山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

適職占い

2007-10-07 17:30:27 | 未分類過去
数日前、脳内メーカーか何かから至ったサイトで、適職診断というようなのがあった。(今は残念ながら、もうみつけられなくなってしまった。)
それも、名前と生年月日のみで、適職を占うような当てにならないものだが、パーセントの多いほうから、3~4個くらい職業名が出てきたような気がする。パーセントとは適職度なんだろうか? それを、本名で占ってみたところ、一番上に出ていたのが「キュレーター」というもので、50何パーセントかだった。
だが、「キュレーターって何???」と思ったわけだ。
それで、この言葉を検索してみたところ、13歳のハローワークのページがでてきたのだった。
キュレーター
な、な、なんと、日本語で一番近い職業は「学芸員」らしいのである。
しかも、ただの館員というよりも、美術品の展覧会などをするときに、その段取りや、展示品を借りたり手配したりすることの交渉などをする人のことらしい。
放送大学で芸術や博物館関連の授業を取ってから、本当に学芸員の仕事に興味を持っていたし、最近、美術の展覧会にはまっていて、企画展というものに並々ならぬ関心を持っている私にとっては、気味が悪いほどぴったりの結果だった。
しかも、キュレーターを検索した時に、これまたはまっている作家、村上龍の13歳のハローワークが出てきたのには驚いた。
キュレーターなんて言葉、ちょっと前の職業案内にはなかったんじゃないだろうか。

この占いが当たるのかあたらないのか、夫や子供でやってみたところ、まるで関係ない職業ばかりが出てきてがっかりした。
でも、1番上でも20何%なので、そこに書かれている職業が彼らに合わないのは当然でもあると思えた。
私の場合、50%を超えているので、こりゃあ名前と生年月日による運命的な天職かもしれない。
しかし、この歳になってからじゃ、遅すぎるんだろうな。

思えば、文学や芸術を自分が渦中で創作するのではなく、それらに対する研究をしたいというのは、高校時代文芸学部に進学したいと思っていた頃からのものだった。
もともとそういうことが好きだったのであり、今初めて湧き出てきた趣味ではない。子育てが一段落して昔の意識がよみがえっただけのことなのだろう。

これから専門職にもならないので、ともすると老人の趣味みたいなことになってしまうが、
何かやってみたいものだと思う。

各占いを総合すると、3年後にプサンに芸術作品の展示の交渉にでも行くんでしょうか?

天国からのメッセージ

2007-10-07 16:50:44 | 未分類過去
天国からのメッセージ」というのをやってみました。
名前と生まれた年を入れると、人生を終え天国に行った自分からのメッセージが送られてくるというものです。
まず、本名でやると、私は2032年72歳で寿命を全うするとのことです。人生の転機は2010年の年末、出張で韓国の釜山に行くことだそうです。
3年後だからちょうど50歳ということですね。
そんな仕事してるんでしょうか?今の仕事では出張なんて考えられないので、転職でもしてるのかな?
ところで、韓国っていうのは実際、一度行ってみたい国なのです。近くて行きやすいし、韓国語の基礎も習っているから、言葉も少しわかるしハングルも少しは読める。日本語を教えた関係で、韓国人の知り合いもいました。
韓国に行って、その人たちに会うつもりはありませんが、韓国という国は日本と歴史的にも関係が深いので一度行ってみたいです。
そして、私が思っていたのは、韓国のチェジュド(済州島)に行きたい。それも日本の福岡から船で行ってみたいというものです。どのくらいの距離なのかを肌で感じてみたいからです。そんな船があるのかないのかよく調べてもみなかったのですが、今見てみると、福岡から済州島よりも釜山のほうが近いみたいです。九州から韓国の船旅となるとその経路になるのでしょう。
そうすると、この占いみたいなのは、まんざらデタラメでもなさそうな気がします。
実は、このサイトを知ったのは、ある人のブログを読んだからですが、その人も偶然ゆかりのある地名が出ていたとのことでした。
それから、私が亡くなるのは2032年だそうです。実は、私は20代のころ、不思議な夢を見たことがあるのです。それは墓石の夢なのですが、その墓石に32年2月22日だか、33年3月22日だか、とにかく3と2がずらずら並んだ数字が彫られていたのでした。私はその数字は何だったのだろうと目を覚ましてから考え続け、2月22日とか3月22日とかを要注意としてきました。昭和32年か33年のその日に誰か亡くなった人が何かを訴えているのかと思ったりしたのですが、そのうち平成になると平成32・33年は要注意だと思うようになりました。しかし、2032年のことかもしれません。

次に、山本飛鳥で入れてみました。2030年冬、ちょっとした怪我がもとで亡くなるのだそうです。70歳です。どっちもちょっと短いようです。85歳くらいまでは生きたいものです。2016年にある人と同居することになるのが転機だそうです。慎重に対処するようにとのことです。
大いに考えられるのは、実家の母親との同居でしょうか。あと9年後ですから、母は84歳です。これもありえない話ではありません。84歳の時点まで母が1人暮らししているくらい元気ならそれは良いことですね。
自分以外の人の未来は、恐ろしいので見ないことにしました。




芸術教育

2007-10-07 01:54:59 | 美術・美術館
有名な画家が、若い頃、普通の中学の美術の先生だったというのを聞いて、今思えばその教え子たちには、なんと貴重な体験だったか、などと思うわけだが、実際、一般的に美術の先生っていうものはどうなんだろう?と思うしだいだ。美術の先生というのは、本人自身どの程度作品を描いているのか?また、どのように生徒に指導しているのか?

自分自身の子供のころからの芸術教育を思い返してみると、まず、絵をほめられたのは幼稚園くらいだろう。幼稚園の先生は、チューリップ1つ描いても上手に描けたわね~とほめてくれるのだ。
しかし、小学校はどうか。私の小学校では毎年写生大会があり、そのときは全校生徒がいっせいに海のそばまで下りていって、一日かけて漁港の様子などを描いたものだった。その作品が展示されると、学年ごとに金銀胴賞が決まり、入賞作品には金・銀・赤の紙が張られる。私は銅賞を取ったことがある。
しかし、その絵について、描いている最中も描き終わった後も、先生から何か言葉をかけられたという記憶はまったくないのだ。もっとここをこうするとよいとか、どの部分がよかったとか、そういうことはまるで聞いたことがなく、ただ、単に総合的にできの良いものに賞が付けられて終りなのだった。
写生大会に限らず、図工の作品でも、ただ創作すれば、作品を提出して終了となり、創作途中での指導などされた記憶がない。
中学になると、デッサンなども始まり、先生もちょっと専門的な感じになり、多少指導らしきことをしてくれた。しかし、とおりいっぺんのことで、やはり個人の個性を引き出すなどというほどのアドバイスなどはなかった。
そして、思うことに、先生自身の作品というのは見たこともなく、先生のお手本というのもほとんど見たことがなかった。しかし、中学の先生ともなれば、美大などを出ていて何らかの専攻があったはずなのだから、とおりいっぺんの教育ではなく、むしろ先生の個性や特技を前面に出した授業をしてくれたらよかったのにと思う。

一方、音楽の授業であるが、中学のときは、女の先生がモーツアルトのピアノソナタK331、トルコ行進曲つきを、ピアノで実演してくれた。レコードを聴かされるよりずっといい。教師ではなく、ピアニストという音楽家としての姿は非常に新鮮な感動を与えるものだった。
高校のときは男の先生だったが、市で年末にベートーベンの第九の演奏会があり、バリトンのソロを歌った。ただの教師ではなく、声楽家というもうひとつの一面がみられてそれも新鮮だった。

芸術系の科目は、その教師自身のそれにとりくんできた姿が見えることがいいのではないかと思える。
音楽はその場で演奏するということがしやすいといえるが、美術などはなかなか披露する機会がないのかもしれない。
しかし、美術の教科書の中の写真よりも、先生本人の作品や創作段階を実物で見せてもらえたら、もっと興味深いのではないだろうか。
学校外での展覧会出品などを紹介してくれるのもいいだろう。

芸術科目の先生というのは、単なる先生ではなく、芸術家であってほしいものだ。