山口冨士夫関連のリリースが相次いでいる。74年のファースト・ソロ「ひまつぶし」が2月に再発
されたのに続いて5月には83年の「RIDE ON !」と、共にボーナス・トラック入りで登場した。
そして、今月はティアドロップスの音源や映像がグッドラヴィン、ウルトラ・ヴァイヴ、ユニバーサル・
ミュージックの3社同時発売と相成った。
さて。ここから先を読む方は、私が山口冨士夫のファンであることを了解した上で読んで頂きたい。
ダイナマイツから晩年に至るまでのCDやDVDはほぼ全て手中にあるレベルでしかないが。
今月リリースされた3枚のティアドロップスの盤を一気に聴いて思ったこと。
それは、ティアドロップスは余り面白くない、ということであった。まあ、それは昔から思っていた
ことなので何を今更なのだが。
当たり前だがリアル・タイムで接した時代であるから、そう思うのかもしれないが世は浮かれた
バンド・ブームであり、時代はバブルまっただ中。メジャー契約の弊害というのは私個人の
勝手な思い込みだし、「伝説の山口冨士夫」の浮上を快く思わないわけは全くないが多くの
人に届くための解りやすい音というか単純な、もっと悪く言えば深みの無い歌詞と曲調が
当時の私には辛かったし、その印象は今聴いても大して変わらなかった。
今となっては冨士夫の不在というセンチメンタルな気分が、ほんの少しそれを補ってくれるけど。
「NO NUKES」を標榜しながら東芝EMIと契約してしまったところに混沌を見る、というのは
言い過ぎだろうか。
まあいい。ビデオ落としのDVDであろうと、過去に発売された限定盤と6曲も被っていようと
私はこれらのブツを棚に収め、これからも思い出したように時々見聴きし続けるのだろう。
そして、ああでもないこうでもないと戯言を脳内で反復させるのだろう。
それにしても。「LOVE GUERILLA」のDVDは何とかならなかったか。再生中に一瞬、しかし
頻繁に画像サイズが変わるのはどうしたことか。
まあいいや。
できれば販促チラシに、あの二人の名前は使って欲しくなかった。
まあ、いい・・・か。
気にかけていただいて、そしてお待たせしてすみません。
放棄したわけではないのですが、期待せずにながーい目で見てやってくれれば幸いです。
この日、チャーボーにテツさんを紹介してもらいました。めちゃ酒くさかったです。チャーボーがメンバー一人ひとりを紹介してくれたんですが、「しらねーよ、そんなもん。」って言われました。ま、確かに知らねーよね。
村八分でこのコンサートに飛び入りしようかという話もあったんですけど、主催者から「時間がない」って言われました。ステージサイドから見ていいよと言われたんですがいつまでたっても始まらないので,暑かったしとっと帰りました。
最近ブログの更新がないので、心配しております。また気がむいて更新されますように。このサイトで気になって購入したCDも数知れずなので。ではまた。
この日、チャーボーにテツさんを紹介してもらいました。めちゃ酒くさかったです。チャーボーがメンバー一人ひとりを紹介してくれたんですが、「しらねーよ、そんなもん。」って言われました。ま、確かに知らねーよね。
村八分でこのコンサートに飛び入りしようかという話もあったんですけど、主催者から「時間がない」って言われました。ステージサイドから見ていいよと言われたんですがいつまでたっても始まらないので,暑かったしとっと帰りました。
最近ブログの更新がないので、心配しております。また気がむいて更新されますように。このサイトで気になって購入したCDも数知れずなので。ではまた。
日々の生活や自らの欲望にのみ忠実に生きている
私なんかからしてみれば、何かしらの素晴らしい活動を
行っている方がたには無条件で何らかの尊敬の念を
抱いてしまいます。
西部八月の時のテツは日本酒をしこたま飲んでいて
ベロベロだったという話を聞いたことがあります。
前に言ったかもしれないけど、
自慢げに「西部講堂で冨士夫と練習した、ええやろ」
と話してくれた、おらの前勤め先の元代表は
今は亀岡に住んでぼつぼつと
地球温暖化防止活動をしています。
よしのさんが言われるように、西部講堂のやじは
面白いものが多かったなあ。
ティアドロップスのライブ音源もそれなりに聴いたのですが、83,4年の頃のほうが適当な良さ(笑)があって、よかったのにと今でも思います。
西部八月は私は明らかにパンタ目当てだったのでした。
話飛びますが、京都の人は「大文字焼き」とは言わないのです。「五山送り火」「大文字送り火」と言います。
あっ、私は京都人ではないのですが、相方がうるさくて。
冨士夫在籍時のラリーズは、わかりやすいロックの要素があって、私も大好きです。
その次に観たのが、京大西部講堂前のライブで、チコヒゲとか山内テツと一緒だったけど、音がへろへろで、すごい野次が飛んでいました。
大文字焼きはきれいでしたけど。
だから、山口富士夫がなぜみんなそんなにいい、いいというのか、その後20年ぐらいはわからなかったです。
今もわかっているのか不明。単に花田さんが好きだからだけじゃないかと思うこと、しばしあり。でも、ラリズの加入時代の音は、ラリズの中ではいい出来だと思う。
カーステで聴けば意外とハマるかな、とかは思いました。
ゲネプロを収録したスタジオ・ライブは雰囲気があって
良かったと私も思います。
DVDは昔にJICC出版から出たVHSと同じですから
川田良やKYONが出ています。
販促チラシは「SUNNY DAYS」「FUNNY DAYS」のもので
それが「売り」なのでしょうが、TKさん言うところの「誰か」
と泉谷の名前が載っています。私は二人の盤もそれなりに聴き続けている(つまり、嫌いではない)のですが
やっぱり、私とティアドロップスとの相性の悪さ故に
つまらないことを思ってしまうのでしょうね。(笑)
東芝時代の誰かの影響が強い部分は今も気持ち悪いけど、それにしてもやはり冨士夫さんだなと感じさせてくれる。
スタジオライブ的なほうはけっこう良いんじゃないかなあ。
もちろんライドオンに比べたらぜんぜんつまらないけど。
DVDは買ってないけど誰の名前があがってました?