山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

自分の役割

2007-10-20 21:43:32 | 未分類過去
さっき、オーラの泉をみていた。ゲストは小雪さんだった。小雪さんは、結構好きなほうの女優だ。癖がなく、品がいいからだ。
その小雪さんは、自分が強い意志を抱いて女優になったわけではなく、アルバイトのモデルからとんとん拍子に女優になってしまったのだそうだ。しかしながら、小雪さんの悩みは、重要な役を演じたり賞を取ったりしてもなぜか満足感がないことだという。
それについて、江原さんの答えでは、女優は触媒だから自分の色を出さなくて良く、自分の色がないから何でも演じていろいろな色が出せるとのことだった。色がないのが個性であるとも言える。
さらに、美輪さんの答えでは、満足感がない、不満が多いということは感謝がないのだということだった。自分の過去を振り返り、一番悪かったときのことを思い出すと、今の自分が恵まれていることに気付く。不満を解決しようと努力することは人間としての前進にはなるが、不満ばかり思っているのはよくないから、うまくバランスをとり、今、与えられている立場で自分ができることに力を尽くすのが良いとのこと。
江原さんのアドバイスもいいが、美輪さんのアドバイスは心に響くことが多い。

私自身、何をやっても満足感のない、いつも不満をかかえぎみの人間である。しかし、このごろは素直に「会社の良き歯車となりたい」と思えるようになってきた。私の仕事は社員さんの仕事のアシスタントだが、優秀なアシスタントになりたいと思っている。
そして、それは自分の個性を出したり能力を顕示することではなく、めだたないところで、ちゃんとした役割を務めることだと思う。
私は、知的所有権に関する法務などの勉強もしたが、それは知財部の正社員の仕事に進出しようと思ったわけではなく、今の仕事をする上での自分のモチベーションを高めるためだったように思う。おそらく、そういうものを勉強しなければ、自分の仕事の意味も理解できず、ヤル気をもつことはできなかっただろう。
先端技術の活用や、権利の保護などについての知識が整理されたことは、それにかかわりのある文書の誤字や脱字をチェックすることにも、よりいっそう意義を見出すことができるようになったといえるだろう。これからは、さらに物理や化学の勉強もしていくが、それも自分が科学者になるためではない。

どんな仕事もバカにはできない。主婦業だって立派な役割である。25年もやっていてぜんぜんいい加減なのは恥ずかしい限りである。

地道に自分の役割を全うしよう!

おててつないではキライ

2007-10-20 01:34:29 | 未分類過去
子どもの頃から、友達といっしょにトイレに行くなどということがあまり好きではない。
一緒に買物に行くのも好きではない。
それでも、協調性がないわけではない。
表面上、協調しているからこそ、自分自身にストレスがたまる。
たとえば、人と一緒に買物に行くと、ほとんど自分のものは買わずに付き合うのみとなる。
人が私の買いたいものを見ようと気を利かせてくれても、なんだか落ち着かないので、日を改めて一人で買いに行ったほうがいい。

ところで、放送大学の面接授業が近づいている。
それで、会社が休みの日に一緒にどこかへ遊びに出かけようと言っていた友人に、大部分の休日が、放送大学のためにふさがったということを話した。
すると、その友人は、それはどういうものかと興味を示すので、放送大学生でなくても、空きがあれば一般人でも申し込める授業もある旨教えると、自分も受講してみたいものだと言い出した。
そして、今度私が行く予定である英語の授業に自分も行きたいので、できたら申し込んでおいてくれなどと言い出すのだ。
この科目は外部の共習生を募集していないようだが、もししている科目だとしても、人が代わりに申し込むような類のものではないし、どうも本質をわかっていないような気がする。
「なんでもいいからあなたの受ける授業、私の分も申しこんでおいて」というのは変だし、「ちょうど、私も英語をやりたいと思っていたの」とは言っても、じゃあ、レベルは?内容は?という話である。本当に私と同じレベルでいいの?内容は主に英文の読解ですが・・・というわけだ。すると、「?・・なんだ、英会話じゃないの?」と来た。そして、「今度英会話があったらいっしょに申し込んで」という。
いやあ、それは自分がやりたきゃ自分で調べて自分で申し込めよ。
それに一口に英会話といっても、色々あるんじゃないでしょうか?何でもいいはずがないだろう。
つまり、内容よりも、暇だから友人と一緒のところに出かけたいということかな。
なんだか疲れるな~

この人、私に「女性の品格」の本を貸してくれた。特に読みたくはないのだが、わざわざ持ってきてくれたので読もうとは思っている。
この友人、女性の品格なんて強制されたくないと言いそうな雰囲気の人なのに、最近話題になった本であり、品格について興味があったので買ったのだそうだ。

先日一緒にでかけたら、満席の電車の中で優先席だけが開いていた。この人がそこに座ろうというので、まあ空いているからいいかと座った。電車は都心に向っている。次の駅では私たちより年上の人がどっど乗ってきたのでひやひやしてきた。若くても体調の悪い人もいるかもしれない。そのうち、本当に白髪頭の体力も衰え気味のお年寄りが乗ってきたので、私は席を立った。しかし、この友人、でんと座り込んでけっして立とうとはしない。具合が悪いわけじゃない。立った私のカバンを膝の上に持ってくれるというのは親切である。
しかし、この人のアタマの回路はどうなっているのかわからない。

昼ごはんを屋外のテーブルで食べていたら、風がぴゅ~っと吹いてきて、おしぼりの袋とレシートが机のそばに落ちた。
私のじゃなかった。当人が拾うかと思ったのだが、拾わないで食べていた。
食事中だからかと思い、席を立つ時についでに拾うのかと思ったらやはりそのまま片付ける気はなかったようだ。
落ちるところは見ていたはずだが、自分のものだと思っていないのか、私が拾おうかとも思ったが、本人がしないことを私がするのもどうかと思い、躊躇した。しかし、ゴミを放置したまま立ち去るのはうしろめたかった。

こういう人が、何で「女性の品格」を読みたいと思うのか理解できない。そして読んでも品格なんか身につかないわけだ。にもかかわらず、人に勧めるという矛盾。まったくもって不思議だ。
流行と人付き合いのためかな。

(この人は、パソコンを持っていないとのことなので、本人が読まないという前提で書いてしまいました。)

デジカメショック

2007-10-20 00:24:29 | 未分類過去
私の周りの人って、普段あんまり美容の話などはしないのだが、今日はたまたまシミ・ソバカスの話になった。
若いときスポーツなどしていた人は、紫外線に当たった結果が中年になってシミ・ソバカスとなって出てくるので、いろいろと気を遣っているらしい。
毎日、念入りな洗顔やパックなどしているそうだ。
そうやって手入れをしているからか、特に目立つシミもなく、きれいな肌をしているように見える。
うちの会社の人は理系人間が多いので、その点が面白い。
あらかじめデジカメで肌の状態を記録しておき、数ヶ月手入れをした後に再び肌を撮影し、その変化を確かめなくては意味がないという。
確かに、ある化粧品を使ったり、ある種の手入れをして、きれいになったような気がしても、本当にきれいになったかどうかは、客観的データを見なければわからない。
へえ~~~と思った。
それで、早速家に帰るとデジカメをマクロにセットし、自分の顔に向けてシャッターを押し、10数枚撮ってみた。
それをパソコンに取り込み、拡大してみると・・・
ぎゃ~~~~っ!!!
お化けだ・・
すっごくキタナイ。
どこのババア?
いや、これが私なのだ。
事実に目をそむけてはいけないのだ。
シミとシワがすごい。
毛穴のひとつひとつに色がついているようだし、特に鼻の頭や小鼻の周りの毛穴が真っ黒である。
ううっ、これは何とかしなければいけない。
普段、自分の顔は見えないけど、これじゃ、私の顔をいやでも見なければならない他人様がお気の毒である。
というわけで、これから、洗顔・マッサージ・うるおい補給など、いろいろやってみようと思います。
私の場合、3年間のアンテナ調査の屋外歩き回りと、3年間の日本語教師徹夜生活が、肌に知命的な打撃を与えてしまったようです。
とりあえず、1週間後に撮影した肌画像が今日より少しでもきれいになっていればうれしいですね。

今日も上野

2007-10-18 23:53:17 | 美術・美術館
本日も上野に行ってきました。
今日は、友人といっしょにフィラデルフィア美術館展に行きました。
チケットは友人が新聞屋さんから招待券をもらったとのことで、それをいただき助かりました。

印象派から20世の美術までたくさんの作品があり、良かったです。
中でも、アメリカの絵画というのは、今まであまり記憶に残っているものがなかったので、興味深かったです。

ヨーロッパの光は、とてもきれいです。
日本の光はちょっと違います。
ヨーロッパほどきれいじゃない。
しかし、アメリカ大陸の光もヨーロッパほどきれいじゃなさそうだと思いました。
なんだか、昔の景色はかなり野蛮な感じですね。

ヨーロッパで絵の勉強をして日本に戻ってきた人たちが苦労するようですが、アメリカにもアメリカの苦労があるかもしれません。
そこに生まれる近代アートってのは、何か関係があるかもしれません。
今日の展示はそこまで新しいものはありませんでしたが、各国の美術史も勉強すると面白いだろうなと思いました。

美術館のあと、上野公園の近くにある、旧岩崎邸に行きました。
重要文化財になっている元三菱財閥の邸宅である洋館です。
明治29年に建てられ、関東大震災でもびくともせず、戦争でも焼けなかったそうです。
現在、外は修復中で残念でしたが、内部の彫刻や金唐革紙の壁紙など素晴らしかったです。
「金唐革紙」については、11月10日にテレビでも放送されるそうなので、ぜひとも見たいと思います。

建築っていうのも本当に興味深いものですね。
英国人、ジョサイア・コンドルが設計したもので、駒込の旧古河邸も同じ人の設計だそうです。
ボランティアのガイドのおじさんが丁寧に説明してくださり、とてもわかりやすく、楽しかったです。
見るものがいっぱいあって大変ですが、いろいろ見て歩きたいです。







しゃべれどもしゃべれども

2007-10-18 00:26:24 | 未分類過去
という映画がありましたね。
その映画が放映されたころ、
映画は見ずに
その原作を買ってきて読み始めたのです。
文庫本で、結構な厚みがありました。

半分くらい読んだかな~

先日、机の上にカバーをした文庫本を発見!
なんだろうと思ってひらいてみると
その本だったのです。

そのとき、その本を読みかけていたのを思い出しました。
中断してから何ヶ月もたってる。
しかし、いつ中断したのかも、
中断しているという意識もなく、
いつの間にか、その本の存在さえも忘れていた。

甚だ作者には失礼ですが、
本当に関心が自然消滅していました。

けっしてつまらないというわけでもなく
読んでいるときは楽しんでいたはずです。
しかし、全く無意識のうちに
何か別のことにまぎれて
忘れちまってた・・・・・

浴衣を着た主人公の姿だけが脳裏にちらつきます。

人をひきつけるおもしろい話、
おもしろい文
って、どういうものなんでしょうね。


おもしろいこととは

2007-10-18 00:04:37 | 未分類過去
面白いこととは何なんだ?
などと考えること自体つまらないことなんだろう。

どうしても、自分のブログがくどくて
うんざりするようなものになってしまう。

そこで、面白いブログの研究をしようとした。

短大の同期の同窓生に1人、芸能人がいる。
他の科なので、面識は全く無い。
この人は、本当に天才的である。
当然、ブログはおもしろい。

センテンスが短い。
くどくない。
明るい。
こだわらない。

これを見習わなくちゃいけない。

とは思ったものの、
やっぱり、私のまわりには
面白い話題がないな~

出世、そんなの関係ねぇ

2007-10-17 00:48:48 | 未分類過去
母に電話をしたときに、電話をくれたおさな馴染みの話になったのですが、その人のご主人が、今や地元で「○○支店長」のような地位についているのだそうです。
それで、「○○ちゃんのご主人は偉くなって~~」のような話が母からでてきました。
それはそれでいいのですが、その言葉の端には「それにくらべるとあんたの夫は転落の道を歩み・・・」のようなにおいがぷんぷんとしているのです。

先日実家に帰ったときに、「最近夫が朝早く起きて、早朝にテレビをつけたり、ものをがさごそ動かしたりして、うるさくて寝られない」と私が母に話したところ、「そうでしょう、あんたの家は狭いから。この家は広いからよく眠れたでしょう」などという。
「狭い家だから寝られない、広い家なら寝られる。狭い家に住んでるから不都合がある」話がそっちに行きますか?
私は、「寝ている人間に対して思いやりがあるかないか、もっと思いやりをもってもらいたい」といいたいだけで、狭い家だからいけないというのが趣旨ではないのです。
単に、夫が「早起きの年寄り」タイプのようになっちゃったんだ、と言っているだけです。
狭い家でも寝られるんですよ。

広い家に住んでいるかいないか、役職についているかいないか。
どうして、そういうことで人間の価値をきめるのでしょうか。
たまたま、出世した、たまたま転落した。
おなじように努力したって、結果が違うことはあります。

一方、実家の町に住んでいる別の同級生の子どもは高校を中退してしまったのだと母が言いました。
そこにいくとうちの孫たちはみんなまともに育っているなどというわけです。
それだって、中退したのはその子なりの理由や事情があるのであって、だからろくなもんじゃないとか親の育て方が悪いとか、そんなふうに決め付けられるものではないでしょう。

そういう表面的なことで、人を評価するのはおかしいです。





容姿、そんなの関係ねぇ

2007-10-16 23:41:31 | 未分類過去
用紙・要旨・養子・容姿・洋紙・陽子・・・・

「容姿」と書こうとしたら、上のような言葉がでてきました。
私のパソコンではこのような順番になっています。
つまり、私の生活では、まず「用紙」であり、次に「要旨」だというのがうなずけます。
ところが、姉の重要課題は「容姿」です。

さっき、実家の母に電話をしたところ、また「容姿」の話がでてきました。
小学校の同窓会のことで、おさななじみが私の実家に電話をかけて電話番号を聞き、私のところに連絡をくれたとのことだったので、友人との電話を切ってから実家にかけてみたのでした。

それで、同窓会があるから、それまでに美容にこころがけなくちゃね、というような話をしたところ、最近姉から電話があり、またいろいろと「容姿」の話になり、飛鳥ももう少し洋服や化粧に気を遣ったほうがいいと姉が言っていたとのことでした。実家の母は顔立ちはいいけど肌が汚いのが残念なことで、それも若いときからの手入れによって左右される、というのが姉の主張です。母に顔立ちが似ている姉は肌の手入れに力を入れているようです。そうやって、なんとか美貌を維持しようとがんばっているのでしょう。
そして、私について、生まれつき不細工な上に肌の手入れもろくにしていないので、年をとったら見られなくなるというような心配を姉がしているとのことでした。

そんなもん、余計なお世話です。
私はあまり容姿を美しくすることには興味がない。どの化粧品がよいかといろいろ試してみたり、どの服が一番ステキに見えるかなど、いろいろ買って試すお金もないし、そんなことに使う時間もない。というか、そういうことにお金や時間を費やす気がないのです。
しかし、姉はそういうことを私に強制してくるので、本当にストレスがたまります。

そのことを母に言ったのですが、母は一見わかったようでありながらも、姉に洗脳されていて、自分も同年齢の中ではなかなか姿勢がよく、スタイルも悪くはなく、きれいなほうなのだ、などと話しはじめました。
そういうことで、人と比べて優越感をもって何になるのでしょうか。
また、姉については生まれながらにかわいかったので父もよく可愛がったが、飛鳥は可愛がられないままいつのまにか大きくなって家を出てしまったのだ、などと言い出しました。
私は父に可愛がられなかったとは思っていないし、実際、父は顔が可愛いとか可愛くないとかで差別をするような人間ではありませんでした。
しかし、どうも母と姉は私に対して「容姿が美しくないから見劣りする」という感覚をどうしても無くすことができないようなのです。

私は幸いビューティーコロシアムに出るほどの悲惨な容姿ではありません。
三浦靖子か田島洋子くらいの容姿です。それで、容姿で人間を勝負しようとは思っていないのです。しかし、姉は「容姿」という土俵の上にわたしを引きずりあげて比べようとするのです。姉も母も客観的に見て大した容姿ではありません。にもかかわらず、容姿に関心をいだきすぎるのです。

ほんとうにうんざりします。



同級生

2007-10-16 22:39:33 | 未分類過去
昨日、ふと思いついて短大のときの同級生に電話をしてみた。
この人は、同じクラスではなかったのだが、お互いに短大の近くのアパートに住んでいて、しょっちゅう行き来していた。銭湯も同じだった。
自分の家に食べ物がないと、「何か食うもん無い?」などと言ってずうずうしくやってくる。
レポート提出の前夜にこいつがやってきて、そのせいで単位を落とした科目があるほどだ。
まあ、悪友である。
短大の同級生というのは、第一志望で入った人は少ない。だから、行きたかった大学に未練がある人も多かった。途中で退学して希望の大学を目指した人もいたようだ。
この友人は横浜にある女子大(フェリスと鶴見)を受けて落ちたのだという。それで、あるとき二人で出かけて行って、こっそり授業にもぐりこもうと考えた。
適当な教室に入って一番後ろの席に座っていたのだが、教授が入ってきたと同時に、ばれるのではと恐ろしくなり、そそくさと逃げ出した。そんなこともあった。
このあいだ、共立女子大の周囲をうろうろしてみて、昔のことを思い出し、それでこの人に電話をしたのだった。
お子さんは大学を卒業し、社会人となっているそうだ。彼女はフルタイムのパートタイマーをしているとのことだった。途中でご主人が帰ってきたので、電話を切った。

不思議なもので、今日は小学校のときの同級生から突然電話がきた。くわしくは、幼稚園からの幼友達である。小学校のときの担任の先生が今年で定年退職をするとのことで、ひさしぶりに同窓会を開催するとのことだ。
ほんとうに懐かしかった。ずっと連絡をとっていなかったのだが、まったく変わっていないような気がした。前回の同窓会のときは子どもも小さかったので、実家の母にみてもらって行ったのだが、今年はもう子供は東京においていくことができる。みんな年をとっただろうな。先生に会うのも楽しみである。

こういうことが続いて起こるというのも本当に不思議なことだ。


「青木繁」という人

2007-10-14 23:49:46 | 美術・美術館
「青木繁と画の中の女」(中島美千代)(TBSブリタニカ発行)を読み終えた。

青木繁というひとが、とびぬけた絵の才能を持ちながらも、生きることに不器用であり、結局は自滅の道に進んでいってしまう悲しい生涯に衝撃を受けた。

青木繁が描いた最盛期の絵は、現在重要文化財となっている「海の幸」と「わだつみいろこの宮」であり、当然評価が高い。しかし、その後、身を持ち崩してから描いた絵には精彩がなく、優れた作品は生まれなかったという。

しかし、肺病に冒され死を前にして、かつての自尊心高く他を顧みない性格を消し去り、病棟の人のために彼が描いたスケッチなどはどんなものだったのか。むしろそういうものが存在するならば、見てみたいと思った。

晩年は、生活の困窮と病気のために、彼が得意とした芸術性の所以であるところの虚像を創造することができなくなったのだそうだ。
だが、人間としての彼は洗練されたとも言えるだろう。晩年は多くの短歌を残しているようだが、素直な心がそのまま詠まれているようだ。

それにしても、画家を志した同年代の仲間たちが、当時画界で権威をもっていた黒田清輝の傘下などに入り、うまく世に認められていったのに、青木繁のみが転落していったのは、自業自得である部分もあるが、生まれながらに貧乏であった上に、性格の問題もあり、世渡りが下手で不運な人だったといえる。とくに媚びることなどしなくても、認められるチャンスはあったはずだが、彼の性格ゆえに、みすみす逃したともいえそうだ。

「たね」との出会いから別れ、認知しなかった子、交友関係、家族関係など、この事実を検証したノンフィクションは、作り物の小説を読むよりもすごい衝撃であり、人生を考えさせられるものだった。

今までに、青木繁について書かれた本はいくつかあるらしいが、この本はそれらとは少し趣を異にしているらしい。愛児を儲けながら籍を入れずに別れた妻「たね」については、悪女であったというものが多いが、実はそうではなかったというのが著者独自の検証のようだ。青木とたねの最終的別れに至るまでの経緯などよく検証されていると思う。

このあいだ、ブリヂストン美術館で青木繁の絵を見たときは、私は「海の幸」(1904)に惹かれて眺めていたのだが、多くの人はむしろ「わだつみいろこの宮」(1907)の前に集っていた。きれいな絵ではあったが、私には特に何も感じられなかった。この絵が海の中を描いているというのも、あとで知ったことである。

このようなおとぎ話のようなものは、私はあまり好きではない。その横に「大穴牟知命」(1905)があったが、これはとくに印象はなかった。そのほかに小さい海の絵が3枚ほどあり、「輪転」(1903)というのもあった。「輪転」は女たちが太陽の光のなかで戯れているような幻想的な絵だったのを覚えている。
そのときの展示はその6点だったようだ。

激しく短い生涯だったんだなあと、改めてその中で描かれたこれらの絵を思い返す。
また、別の絵も見てみたいと思う。

友人たちが遺作展を開こうとして、絵を集めようとしたところ、「わだつみいろこの宮」の額縁代が払われておらず、他の絵が差し押さえられたりしていたことがわかったなどというエピソードもあるそうだ。
今は青木繁の作品は石橋・ブリヂストン美術館が多く所蔵しているが、どのような経緯でここの所蔵になったかも知りたいものである。

青木繁の生涯をテレビドラマや映画などで描いてもらいたいとも思った。


ただいまの趣味「美術鑑賞」

2007-10-14 00:48:30 | トラックバック練習・ご意見板
趣味は何ですか?と聞かれると、今まで特に何もなくて困っていたのだが、このごろ腰を入れ始めたのが「美術館めぐり」だ。
いろいろな美術館のいろいろな展覧会に行ってみたいとも思うが、もうひとつは、行きつけの美術館を作ることである。

そこで、目をつけているのは、自転車で行ける範囲では「練馬区立美術館」である。
常設展示は無料で、企画展でも比較的安い値段なので、展示が変わるたびに出かけていくことができる。

そのほかには、竹橋にある「国立近代美術館」だ。
最近知ったことに1000円で1年間何回でも入館するカードがあるとのこと。有名な画家などの企画展は別料金だが、常設展示はこれで見ることができる。所蔵品はとても多く、一回行ったくらいではとても見切れるものではない。
そして、所蔵品ギャラリーの解説プログラムというのがある。これは、作家によるトークや、学芸員によるトークがあるそうだ。先日はガイドスタッフの方の所蔵品ガイドに参加してみた。参加者は10人くらいだったが、スタッフの方の誘導のもとに、絵を眺めながら、感想や意見を言ったりして対話をしつつ絵を観察し、解説などしていただく。

自分ひとりで見ているのと違って、いろいろな年代の様々な人がどのような感じ方をするのかということもわかって面白い。私はまだまだ絵の見方なども分からず、他の人の鋭い観察力やご意見を聞いて感心するばかりだった。これは、ざっと全作品を解説してもらうというのではなく、3~4枚の絵にスポットをあてて語り合うような形だった。そして、毎日やっているというので、そのたびに違う絵を見るのかもしれない。

このようなトークやガイドは、その年間1000円のカードでいくらでも参加できるわけだから、足しげく通うことができるのだ。いいものをみつけた。
また、第一日曜日は入館無料であり、ハイライトツアーというのもやっているそうで、その日を狙って通っている人も多いそうだ。

今、美術館や博物館は、遠足型から放課後型になろうとしている。つまり、年に1回とか数年に1回訪れるところではなく、毎日のように通う身近なところになろうとしている。
そういう点で、この二つは非常に通いやすい美術館だということだ。

近代美術館は、先日20年ぶりくらいに訪れたが、大昔見て記憶に残っていた絵と再会した。それは特に好きな絵でもなかったがなつかしかった。
自宅に絵画を置くような優雅な生活はできないが、その美術館に行けばいつも気に入った絵に会えるというのはいいものだ。

美術館めぐりのほかには、美術に関するシンポジウムとか講演会なども、ネットなどでみつけて参加している。事前申し込みをするものが多いが、これはすごく興味深い情報が得られるので貴重な体験だ。

ここしばらくは、こんなことに熱中しようかと思っている。


学士会館

2007-10-13 02:50:02 | 旅行・街歩き
道路の反対側の大きな建物の一部に「紅楼夢」という文字を見つけ、渡ってみました。「紅楼夢」って、中国の有名な小説じゃないですか?
近づいてみると、中華料理のお店のようでした。
この建物は歴史的な建物のようですね。
「学士会館」と書いてありました。
そういえば、こんな名前以前聞いたことがあるような気がします。
建物には飲食店や結婚式場などが入っているようです。
一角に東大発祥の地という石碑がありました。
再び道路を渡って戻り、建物全体を撮影してみました。


竹橋・神保町の空

2007-10-13 02:37:48 | 旅行・街歩き
女子大のそばを歩いていると、さらに日が暮れてきました。
歩いていると地下鉄の駅があったので行って見ると神保町でした。
このあたりは、小学館・岩波・集英社・三省堂などいろいろな出版社があるようです。
しかし、遅くなってきたので再び竹橋駅に戻ることにしました。
空には秋のうろこ雲がありました。
大学はあんまり絵にならないので、写しませんでした。