Silver linings

カリフォルニアで子育てとか仕事とか。

ただいま

2008-02-29 18:27:57 | 日常
いま関西空港に到着。
無事に戻りました!

George Lucas Educational Foundation(Edutopia)
http://www.edutopia.org/

Stanford University
http://www.stanford.edu/
Carol Dweck (Dept. of Psychology)
Albert Bandura (Dept. of Psychology)
Roy Pea (School of Education)

d. school
http://www.stanford.edu/group/dschool/index.html

The Exploratorium
http://www.exploratorium.edu/

PIE Institute
http://www.exploratorium.edu/pie/
(2度目の訪問、彼らのLearning Studio全景、gigapanで見られます)

Zeum
http://www.zeum.org/

SFMOMA 
http://www.sfmoma.org/
などなど。

同行した仲間にも恵まれ、行った先々での本当にそれぞれ素敵な出会いにも恵まれ、ハプニングにも恵まれ、5日間の爽やかなサンフランシスコのお天気にも恵まれ、とても収穫の多い旅となりました。

今回はもう本当に、個人としてでは絶対に会えないような人、組織があるから可能になる出会い、同行した先生の長年のおつきあいが結んでくれたコンタクトなど、一人ではできなかったことばかりが実現できて本当に感謝いっぱい。とても刺激をもらった。
誰に会うかということと、どんな環境を求めるかということ、「人」と「環境」って大事だなと本当に思いました。

30代での出会いってまだまだ自分の人生をかたちづくる要素です。感謝。

やっと観たイチロー特集

2008-02-18 22:26:45 | 日常
NHKのプロフェッショナル、イチロースペシャル(再放送)をようやく観た。

しかし強いですね。
理詰めで、でも情熱的で、言っていることはなにもかも正しくて、自分の立ち位置もわかっていて、傲慢に聞こえるところもあるけれどそれが事実なわけで(かっこよすぎる!)、もうあなたには誰も突っ込めません、みたいな。ぶっちぎりトップランナーですな。

毎年毎年、自分のテーマを持って挑んでいる姿勢にはっとしてしまった。
「だから、おれは2007年はそれをテーマにしたわけ」と堂々と飲み屋でしゃべっているシーンがあった。
それ、というのは「重圧から逃げない」ということ。あれほどの人が、、、一般人が聞いてブルッとしちゃうテーマである。
でもオトナになると、テーマなんて掲げていても途中で忘れてそれが達成できたかできなかったかなんて水に流してしまう人だってたくさんいる。イチローさんの場合は、ちがう。本気で取り組んだテーマだったのだろうし、1日たりとも忘れなかったことなのだろう。
最後、首位の座を勝ち取れなかった時に見せたイチローさんの涙は、やっぱりそういうことなのだろうな。
私にもテーマがあるが、2008年の終わり、私はたとえそれが達成できなかったといって、泣くだろうか?

体への感覚と道具へこだわり。
バットに神経がとおっているのだって。道具を吟味し、これと決めたバット(相棒)を自分の身体の一部のように使っている。
モノを選ぶときに、自分の感覚を一番大切にしているところが素敵でした。人がどう言っているとか関係なく、「これ」と自分の感性で感じたものを信じてゆく。

個人的におもしろかったのは、身体性の話。
脳科学者の茂木さんが、「無意識をコントロールするのは身体」と言っていたこと。
言葉でいくらいってもダメなのだって。
結局、言語やイメージトレーニングなんかより、身体中からの神経のほうが圧倒的に脳につながっている。
私たちの言動のうち、どれほどが有意識で、どれほどが無意識なのか。
わからないけれど、動くしかないのだ。行動を決定づけるのは、身体だ、と思った。

だから、イチローさんは毎日毎日同じメニュー、同じスケジュール、
7年間、同じ所作をくりかえしくりかえし重ねているらしい。
毎朝カレーだなんて、、、びっくり。(それも奥さまの手づくりカレー)
イチローの自宅や愛犬との日常生活もかいま見れたが、奥さまとはお互いに尊重しあっているところが素敵な夫婦関係だと思った。「趣味とか、ぜんぜん違うよね。好きなモノも違うし。でもね、価値観は共有できている。」
素敵やねーー!

ちょっとイメージと違うくらい「ガハハっ」と笑ったり、もっとクールかと思っていたのだがわりと自由で勢いもあり、しかし話の内容はやっぱりちゃんと考えてしゃべっているし、主観に走って話してたかと思うとパッと客観に切り替わったり、かなり構えて話しているように思えるのだけれど、それがそのまま「素」であるということがやっぱりすごい。

「プロフェッショナル」
いい番組だなー。

Art site Naoshima

2008-02-17 23:59:51 | 日常
2/15-16、金土の2日間で香川県の直島~牟礼~丸亀へ行ってきました。
職場の同僚や友達含め総勢8人、車2台での旅となりました。

岡山県の宇野港からフェリーに乗ると、直島はすぐそこ。
直島は香川県と岡山県の間、瀬戸内海に浮かぶ人口約3,500人、周囲16kmの小さな島だ。島全体にアート作品やアートプロジェクトが点在している。


今回の旅企画は自分ではなく、どちらかといえば「ついていった」という感じなので、まったく事前の知識なし。でも他のみんなも出発まで仕事忙しくて事前にいろいろ調べておく時間などなかったのだが、彼らはもともと建築、アート、デザイン分野の人達。歩きかたや見どころは分かっている人達なので安心。終始、「これはどういう意味?」「この作家はどういう人?」と説明を求めがちな自分であったが、完璧な説明や正解ではなくちょっとした予備情報が耳に入るだけでも作品の感じ方が深まるので楽しかった。

最初に行ったのは、アーティストが古民家などを使い、そこに思い思いの作品を展開している「家プロジェクト」。
家プロジェクト
・角屋(宮島達男)
・議王神社(杉本博司)
・南寺(ジェームズ・タレル)
・きんざ(内藤礼)
・はいしゃ(大竹伸朗)
の順にまわった。

「きんざ」は1軒の家。予約が必要で、鑑賞は1人ずつ、時間は15分までと決められている。そういう鑑賞の仕方って初めて。1人で入る、ということは「静寂」が約束されているということ。何が見られるのか、これもまったくもって予備知識なしだった。入ってみての感想は、「がらーん」。しかし時間が経つと、詳細にまで目が行き届くようになり、小さなものが気になるようになる。

「南寺」は圧巻。
光のアーティスト、ジェームズ・タレルと建築家安藤忠雄によるコラボレーション。中に入ると、そこは漆黒の闇。あれほどの暗闇は今までに体験したことがない。目を開いていても閉じていても、まっ・黒。ああなると、まぶたを上下する意味が分からなくなる。しかし、その感覚がやがて変化する。これは行った人でないとわからないな(これから行く人のために詳細は書くのやめます)。とても不思議な体験だった。

※写真撮影NGのところが多かったのと、デジカメは故障中なので、今回の旅では写真をあまり撮ってない。あしからず。

■点在するパブリックアート

海辺はすごいきれいだ。あんな絶壁にも作品が!


直島のパブリックアートの看板的存在。草間弥生さんのかぼちゃ。堂々と、そしてどっかりと瀬戸内を臨む。
そんなかぼちゃに群がって写真を撮る私たち。

■続いて地中美術館
・モネ
・ジェームズ・タレル
・ウォルター・デ・マリア

なんとたった3人のアーティスト作品しかない。すんごく贅沢なアート空間だ。地中に半分埋まっている建物そのものは安藤忠雄による。
モネの睡蓮は、自然光のなか白い壁に囲まれた部屋にある。室内は真っ白でポコポコのタイル地になっている。靴を脱いでスリッパで入る。スリッパの裏側がとても柔らかい生地でできていて、自然光の白い柔らかさと足下を包むふわりふわりとした感触がとってもいいと思った。

地中美術館では瀬戸内海を見下ろすカフェがある。ここで少し休憩。

夕暮れ時に、ジェームズ・タレルのオープンスカイ、ナイトプログラムに参加。これも予約が必要。
タレルのこの作品は、真っ白な部屋の天井が取り除かれ、そこから空を眺める。空を眺めるのは好きだ。うつろいゆく微妙な表情を写真に撮るのも好きなので、部屋の天井から切り取られたわくの向こう、空の様々な表情や光を感じることのできるインスタレーションに感動。四角いフレームの中で、空は動いていた。そういえば、天井が抜けているので室内はとても寒い。けれど、四方を囲むコンクリートに備え付けられたイスには熱がとおっていて、座るとお尻と背中がじんわりあたたかいのだ。
ナイトプログラムでは夕暮れからしだいに夜になっていく空をずっと見上げていた。その移り変わりがとても美しかった。40分は座っていただろうか。その間、室内のLEDライトによる光の演出と、静けさ、鑑賞するのは「空」というとても贅沢な時間を過ごした。はじめ見えていた月が時間の流れとともにしだいに四角いフレームから消えていった。はじめはなかった星がしだいにあらわれたりした。自然の中で空を見上げるのとは違う、あの空間の中でこそ感じられる「空」と「光」があった。
美術館を出ると、満点の星空。タレルの作品を体験した直後だったので、見方が変わった。空に感謝した。

■宿泊はベネッセハウス

ミュージアムとホテルが一緒になった、これも安藤忠雄の建築。深夜もミュージアムを見て回ることができる。作品を開放している感じで学芸員さんもいない。なんて自由なんだ。うふふ。
ふらふらと歩いていると昔DCで見たリチャード・ロングの作品があったり、コンクリートのすきまから草が生えていると思いきや、須田悦弘さんの「雑草」という作品だったり。廊下にふつうにジャコメッティの彫刻が置いてあるといって感動する同僚など、ここはみごとに「アートのなかで泊まる」というコンセプトを叶えている。ブルースナウマンの「100生きて死ね」というネオンアートはインパクトがあった。杉本博司さんのモノクロ写真群の水平線と、実際の瀬戸内海の水平線とが同じラインに見えるよう配置・展示されていることなど、「おぉっ」という感動のたえないホテルであった。
ミュージアム棟でいちばん眺めのいい部屋に4人で泊まる。他のメンバーはパーク棟へ。


瀬戸内を照らす日の光。なんて美しいの!
ベネッセハウスの庭にも作品がたくさん。ニキ・ド・サンファールのコミカルで自由奔放なオブジェ。

翌日、高松へ足をのばし、牟礼にあるイサムノグチ庭園美術館へ。ここが一番よかったなー!
その後、丸亀市へ行き、猪熊源一郎美術館へ。続きはまたのちほど。

グループ活動の参考に

2008-02-11 21:45:40 | 日常
日本に帰ってきてから3年間、なぜかずっと気が向かなかったカウンセリング研修に参加。

参加したのは20人で行うサイコエデュケーション的な活動。
ある【テーマ】について、自分と対峙し、自分について語り、発信し、他の参加者とシェアしたりする。1日じゅうとても静かな活動だけれど、内省的に自分の内側を掘り起こしてゆくので精神的にどっとつかれた。

なつかしいな、という感想が第一。
車座になり、人工的につくられた場の中で、一人一人が真摯に問題に向き合おうとする光景は、かつて留学時代に見た授業での演習風景や教育実習そのもの。

・円になって話し合う、自己開示をしあう
・沈黙でいる権利があること
・いつ帰ってもよいこと
・容易に人に同調しなくてもよいこと
・ありのままでいられる場を保障されていること
・あなたには価値があって、そこにいていい、という受容がなされていること

他にも、気づきや発見をもたらすためのいろいろな手法やトピック、活動がきちんと用意されていました。活動は、1人になったり、グループになったり、グループが解体されたり、また1人になったり、全体になったり。間のとり方、指示の出し方、講師の方の関わりかた、そんなことを観察しながら、今の自分ならどういうふうに場をつくるだろう、と思いながらの参加。

昔の自分が共感していた手法、それと、今の自分だから見えることがあって、ここ数年の自分のちょっとした成長(ほんとにちょっとだけど)を見たような気がした。貴重な経験だった。感謝。

なごんだ夜

2008-02-10 23:03:08 | 日常
大雪の日、奈良にいました。

図書情報館前の佐保川、春には桜がきれいだろうな。

奈良に足を伸ばすことはあまりないので、この機会に奈良に住んでいる友達に連絡。
夕方に仕事を終え、約束していた友達と会う。彼女とは大学時代をともに過ごした仲。

しばらく会っていなくても、話し始めたらどどどーっと話が出てくる。
2人の共通項を見つけつつ、お互いの彼や仕事やこれからの話など。卒業後、とった進路が途中まで似ていたことなどもあり、なんとなく一緒にいるとほっとする。出所が同じな感じで、いつも等身大の自分でいられるのだ。

急な大雪となったため、そのまま泊めてもらう。
彼女の家のこたつに入りながら、昔と同じように話をした。この日はいろんなことを話したけれど、なんだか2人とも同じような問題(?)を抱えていることがわかって爆笑。笑い飛ばせる仲でいてくれてありがとう、だよ。

昔の自分、まだ自分が社会に出ていない頃の時間を共有している友達は、どんな時代であってもありがたい。会社や社会の中でいろいろなことを経験している今の自分と話の合う新しい環境の人達も大切だが、昔の友と話すとなんだか、こう、ゆるゆるゆる~っとほどかれていく「あの頃の自分たち」目線に戻れてなんだか可笑しいのね。今の視点からまだまだ青かった時代を同じようにふりかえることができるって、ありがたい存在だ。(まぁ、まだまだ青かった時代と言ったって、今でもじゅうぶん青いままなんだけれど。)

さて、ほっとしたのはこのお茶わん。

これは昔から彼女の家にあるお茶わん。
なつかしぃ~!
そうそう、昔、京都の1人暮らしの彼女の家でお茶飲みながら話すのが好きだった。
いつもテーブルのそばにポットと急須が置いてあって、それが実家みたいで落ち着く気がしていた。その頃よく私が使わせてもらっていたのが確かこのお茶わん。今回何年ぶりかに再会して懐かしく思ってしまった。友達の家のお茶わん見て落ち着くなんて、不思議な感覚だ。楽しいおしゃべりの象徴なのかも。
話はずんでいると、お茶もすすむ。2杯目、3杯目と、どちらからということもなく、なくなるのを見ては熱いお茶を注ぎ、注がれ。お互いにお茶が切れることがない。

寒がりな私のことをよくわかっていて(笑)、お風呂、おふとん、何もかもが昔と変わらぬ彼女のおもてなしでした。すっかりお世話になってしまった。

「昔と変わらず」という風景や出来事に出会うとほっとする。
でも、自分と友達との関係性の中に見つける「昔と変わらぬ」行為や習慣のようなもの、
そういうの体験すると、もっとほっとするのね。

考えていくための保留

2008-02-08 23:30:46 | 以前のシゴト
気持ちを切り替えて7~8日は小学校案件。授業を見せてもらったりサポート側にまわったり。研究会にも参加。
考えていきたいことがたくさんある。でも、とりあえずインデックスをつけて保留にしておこう。

保留、はあまりよいイメージを持たれないかもしれないけれど、「保留=思考停止」ということではないということを最近あらためて確認。頭の中の引き出しに別々に入っていた何かと何かがつながったとき、「わかった!」という瞬間が訪れるようなことがある。だから、保留というのはわからないということではない。わかりません、という情報処理はラクだ。でもそれで考えることから逃れるよりも、「保留」として考えつづけていこう、と前向きに思う。

おー

2008-02-05 01:10:18 | 以前のシゴト
日付変わっちゃってから帰宅。

明日(もう今日か…)の出張は、自分でゼロからつくった場。
そこに関わっていただく人達や目的、場所、呼んでいるメンバーもふくめ、自分で考えたこと。どんな空気が流れることやら。うまくいくかどうか、意義があるかどうか、ドキドキである。そして、そこからきちんとアウトプットが生まれるかどうか。

でも1つ確信してるのは、来る人が「ちゃんと自分の言葉で話せる人たち」であること。
だからね、なんかね、いい空気が流れるような気がしてるんだよね。そういう人達のインタラクションで。

それはどんな空気?って…、うーん、ちゃんと見てこようっと。
がんばろーーーー。明日から金曜までバタバタしてそうだ。