山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

容姿、そんなの関係ねぇ

2007-10-16 23:41:31 | 未分類過去
用紙・要旨・養子・容姿・洋紙・陽子・・・・

「容姿」と書こうとしたら、上のような言葉がでてきました。
私のパソコンではこのような順番になっています。
つまり、私の生活では、まず「用紙」であり、次に「要旨」だというのがうなずけます。
ところが、姉の重要課題は「容姿」です。

さっき、実家の母に電話をしたところ、また「容姿」の話がでてきました。
小学校の同窓会のことで、おさななじみが私の実家に電話をかけて電話番号を聞き、私のところに連絡をくれたとのことだったので、友人との電話を切ってから実家にかけてみたのでした。

それで、同窓会があるから、それまでに美容にこころがけなくちゃね、というような話をしたところ、最近姉から電話があり、またいろいろと「容姿」の話になり、飛鳥ももう少し洋服や化粧に気を遣ったほうがいいと姉が言っていたとのことでした。実家の母は顔立ちはいいけど肌が汚いのが残念なことで、それも若いときからの手入れによって左右される、というのが姉の主張です。母に顔立ちが似ている姉は肌の手入れに力を入れているようです。そうやって、なんとか美貌を維持しようとがんばっているのでしょう。
そして、私について、生まれつき不細工な上に肌の手入れもろくにしていないので、年をとったら見られなくなるというような心配を姉がしているとのことでした。

そんなもん、余計なお世話です。
私はあまり容姿を美しくすることには興味がない。どの化粧品がよいかといろいろ試してみたり、どの服が一番ステキに見えるかなど、いろいろ買って試すお金もないし、そんなことに使う時間もない。というか、そういうことにお金や時間を費やす気がないのです。
しかし、姉はそういうことを私に強制してくるので、本当にストレスがたまります。

そのことを母に言ったのですが、母は一見わかったようでありながらも、姉に洗脳されていて、自分も同年齢の中ではなかなか姿勢がよく、スタイルも悪くはなく、きれいなほうなのだ、などと話しはじめました。
そういうことで、人と比べて優越感をもって何になるのでしょうか。
また、姉については生まれながらにかわいかったので父もよく可愛がったが、飛鳥は可愛がられないままいつのまにか大きくなって家を出てしまったのだ、などと言い出しました。
私は父に可愛がられなかったとは思っていないし、実際、父は顔が可愛いとか可愛くないとかで差別をするような人間ではありませんでした。
しかし、どうも母と姉は私に対して「容姿が美しくないから見劣りする」という感覚をどうしても無くすことができないようなのです。

私は幸いビューティーコロシアムに出るほどの悲惨な容姿ではありません。
三浦靖子か田島洋子くらいの容姿です。それで、容姿で人間を勝負しようとは思っていないのです。しかし、姉は「容姿」という土俵の上にわたしを引きずりあげて比べようとするのです。姉も母も客観的に見て大した容姿ではありません。にもかかわらず、容姿に関心をいだきすぎるのです。

ほんとうにうんざりします。



同級生

2007-10-16 22:39:33 | 未分類過去
昨日、ふと思いついて短大のときの同級生に電話をしてみた。
この人は、同じクラスではなかったのだが、お互いに短大の近くのアパートに住んでいて、しょっちゅう行き来していた。銭湯も同じだった。
自分の家に食べ物がないと、「何か食うもん無い?」などと言ってずうずうしくやってくる。
レポート提出の前夜にこいつがやってきて、そのせいで単位を落とした科目があるほどだ。
まあ、悪友である。
短大の同級生というのは、第一志望で入った人は少ない。だから、行きたかった大学に未練がある人も多かった。途中で退学して希望の大学を目指した人もいたようだ。
この友人は横浜にある女子大(フェリスと鶴見)を受けて落ちたのだという。それで、あるとき二人で出かけて行って、こっそり授業にもぐりこもうと考えた。
適当な教室に入って一番後ろの席に座っていたのだが、教授が入ってきたと同時に、ばれるのではと恐ろしくなり、そそくさと逃げ出した。そんなこともあった。
このあいだ、共立女子大の周囲をうろうろしてみて、昔のことを思い出し、それでこの人に電話をしたのだった。
お子さんは大学を卒業し、社会人となっているそうだ。彼女はフルタイムのパートタイマーをしているとのことだった。途中でご主人が帰ってきたので、電話を切った。

不思議なもので、今日は小学校のときの同級生から突然電話がきた。くわしくは、幼稚園からの幼友達である。小学校のときの担任の先生が今年で定年退職をするとのことで、ひさしぶりに同窓会を開催するとのことだ。
ほんとうに懐かしかった。ずっと連絡をとっていなかったのだが、まったく変わっていないような気がした。前回の同窓会のときは子どもも小さかったので、実家の母にみてもらって行ったのだが、今年はもう子供は東京においていくことができる。みんな年をとっただろうな。先生に会うのも楽しみである。

こういうことが続いて起こるというのも本当に不思議なことだ。