『AさせたいならBと言え』という本をオフィスから借りてきた。この著者と仕事でいっしょになった職場の人が、「すごい先生だった…!」と感動してたので読んでみたくなった。
タイトルの言葉、「こっちを向きなさい」よりも効果のある指示だとして教師の間では有名。よく小学校の先生が使います。
今、ざっと読んでいた。昔の教育の法則化運動の流れの中に入るのかもしれないけど、読んでいて思わず「いいね」と思う。
たとえばリコーダーの練習。こどもは強め・深めに吹きがち。
「やさしく吹いてください」よりも
「小さなシャボン玉を少しづつふくらますように吹いてごらんなさい」
わかりやすい!やってみたくなるし。
おつかいに行くこどもに。
「A子、気をつけていってきなさいよ」よりも
「A子、お店につくまでにいくつ道路を渡るの?」
こどもは家を出る前に、道路の状況を頭の中に思い浮かべる。「1つ、2つ…3つ、かな?」「気をつけてね!」だけでは言葉の中身がこどもに入っていかない。家を出て実際に道路を渡る段には「これが1つめの道路」とお母さんとのやりとりを思い出すに違いない、だって。
こんなふうに、「させたいこと」を直接言ってはダメだ、というのが著者の主張。
これ、カウンセリング的だと思う。そのまま “「聞きたいこと」を直接聞いてはダメだ”、と置き換えられると思う。
たとえば、何が問題なのか分からないけれど気分が憂うつな人に対して。
「なにが問題なんですか」よりも
「その状況を私がビデオカメラで記録するとしたら、再生した時、私には何が見えるのでしょうか?」
一瞬、何聞いてんダ?というような顔されるけど、クライエントはメタ的に自分の置かれている状況を見ることができ、「何が問題なのか」を具体的に語れるようになる。
どうなりたいのか、どうしたいのか、本当の気持ちが分からない人に対して。
「じゃあどうしたいの?」よりも
「一晩寝てる間に奇跡(キラリー!)が起きて、翌朝起きた時に今のあなたの抱えている問題すべてがクリアになっているとしたら、新しい1日はどんな1日になっているでしょう?」
ちょっとおもしろい。ああなりたい、こうしたい、と意識下にあったゴールを自由に述べることで意識化でき、自分がどうしたかったのか気がつく。
こんなふうに、聞き出したいことや、してほしい行為に対して、そこへ直球を投げずに回り道して発問したり指示したりっていうのは、個人的にはすごく好き。間接的に対象を動かす、という感じ。
高校の時、単語の書き取りの練習するのがいまいちおもしろくなかった時、英語の先生が
「ボールペンのインク1週間で終わらせるぐらい書いてごらん」
と言ってくれて、(あの減り具合のはっきりしない)インクを終わらせるというアイデアがおもしろくて知らず知らずに大量の単語の書き取りをしてたことが思い出されます。
あれも「間接性の原理」だったのか。
-----
今日は昼間テニスをして、夜はジョギングに行きました。カラダつかれてるはず!ちゃんと仕事もしたよ
明日のおべんとうもつくったし、ブログも書いたし、いつのまにかAM1時過ぎ。。。この後5分後にPCを閉じたら即寝してると思います。おやすみなさい。
タイトルの言葉、「こっちを向きなさい」よりも効果のある指示だとして教師の間では有名。よく小学校の先生が使います。
今、ざっと読んでいた。昔の教育の法則化運動の流れの中に入るのかもしれないけど、読んでいて思わず「いいね」と思う。
たとえばリコーダーの練習。こどもは強め・深めに吹きがち。
「やさしく吹いてください」よりも
「小さなシャボン玉を少しづつふくらますように吹いてごらんなさい」
わかりやすい!やってみたくなるし。
おつかいに行くこどもに。
「A子、気をつけていってきなさいよ」よりも
「A子、お店につくまでにいくつ道路を渡るの?」
こどもは家を出る前に、道路の状況を頭の中に思い浮かべる。「1つ、2つ…3つ、かな?」「気をつけてね!」だけでは言葉の中身がこどもに入っていかない。家を出て実際に道路を渡る段には「これが1つめの道路」とお母さんとのやりとりを思い出すに違いない、だって。
こんなふうに、「させたいこと」を直接言ってはダメだ、というのが著者の主張。
これ、カウンセリング的だと思う。そのまま “「聞きたいこと」を直接聞いてはダメだ”、と置き換えられると思う。
たとえば、何が問題なのか分からないけれど気分が憂うつな人に対して。
「なにが問題なんですか」よりも
「その状況を私がビデオカメラで記録するとしたら、再生した時、私には何が見えるのでしょうか?」
一瞬、何聞いてんダ?というような顔されるけど、クライエントはメタ的に自分の置かれている状況を見ることができ、「何が問題なのか」を具体的に語れるようになる。
どうなりたいのか、どうしたいのか、本当の気持ちが分からない人に対して。
「じゃあどうしたいの?」よりも
「一晩寝てる間に奇跡(キラリー!)が起きて、翌朝起きた時に今のあなたの抱えている問題すべてがクリアになっているとしたら、新しい1日はどんな1日になっているでしょう?」
ちょっとおもしろい。ああなりたい、こうしたい、と意識下にあったゴールを自由に述べることで意識化でき、自分がどうしたかったのか気がつく。
こんなふうに、聞き出したいことや、してほしい行為に対して、そこへ直球を投げずに回り道して発問したり指示したりっていうのは、個人的にはすごく好き。間接的に対象を動かす、という感じ。
高校の時、単語の書き取りの練習するのがいまいちおもしろくなかった時、英語の先生が
「ボールペンのインク1週間で終わらせるぐらい書いてごらん」
と言ってくれて、(あの減り具合のはっきりしない)インクを終わらせるというアイデアがおもしろくて知らず知らずに大量の単語の書き取りをしてたことが思い出されます。
あれも「間接性の原理」だったのか。
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今日は昼間テニスをして、夜はジョギングに行きました。カラダつかれてるはず!ちゃんと仕事もしたよ
明日のおべんとうもつくったし、ブログも書いたし、いつのまにかAM1時過ぎ。。。この後5分後にPCを閉じたら即寝してると思います。おやすみなさい。