいったん区切ります。(つづく)

ペルー、クスコからマチュピチュへ

2013-09-08 18:33:01 | ペルー
今日はクスコからマチュピチュへ移動する日。
列車は、クスコの端にある Peru Rail ペルー鉄道の駅 Poroy(ポロイ)から朝 6:40 に出発する VISTADOME(ヴィスタドーム)号です。この日5時起きです。


この列車に乗り込むには荷物制限があることを乗る1日前ぐらいに Peru Rail のカウンターで知りました。私と母はマチュピチュに何泊かする予定でいたので、持ってきていた大きなスーツケースを2人とも持ち込むつもりでいました。カウンターのお姉さんは断固として、
「大きなスーツケースは列車には乗せられません。」
「ひとりにつきバックパック1つが原則です。」
「荷物を持っていきたいならクスコから郵送しなさい。」などと言う。

その日はひとまず「はーい、わかりました」といって引き下がり、宿でいろいろネット情報収集した結果、確かに厳しい荷物制限があるけれど、実際はそこまで厳密ではなさそう、、、という印象。私達は2人の荷物を1つの大きなスーツケースにまとめて押し込み、もう1つのスーツケースはクスコの宿で預かってもらうことにしました(またクスコに戻ってくるし)。


そして早朝。
駅についてみたらみんなバックパックかボストンバッグに自分の荷物をコンパクトにまとめてる人ばかり。大きなスーツケースをごろごろ転がしてるのは私達だけで、なんとな~く肩身の狭い思いをしました。搭乗時間になったら車両に荷物置き用のラックがついているのが見えて、何とかおとがめもなく無事に乗り込むことができました(スーツケース2つ持ってこなくてよかった)。ほっ。


きちんとした食事やカクテルがふるまわれるような豪勢な列車(ハイラムビンガム号)も出ているけれど、私達は大きな窓で囲まれた展望列車で景色を楽しみつつ、軽食と飲み物がふるまわれるヴィスタドーム号。高地を走る上、太陽がさんさんとふりそそぐので乗る前に日焼け止め必須です。


ガタンゴトンと時速30km ぐらいでとてもゆ~っくり進む列車。
4人で相向かいのシートで、真ん中にテーブルがありそこに軽食が出されます。
・ペルーパンケーキ
・ほうれん草とチーズのキッシュ
・フルーツ
・紅茶


車窓の外は、ひたすらのどかな山岳地方の景色。段々畑や、農地、刻々と移り変わる山肌を眺めつつ、ふと気づけば雲のかなたに万年雪をかぶったアンデス山脈も見える。

午前10時前、予定通りマチュピチュ村の駅(アグアスカリエンテ)に到着。クスコから実に3時間。距離にしてみれば 8~90km しかないはずなのに、列車で3時間、ということは時速 30km ぐらいの計算。本当にゆっくりのんびり進んでたよね。

ホテルの人が迎えに来ているはずだったけれど、時間通りには来てくれていなくて、少し待ってからやっと落ち合えて無事にホテルへ。
は~、着いた着いた。(つづく)

ペルー、クスコを散策

2013-09-07 19:35:30 | ペルー
今日はクスコ市内を散策しました。
一番有名なアルマス広場までホテルから歩いて10分ほど。といってもその10分の間に、「あ、地図忘れちゃったね」で引き返し、しばらく行ってから今度は「あ、ペルーの現金持ってくるの忘れちゃった」でまた引き返し、、、たどり着くのに 30分以上かかった気がする。私と母のふたりだけだと忘れっぽくて困ります。


アルマス広場にそびえたつ、ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会。


クスコはすり鉢状の地形だなぁって分かる。周りを山々に囲まれていて、くぼんだところに街ができてるよね。


さっきの教会の脇から出ている石畳の細い路地「ロレト通り」は見事な石組みの壁が両側に続いていて素敵だった。


「シャシントッテ!」って片言の日本語で呼びかけてくる地元の人達。今日はたくさんの人に日本語で話しかけられました。

アジア人と見れば日本語で話しかけてくるあたり、まだまだ日本人観光客が他の中国、韓国に比べて圧倒的に多いんだろうね。サンフランシスコではいま圧倒的に中国人のほうが多い(住んでる人も観光に来る人も)ので、中国語で話しかけられることばかりです。なので日本語で話しかけられるのはちょっと新鮮でした。実際クスコに着いてからほんとにたくさんの日本人を見かけています。


ぐるぐるクスコの市内を歩いて、地元の人しかいかないような市場に遭遇。


ローカル新聞紙が街じゅうにあった。サンフランシスコや日本ではもうこんなふうに新聞紙売ってるの見ないよね。


何を売っているのかとても気になったのだけど(とくにバケツの上にみんな何か奇妙なものをのせてるのね、あれ何だろう?)、話しかける勇気なく。


所狭しと積み上げられた地元の民芸品屋さん。


ペルーのかぼちゃ、でかい!San Pedro の市場ではフルーツ、野菜、穀物、肉、魚、衣類なんでもありました。


広場に戻ったら、マスクをかぶった男の人達がたくさん。


そうこうしているうちにムチで打ち合いをしながら、時々笑いも取りつつ、ダンスも始まった。


そして鼓笛隊が入ってきて、ズンチャカズンチャカと音楽が始まり、パレードが始まりました。ペルーの民族衣装のスカートって、ぼわんとしてて、女性陣がくるくる回るとそれはきれいに開いて見えてとても素敵でした。


地区ごとにチームが広場に入ってきて、それぞれ衣装もチームで揃えていて、派手なチーム、地味なチームといろいろありました。でも共通して、老いも若きも、踊る、踊る、踊りながらバレードで前進っていう感じで。


男性達も軽いステップを踏みながら、踊る、踊る。


この若者達は踊りながらラッパを吹いたりシンバルを叩いたり、けっこうかっこよかったです。間近で見てたのでとても楽しかった。迫力もありました。


あっという間に広場はこんなに見物客がいっぱい。


あと観光として有名な「12角の石」というのも見てきました。これふつうに通りの壁に埋め込まれている石なのだけど、その名のとおり 12個の角を持っているのね。インカ時代の加工技術の高さを今に伝える石なのだとか。


そうこうしているうちに日も暮れて。
Bagdad Cafe というカフェがあったので(たぶん前回もここに来たような気がして)、カフェでインカコーラを飲みながら暮れ行く街並を見ていました。


クスコは夜が素敵、という記憶はあったものの、やっぱり改めてそう思いました。
街中にオレンジの灯りがともり、石畳の路上をあたたかく照らしているよう。


客引きのお兄さん達をかわしながら、ディナーは広場の近くの日本人の間では有名な Puruka というレストランへ。オーナーが日本人なのだそう。


寒かったので身体のあたたまるガーリックのスープ。それと、野菜炒めとバターライスのようなごはん。どちらもおいしかった!
食べ終わったらてくてくとホテルまで歩いて戻ります。クスコはほんとうに石畳・石組みの街だね。どこを歩いても、道が石ででこぼこ。ベビーカーや車いすの人にはそうとうきついだろうなぁ。


もう明日は早朝からマチュピチュへ出発するのだけど、もうしばらくクスコでのんびりしていたいような、そんな気にさせてくれる街でした。

ペルー、一夜明けて

2013-09-07 07:41:36 | ペルー
昨日着いたクスコ。着いた早々、標高3600mの高さによる高山病。頭痛と吐き気、高熱と悪寒におそわれながら、長い夜があけました。ほんと、あんなにしんどい思いをしたの久しぶり。


これは昨日ホテルのバルコニーから撮った写真。眺めが素敵。


泊まっているホテルはこじんまりとしたかわいらしいブティックホテル。
大きなキングサイズのベッドのお部屋しか空きがなかったので、母とこのベッドをシェアして寝てます。ふたりともうんうんうなされながら寝てました。

Encantada Casa Boutique Spa
Tandapata, 354
San Blas, Cusco,
Peru

ホテルとるときにここがなんとなく前回2004年に泊まったところと似てたのでここにしたのだけど、インテリアやロケーションは似ているものの、いまいちここだったかなぁ??と今も半信半疑。前回いた親切なオーナーのおじさんが見当たらないし、、ここじゃないのかな。前回のクスコーマチュピチュの写真を間違ってぜんぶ削除しちゃったから確かめようがないのよね。


これは今朝の眺め。
一夜明けて、体調は昨日よりはましです。頭痛もやわらいだし、朝ごはんも食べられました。昨日まる一日何も食べなかったので、今朝はお腹がぺったんこだった。朝食にいただいたミックスジュース、シリアルとトーストがおいしかったこと。


母は朝食後、再びベッドに戻り、寝ています。
今日は午後には出かけられるのかなぁ。

ペルー、午後 10時

2013-09-06 19:45:46 | ペルー
ペルーに着きました。
9/5 (木) サンフランシスコからペルーの首都リマまで 8時間半。翌日早朝着、リマから空中都市クスコまで 1時間15分。昔乗った飛行機 LAN Peru でやってきました。

今はクスコのホテルにいます。
日本からサンフランシスコに来ていた母を連れて。


ホテル到着の際にふるまわれたコカ茶、と母。

しかしここへ来て体調が一気に悪くなり、午前中にクスコに着いたのに、午後はずーっとホテルのベッドで寝てます。久しく味わったことのないような激しい頭痛。これ高山病だね。

前回クスコに来た時はまったくかからなかった高山病。なかなかどうして今になって激しい頭痛に襲われてるのか。

今日は夕食も抜いてずっと横になってます。写真もない。ホント今日は何にもする気が起きません。明日にはマシになるのかな?