今夜はアマゾンプライムビデオで「ヴィヨンの妻」を見ました。
太宰治。
「ヴィヨンの妻」は読んだことがありません。
所々に出てくる大谷の、人生観を表すような言葉がおかしかったです。
そうして、昔、そういうものが好きだったことを思い出していました。
太宰とか、それ以前の文学の世界です。
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そうして、映画の途中でお風呂に入ったのですが、そのときに色々な想いが浮かんできました。
昨年、北海道に旅行に行き、小樽に寄ったのだけど、小樽っていうのは、伊東整ゆかりの土地だった。
それは、旅行から帰ってきてまもなく思い出した。なぜ現地で思い出さなかったのだろう。
雪明りの路、あれは確かにあの小樽のことなのだ。
そこに伊藤聖の世界があったのに、何も思い出すこともせず帰ってきたのです。
でも、今になって現地を思い浮かべて、伊東整と結びつけることができたのでした。
私は、小平霊園の伊藤整のお墓にお参りしたいと思っている。伊東整のお墓はウェブで見たことがあるが、こじんまりしたものなのだ。
お墓に行ってみたいと思うような作家は他にはいない。
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私は、高校の時に、伊藤整の「若い詩人の肖像」に夢中になった。
短大では近代文学のゼミに入り、メンバーは10人くらいだった。
1人ずつ自分の好きな作家の作品を提示し、それらを皆で順に読んで行くことになった。
ある人は、有島武郎の「或る女」、ある人は安倍工房の「砂の女」、ある人は夏目漱石の「こころ」。ある人は「それから」。ある人は太宰治の「人間失格」、ある人は「斜陽」。
あの時私はどうして自分の好きな伊藤整のことを言わなかったのだろうか?
自分の個性を人前に表す事が出来ない人間だったのである。
「若い詩人の肖像」は小説というよりも自伝のような感じだったからそぐわないと思ったのかもしれない。
かといって他の作品の中にとりたてて気に入ったものは無かったのだ。
そうして、作品研究として1つを選ぶときに、その本人が言い出した作品について研究するのが当然なのだが、なぜか夏目漱石の「それから」を選んだ人が3人もいたのだった。
そのうちの1人がそれを自分で提示したに違いないのだが、私を含む2人はそれに便乗したのだろうか?
文学が好きで国文科に入っているのに、自分の好きな作品を挙げることもできない学生っていったい何なのか?と思う。
今になって恥じる。
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旅行から帰ったあと、伊東整の作品を読もうと思って図書館に行った。
自宅に文庫本があるが、文字が小さくて、老眼で読めなくなった。
図書館に行くと、もう書棚にはなく、保存書庫に保存されている。
それを図書館司書の人に出してきてもらって借りてきたが、結局ほとんど読まなかった。
高校生の頃のように興味が持てなかったのだ。
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そんなことを取り留めも無く思い出したのは、ヴィヨンの妻を見て、太宰の世界から刺激を受けて文学の世界を思い出したからだろう。
映画を見終えたのが2時半で、今はもう3時になってしまったので寝ることにする。