山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

いつもの状態に

2007-01-24 22:40:01 | 未分類過去
きょうは、納豆売り場がいつもの状態に戻っていた。
生協の納豆も売っていたが、おかめ納豆がセールだったので、おかめ納豆を買った。

きょうは残業1時間半。
一連の関連文献の大群をやっと消化し、ほっとして帰ってきた。3日間、大変だった。
手元に10件以上も仕事が溜まっていて、毎日落ち着かなかった。
やってもやっても終りがない、こんな状況は初めてだった。
それが、やっとすっきりした。
まだ、別の文献が2件残っていたが、今日中というわけではなかったので置いてきた。
明日は休みだが、別の人の手が空いていたらやってくれるとのことだ。

2時間くらい残業をすると、周りの社員さんも遅くまでありがとうなどと気を遣ってくれ、自分でも、かなり多く働いた気がするのだが、正社員の労働時間と比べると、けっして長くはない。普段、楽をしすぎているということだろう。

明日は羽を伸ばそう。


この猫のブチ模様は面白いですね。
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きょうもおんなじ

2007-01-23 22:38:25 | 未分類過去
きょうも残業2時間。

仕事はあしたの分もいっぱい、
やりきれないほどある。

きょうも納豆が売り切れ。


あの公園の猫たち、
きょうも元気にしてるかな。
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納豆がない!

2007-01-22 23:59:14 | 未分類過去
あんなことがあったので、今度は納豆が売れ残っているかな?と思ったら、なんと、きょうはいつも行くスーパーの納豆売り場が空っぽになっていました。
納豆ダイエットが話題になったころでもいっぱいあったのに、今頃なくなるのはなんでだろう?
しかも、昨日までたくさんあった生協の納豆が品ぎれで、逆に普通のメーカーの納豆は少しだけありました。
もしかしたら、品薄になりつつも無理して生産を追いつかせていたのが、いよいよ追いつかなくなったのか、それともダイエット効果の偽装が発覚したあと、売れなくなると予期して発注を減らしすぎたか。
実は、私はいっぱい売れ残った納豆が安くなっていないかな~と思って期待してたんですが、そうではありませんでした。
それとも、安くして売りきれちゃったのかな?
いつも買っている生協の納豆がないので、今日は買うのをやめました。
なんで生協のを買うかというと、単に安いからです。残っているのは特に高いものでした。まだ1パック家に残っているし、明日でもいいです。

そういえば、品切れになっていたのはその隣の豆腐もそうでした。だから冷蔵庫が空っぽって感じでした。
そして、そういえば、私が買物をしたのは7時半くらいでした。8時の閉店前です。
そうそう、今日は残業を3時間近くもしたうえに、そのあと銀行でお金を下ろし、こどものレンタル卒業袴(高校生なのに皆、袴を穿くんだそうです)の支払いを済ませてからスーパーに寄ったので、いつもよりもずっと時間が遅かったのです。
つまり、もしかしたら、冷蔵庫が空っぽになっているのはその店では普通なのかもしれません。普段は4時過ぎですから、状況も違うのですね。
でも、閉店前に品切れになっちゃうのは、あんまりよくないでしょうね。本当はもっと売れる可能性があるってことだし、印象が悪いです。
あの店は行っても品物が揃ってないから、やめようと思うようになってしまいますね。

遅くなったから、もうメンチやフライドチキンなどできたものを買ってきました。
店員さんがバラで売っているお惣菜をパックにつめてサインペンで値段を書いていたので、安くしているのかな?と期待したのですが、単にパックしているだけで値段は同じでした。ただ、大きなトレーを片付けたかっただけのようです。
閉店間じかにお惣菜を買う独身サラリーマンなどが多いので、値下げする必要がないんでしょう。

きょうの仕事は、ものすごく忙しかったけど、夕飯は手抜きにしたので、あまり疲れませんでした。

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納豆ダイエット

2007-01-22 00:49:51 | 未分類過去
テレビでやってた納豆ダイエットのデータが捏造だったそうで、信じてやってしまった人ががっかりしているようです。
私はこの番組は見ていなかったのですが、たぶん見ていても実行はしていなかったと思います。
納豆は好きです。1日1回くらいは食べます。でも、ごはんもいっしょにもりもり食べてしまうので、ダイエットにはならないでしょう。
話に聞くと、テレビで紹介された方法はかきまぜて20分くらいおいて熟成させるとかいうことで、こういうのは私の性格では絶対に無理です。
朝は時間的にぎりぎりで、納豆はかき混ぜるだけで、調理もせずにそのまますぐ食べられるから食べているんで、もし20分も待たなければいけないのなら、その時間に別の料理を作るだろうと思います。
そのほかによく食べる朝ご飯のおかずというと、シーチキンです。缶の蓋をあけて醤油をちょっとさしてそのままご飯と一緒に食べます。あと、秋刀魚のかばやきの缶詰とかです。
パンの時は、作ってもハムエッグくらいです。その他には、つゆの素で玉うどんか蕎麦、ぞうすいの素でぞうすいなど、5分くらいで作れるものに限ります。
おにぎりも時々作ってたべます。

納豆ダイエットがテレビで紹介されたのは最初知らず、いつも会社の帰りによる生協のスーパーで普段どおり納豆を買って帰っていました。
その後、会社の同僚がどこのスーパーも納豆が売り切れになり、空っぽの売り場にお詫びの紙が貼られていて買うことができない、などと話していました。
えっ、何がどうなったの?納豆がなんで?私はきのうも普通に買って帰ったけど・・・?
と不思議でした。
同僚たちは電車やバス通勤で駅前の大手のスーパーなどで買物をしているようです。
でも、私は自転車通勤途中に駅裏の駅から少し離れた生協がやっている小さいスーパーで買いものをして帰ります。そこではあまりテレビの影響がないようでした。
その後、よく見ると確かに普通のメーカーの納豆は品薄になっているようでしたが、それでも全部売り切れてしまうようなことはなく、また、生協独自の納豆はいつもと同量陳列されていました。
私はいつも生協の納豆を買うので、今回のことで、なんら影響をうけませんでした。

以前スーパーに勤めていたときは、やはりテレビで健康に良いと取り上げられた品物が、とたんに売りきれるという現象がありました。あらかじめいつテレビ放送がされるので多めに発注すること、などという予告情報が回ってきます。
そのころ売り切れてこまったのは、こうや豆腐でした。そのあとマシュマロが取り上げられるからいっぱい入荷しておけといわれたことがありましたが、それほど売れませんでした。気候が不順で野菜の値段が高騰したときは、普段めだたないところにひっそりと売っている切干大根がすごく売れて売り切れ状態が続くという信じられないようなこともありました。

今回納豆はたくさん売れたようですが、番組での捏造が発覚し、またちょうど飽きてきたこともあり、逆に今度はしばらく納豆離れになるのではないかなと思ったりします。
でも、私はいつもと変わらず買い、いつもと同じように食べるでしょう。
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「千の風」と靖国神社

2007-01-21 09:55:13 | 未分類過去
「千の風になって」の歌詞を聴いて、正直言ってまず思い出したのは靖国神社参拝問題だ。

靖国神社に行って手を合わせないでください。
そこに私はいません、神になんかなってません。

などという詞が浮かんできてしまうのは、私だけだろうか?

戦死者の家族でも、靖国神社ではなく自分の家のお墓にいるんだと主張する人がいる。
勝手に英霊として祀られているだけだから、関係ないと思っている人もいるようだ。

そんなことを書くからと言って、私は靖国参拝にむやみに反対する者ではない。
なぜなら、戦後60年以上になる今日まで、戦死者をまとめて祀ってきたのは靖国神社なのだから、そういう経緯や歴史をチャラにして今さら新しい慰霊施設を作ればいいというものでもないように思う。やはり、消しきれない歴史というものがある。それが、重大な問題点を抱えていてもしかたがないのではと思う。その問題を抱え続けること自体が、戦争というものの複雑さを忘れずにいることにつながっているのかもしれない。周辺国との摩擦や解決できない問題をすっきりさせたいとは願うものの、そもそも、そう簡単に過去を清算することなどできるはずがない。

さらに、靖国神社は、軍人や兵士自体が、国のために命を懸けた後は靖国に帰る、といって出征していったわけで、そのような内容の辞世の句を詠んでいる人も多い。その句が、軍国主義の中で無理矢理詠まされたとか、洗脳されていたのだとかいう人もいるが、そのへんも難しい。本気で自らそう思っていた人もいるだろうし、そういう勢いにのまれた人もいるだろうし、そう思わざるを得なかったひともいるだろう。
とにかく、生前に「死後は英霊となって靖国にいます」と言って、本当にそう思って戦死した人もいることは確かだろう。

どの死者も、おそらく千の風になっていると思うが、靖国神社も自宅の墓も存在し、そこに眠っているという解釈も否定できないのが現実であり、靖国神社をどうするか、参拝をどう捕らえるかという問題を無くすことはできない。

話は変わるが、外国人が靖国参拝を軍国主義の肯定としか認識できないことが、大きな摩擦の原因であると思う。そこに参拝すれば、その誕生から現在にいたるその施設のもつ性質のすべてに参拝者が賛同していると思いこんでいる。
しかし、そこに行って頭を垂れることは必ずしもそういうことを意味しているわけではない。小泉元首相などは「英霊を顕彰する」ための施設に行って、「戦争犠牲者を追悼する」という行為をしているのであり、そこにズレがある。そのズレを理解し受け入れることができる人とできない人が存在する。
中には本当に英霊を顕彰している人も存在するだろうから、単に靖国参拝に賛成するしないの2種類で人間をわけることはできない。
中国や韓国のひとに、日本人の行動様式や心の中まで理解してもらうのは大変なことだ。

それにしても、いろんなしがらみをふっと忘れて、千の風になっていると感じることができたときに、安らぎがあるような気がする。

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HPでの再会

2007-01-21 01:15:57 | 未分類過去
30年近くも前に別れたきり会うこともなかった人の姿を、このネットの中で発見するとは、本当に信じられない出来事です。
それは、その人が勤めている会社のHPとその人の知人の個人ブログの中にあったので、その人がとくに有名人になったからだというわけではないのですが、本当にびっくりしました。本人が自分をのせているわけでもなく、その人自身が自分について書いているわけでもないのですが、その人の人柄と今現在の日常の仕事ぶりが、偶然にも他人の手によってかかれ、それを知ることができたのでした。

私がその人に片思いをしていた中学3年の時には、修学旅行で京都の金閣寺の庭を歩いているところを、友達に頼んで隠し撮りしてもらったくらいです。
そして、その写真は今でも中学時代のアルバムに張ってあります。
それは、横顔で、学生服を着ている写真です。

高校のときのある日、偶然ばったり見かけると、そのひとは中学のときにはかけていなかったメガネをかけていました。目が悪いなんて知らなかったので驚きました。
髪の毛は、中学は坊主頭でしたが、高校になると一旦パーマがかかったようになり、その後スポーツ刈りになったりしました。

HPとブログの中の写真には、普通の髪型をしてメガネをかけた写真が載っていました。
私の記憶の中には、あまりメガネをかけていたという印象はありませんでした。別人かと思いましたが、そういえば高校時代からメガネをかけていたんだと思い出しました。

写真を見るとかなり子供が好きなようでした。子供好きだという話は聞いたことがなかったのですが、きっと昔から子供が好きだったのでしょう。

運動神経は、運動部でしたが、特別に優れているというほどではなかったとおもいます。
ブログによると、本人自身が練習熱心であり、誰に対しても親切に根気強く教えるところが、一番人気のコーチであると書いてありました。きっと、自分自身が選手になるよりも、教えることがうまいプロなのかもしれません。

自分の決めたプロの道に進むためには女は禁物と言っていましたが、本当に結婚もしないで頑張っていたんでしょうか。自分の好きなことをしていると、若いうちは妻子を養うほどの収入はなかったのかもしれません。

その人に会うためには、そのスポーツクラブの生徒になるという手があります。
でも、私はそのスポーツはしないので、レッスンを受けに行くことはありません。
場所は行けない距離ではありませんが、けっこう遠いです。
今後は時々HPを開いて、掲載写真の姿を見ることになりそうです。

ストーカーか?

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墓の話

2007-01-20 22:49:54 | 未分類過去
「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません。眠ってなんかいません~」という歌詞で始まる、今話題の「千の風になって」について。

死んだ人は墓にはいなくて、風などの自然の一部になっていているということだ。
だから、身近なところで見守ってくれたりしているわけだ。

確かに、私も父が死んで、もはや肉体がなくなった後、父はこの空気の中に溶け込んでいると感じた。だから遠くに行ってしまったという気はしなかった。

でも、墓には死者の骨が安置されているので、そこに魂があると感じるわけではないが、墓参りに行ったときは、さもそこに在宅(?)しているかのようにおまいりする。
夫の母と兄は、私の実家近くに夫が買った墓に一緒に入っており、あの世で同居できているから、寂しくないだろうなどと思ったりする。
夫の父は、夫がまだ小さい時になくなり、自分の実家の先祖の墓に入ったまま、今現在もそのままになっている。昔の墓だから骨を骨壷などにいれず直に土に埋め、その後新しい墓を作り直したりして、先祖の骨はごちゃ混ぜというか、すでにただの土になってしまっているようだ。今ではもはや義父の骨を改葬することは実質上困難であり、するとしても形式的な改葬となる。
だが、生前夫の母は、将来人が墓標をみたときに、私生児のように思われたらいやだから、改葬の手続きをしてお父さんの骨を持ってきてねというようなことを言っていた。
しかし、東北の墓から静岡県の墓にもって行くのは、東京に住んでいる私たちにはなかなか面倒なことであり、いつできるかわからない。

ところで、変な話だが、この歌のせいで墓参りをしなくなる人が増えるかもしれないなどという声も耳にした。確かにこの歌を聴くと、死者は墓にいないんだと納得し、我が家の場合は、苦労して埋葬したものを移動する意味もないように感じたりする。

この歌は、真面目な歌だが、我が家ではそのほかにもいろいろと現実的なことを思い起こす。実は、うちは夫の母と兄の入っている墓には石塔を建てていない。母がなくなりもうすぐ2年になる。最初は一周忌までに建てようと思っていたのだが、これも墓の場所が遠く、なかなか石材屋などにいっている暇もなく、事がすすまない。また、もっと大きな理由としては、予算がない。
この歌で「墓になんかいない」と聞くと、逆に「墓にいたとしたら」という発想が生まれてしまうのがおかしい。もし墓に母と兄がいるとしたら、石塔のない墓で周囲に肩身の狭い思いをしているかもしれない。死者が墓地で暮らしているとしたら、近所づきあいもたいへんだろうな。「墓になんかいない」ということになれば、死者が周囲の墓の住人と共存するのに苦労することもなかろう、などと思うわけである。
とりあえず、墓は子供が就職して自立し、もう教育費がかからなくなった時点で貯金が残っていれば、それで建てることにしようと夫婦で言っている。亡くなった人には悪いけど、生きている人間のことを優先にさせてもらうと夫は言う。亡くなった母たちもそれで承諾してくれるはずだ。死者は墓にはいない。墓を建てるのは生きている人間の世間体みたいなもんだ。

この歌は、「死者からのメッセージだ」という人がいる。死者からのメッセージってことはなかろう。もしかしたら死にゆく人が死後を思って書いたのかもしれないが、生きている人間が書いたことに間違いはない。
だから、死んだらどうなるかなんてことはわからない。この歌は生きている人間が作ったなぐさめである。

そういうわけで、すごくまじめで癒される歌でありながらも、私にとっては、なんだかいろんな雑念を連想させる歌である。

(関連 墓のこと    続 墓のこと
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裸体の話

2007-01-20 14:02:14 | 未分類過去
ひきつづき、DJOZMAの裸踊りの話になります。
紅白というのは、とにかく衣装のパフォーマンスで勝負するという要素があります。
どんなすごい衣装を着てでてくるかというのが、視聴者の楽しみでもあります。
いったい、一番人間を美しく見せる衣装とはどんなものでしょうか?
それで、すごい装飾、すごい色彩、すごいデザインの衣装を用意する出演者が多いでしょう。懲りすぎて身動きのできない装置の一部のようになってしまっている人さえいます。
人間の肉体、人間の活力を表現するとき、人間が生きている喜びを全身で表現するとき、その原点であり、もっとも美しいものは、「裸」ではないでしょうか?
しかし、裸そのもので出演することはできないのですから、裸をあらわす衣装を身につけるという究極の発想が起こるでしょう。
そこの何が悪いのか私にはわかりません。

昔、黒柳徹子さんが、「徹子の部屋」で裸の胸がすけすけになっている服を着ていてぶったまげたことがあります。よくよく見ているとそのように見える印刷が施された、そういうデザインの服でした。ゲストを招いて対談する番組にそんなものを着る必要はないともいえます。でも度肝をぬかれたりすることも楽しいです。

天上のビーナスは裸であり、地上のビーナスは服を着ている。
裸は神聖であり、服を着ているほうが俗であるという考えもあります。

日本の風土として、昔から開放的な民族だったのではないでしょうか。
人前で乳房を出して授乳するなどということは普通だったし、露天風呂の混浴などもするおおらかな民族なんじゃないでしょうか。

他の国々でも温かい地域では日常女性が乳房を露出して裸に近い格好で生活しているところだってあります。そういうのを見ても何もいやらしさは感じません。

リオのカーニバル。女性がどの程度乳房などを露出しているかどうかは知りませんが、やはり肉体美を発散しているという感じがします。そこにいやらしさはありません。

お祭です。パフォーマンスです。それ以外の何ものでもないでしょう。
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NHK紅白「千の風」と「アゲアゲ」 

2007-01-20 12:51:01 | 未分類過去
新井満 訳詩 作曲「千の風になって」
「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません、」という言葉から始まるこの歌に癒されるひとが多く、最近話題の中心になっている。
詩もいいが、それをのせているメロディーが非常に自然な流れである。
日本語の言葉の高低に逆らわず語るように歌えるメロディーとの調和がすばらしいといえる。クラシックの声楽家秋川雅史氏は当然ながら美しい歌声だが、姿も美しく、人を感動させとりこにさせる。NHK紅白で歌われたこの歌には愛と品格があった。
この歌を日本中に知らしめたのは他でもないNHK紅白である。NHKの役割は高く評価されていいだろう。

だが、巷ではNHKに対する批判の話題が殺到している。
OZMAの「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」の方は、まるで女性の裸体に見えた衣装でのダンス入りの歌が非難の的となり、下品でわいせつ物陳列罪に近いような扱いである。
私は見ていて驚きはしたが、どちらかというと爽快だった。全くワイセツという気はしなかった。生まれたままの姿で元気に楽しもうっ!って感じに思えた。NHKもずいぶん変わって一皮むけたかなと思ったくらいだ。強いて言えば股間に貼り付けたきのこみたいなものが見苦しかったが・・・。
以前他の局で初めてOZMAを見たときには、パンツで歌う下品なやつらだくらいに思っていたが、紅白の時には正直言ってすごい迫力とオーラだった。初めから目が離せない。裸姿になる前から、歌も踊りもプロだ!と思った。だから、くだらないものを見せているんじゃない。あの踊りは馬鹿騒ぎではなく芸術の域に達していると思う。その辺をNHKの関係者は自信を持って主張してもらいたい。知らなかったなどと言い逃れしたり、一部の人が文句を言ったから詫びるとか、知識人の意見を聞いて是非を判断するとかではなく、自分たちの姿勢や意見をはっきりさせるべきだ。
一部の人間の受取り方や体裁ではなく、アーティストが何を発信しようとしたかが重要だ。
私はあれが日本人の若者の自由健全、人生肯定のパワーでもあると思った。
あれを見ていて、すごい元気をもらった人は多かったはずだ。

そして、はっきりいえることは、「千の風」も「アゲアゲ」も現代日本の文化に違いないのであって、そのどちらか一方でもなく、そのどちらか一方でないことをよろこぶべきだと思う。
それらを日本の年末行事を代表する紅白歌合戦に登場させたのはNHKの役割であり価値であり、ちゃんとそれを全うしているのだ。
DJOZMAを抹消するとしたら、それは本当の日本の姿ではない。
表面上の品格を守ることに、どれだけの意味があるだろうか。

(千の風の詩の内容について書こうと思ったらまた別の話になってしまいました。)

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教育格差

2007-01-20 02:55:38 | 未分類過去
お金持ちと貧乏人との間に教育格差があるのは歴然としているが、都会と地方の教育格差もまた激しいものだ。
地方に住んでいると、どんなにお金があったところで、予備校も塾もないわ、大学はないわ、一流大学に通う大学生の家庭教師などはいないわで、子供に勉強意識や競争意欲を植え付けたりするのが難しい。

逆に都会には住んでいても、貧乏な者は塾も家庭教師も関係ない。できるだけいい学校に入ろうとたくさんの学校を受験するということも不可能だ。受験料を出すのも苦しい。それで、小さい頃からお金のかからない無難で安全な進路を選んでいく。まあ、うちなんかの場合、田舎に住んでる人と同じことだ。

だから、都会に住んでいて、かつお金のある家庭の子というのが、学力を上げるという意味での万全な教育を受けることになる。


過去のことを思い出したついでに、私の青春にとってA君と共に重要な存在であったB君のことを書こうと思う。

B君は秀才であり、今や故郷で医院を開き、院長になっている。
普段はまったくやり取りはないが、年に一回年賀状だけは送られてくる。その辺はさすがに几帳面なB君らしいところである。医院のはがきではあるが、近況が手書きされている。
その年賀状で知ったところ、B君の妻子は東京に引っ越したそうだ。というか、B君も週末になると東京の家で家族団らんの生活を送っているとのことだ。つまりは、平日のみ田舎に単身赴任しているといったほうがいいだろう。
思うに、お子さんは高校に入るくらいの年齢になっているはずである。おそらく東京の学校に進学したか、進学するべく子供の教育のために引越してきたのであろう。そして、いかいもそうまでして子供の環境を整えようとするようなタイプなのだ。だが、確かにそうでもしなければ子供に全国的なエリートコースを歩ませることはできないだろう。

やはり、田舎ではだめなのだ。どんなに優秀でも十把一絡げであののんびりした母校にはいるしかないんだから・・・。越境してトンネルを越え山を越えて2時間かけ、田んぼの中のエリート校に通ってもあまり効果はない。だから東京に引越してきたのだろう。

故郷の田舎=活気がなく寂れて人が成長できないところ。今では無人駅も多くなっている。・・・どうしたらいいかなあ。
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高校偏差値

2007-01-20 00:50:39 | 未分類過去
昔のことを思い出したついでに、ネットで母校を検索したりしていたら、全国高校偏差値なるものが出てきた。
自分の母校が今現在どのくらいの偏差値であるかは、気になるところである。
私の田舎では、東京と違って普通に通える範囲の公立高校は3校くらいしかない。
だから、300人以上いる同じ中学の生徒の大部分は、数十人ずつ分散してそれらの高校に入っていくことになる。ごく少数のエリートが越境して遠くの高校に進学し、また、公立高校に入れない人や変わり者が遠くの私立校に進学する。そういう子は始発電車で通うとか、下宿するとかしなければだめである。その状況は今も変わっていないだろう。

普段、うちの子を見ていて、自分より馬鹿だよなと思っていた。
私も成績は大してよくなかったが、中学内の実力テストなどの順位からいくと、私のほうが子供たちより出来がいいといえる。
それで、子供たちは大したこともない高校に入ったわけだ。

今まで、自分の故郷の高校の偏差値というのはなかなか資料がなかったので、うちの子の高校と比べることはできなかったが、ずっと上であると思いこんでいた。
きょうはそれを見ることができるので、子供たちに自慢してやろうと思った。

ところがである、びっくり仰天!
馬鹿だと思っていた子供たちの高校のほうが、私の出身高校よりずっと偏差値が高いのだ。ウソだろう。いったいどうやってこの数値を出しているんだろうか。

しかし、それが現実か。やはり都会と田舎の差なのであろう。
確かに大学進学率など見ても東京と田舎では差が歴然だ。

都会の子は子どもの頃から皆塾などに行っているし、地域全体の意識が違う。
私の故郷は、ある掲示板では全国で最低の学区などとバカにされていた。
地元ではエリート高とされているが、全国的に見るとかなり程度が低いという問題地域らしい。
そういえば、昔から「素質はあるのに意欲が足りない」というのが母校のカラーだったことは確かだ。教員も生徒ものんびりちんたらしているわけだ。それは今も変わらないかさらにひどくなっているらしい。

自分の母校にはがっかりだが、バカ高校だと思っていた子供の高校の偏差値が意外にも自分の高校より高かったのは、逆に嬉しかった。
変なもんだな。

それにしても、こういう偏差値表は、公立の滑り止めにしている私立校のほうがずっと偏差値が高く記入されているのに驚く。それはおかしい。

地域の誤差や、公立と私立の誤差ははげしく、あてにはならないものと見た。
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手放せないもの

2007-01-19 22:46:42 | トラックバック練習・ご意見板
日常無いと困るという意味で手放せないものは、「老眼鏡」。
これがないと、校正の仕事はもちろんできないが、新聞のテレビ欄も見えないし、レストランのメニューも見えないので、生きていけない。
ブログも書けない。

別の意味で手放せないもの、つまり、処分するとか人手に渡すとかして自分のものではないものとすることができないもの、つまり、記念の品、思い入れのある物。

それは何かというと、レッサーパンダのマスコット。
これは、短大1年の時に同級生の男子からもらったものだ。
一緒にドライブに行った時に買ってもらった。
そのとき、本当は黒っぽいモンチッチかゴリラみたいなのをを買ってくれようとしたのだが、私は茶色いレッサーパンダを希望した。
その人は中学2年のときに同じクラスだった人で、以前このブログに書いたこともあるA君である。
短大1年の夏休みに、冬休みに帰省したら連絡してと言われたが、私が連絡しないまま、そっちからも連絡がなかったままの人だ。

A君は今何をしているのか?

それが、今日すごい発見をした。A君は高校のときからあるスポーツのプロになりたいと言っていた。プロになるなんて大変なことだから内心たぶん無理だろうと思っていた。
しかし、以前からネットで、彼が取り組んでいたスポーツと彼の名前を入れて検索すると、あるスポーツクラブのプロコーチとしてヒットすることは知っていた。
しかし、それは同姓同名かもしれないと思っていた。

だが、今日、またやってみると、ある知らない人のブログが出てきて、その人のブログの中に、その人が出入りしているスポーツクラブのプロコーチとしてA君が出ていたのだ。そこには生徒を指導している姿が写真として載っていた。体格好が似ているが顔はよく見えない。
単に似ているだけかもしれないと思って、そのブログをどんどん遡ってみていくと、あまり大きくは載っていないのだが、顔もやはり似ているように思えた。
そして「一番熱意があるコーチで、独身だがなぜか子供の指導は抜群で、子供の信頼を得ている」と絶賛されていた。
A君は確かに明るくて面白い人だったから、子供が懐きそうである。だが、独身なんて信じられなかった。その人のブログは2年くらい遡ってみてしまったので、ものすごい閲覧数になってしまい、きっとそのひとは驚くことだろう。

その後、そのスポーツクラブのホームページを開いてみると、以前はなかった講師の写真入紹介が載っていた。おじさんになっている。しかし、確かにA君に違いなかった。

やっぱり、プロになったんだ! すごい!
自分の決めた道をしっかり進んだんだ!

やっぱり私の目に狂いはなかった。人から信頼され必要とされる立派な人になっている。

今後、A君に再会することがあるかどうかはわからないが、私もA君のがんばりに負けないように生きていきたい。
自分の専門分野で活躍し、ネットで検索したら本名がヒットするような人になりたい。

A君からもらったレッサーパンダはますます手放せず、励みにしていきたい。



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何の実?

2007-01-18 22:57:42 | 植物・花・木
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風見しんごさん

2007-01-18 18:54:38 | 未分類過去
昨日、風見しんごさんのお子さんが交通事故で亡くなったというニュースを聞き、並々ならぬショックを受けた。
つい最近、テレビ番組に風見しんごさんが出ていて、お嬢さんのことを楽しく話しておられたからだ。
そのときの話では、小学5年生の長女えみるさんは最近ダンスに興味をもち習っているとかいうことだった。ちょっと前はモーニング娘が好きで、風見さんがモーニング娘のビデオなどを録画してあげたりするときに、自分の若いころの踊りながら歌っているものをモーニング娘の歌の合間に挿入したりして、お嬢さんが見るように細工を凝らしたりしているとかいうことだった。しかし、その部分は早送りされてしまうとか言って笑っていた。
最近はモーニング娘ではなく、マイケルジャクソンに関心をもっているとのことだった。

とてもいいお父さんぶりで、一緒にお風呂に入ったりしているらしいが、一緒に入れるのは一般的に小学校5年生くらいまでだから、そろそろ入ってくれなくなるなどと他の出演者から言われていた。お子さんの成長が本当に楽しくてしょうがない子煩悩のパパぶりだった。

そのときは数日先にこんな不幸なことが起ころうとは誰も思わないわけで、全く予測できない未来の残酷さに、どう対処したらいいのか、心の持っていきどころがない。

中年になってからテレビに登場しなくなっていた元アイドル歌手が、しばらくぶりに登場するケースを時々みかける。近年はほとんどテレビに出演しなくなり記憶からなくなっていた人が、知らないうちに結婚して離婚もせず、妻子を養い、いいお父さんになっている様子をみると、ちゃんとやっているんだなと見直し、再評価することがある。
テレビに出ないこと=落ちぶれた、というわけではなく、もはやアイドルではない仕事をし、健全なすばらしい家族生活を営んでいる一家の柱、父親としての人間像に非常に好感がもてた。

昔から元気で明るいはつらつとした人だったが、その様子は変わらず、そしてお嬢さんもその血をひいていそうな、楽しそうな父と娘だ。

だから、あまりにもこんな運命はひどすぎると思う。

あまりにも突然のことで、なかなか受け入れられない事実だが、冥福を祈るしかない。
お子さんはもう一人いるようなので、奥さんと下のお子さんと3人で長女さんの分まで頑張って生きていってほしい。
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電話の問い合わせ混雑

2007-01-18 10:45:29 | 未分類過去
放送大学の在学期限が切れるので、今回の単位取得によって卒業になるか中退になるかが決まる。その場合、単位が足りなければ同じ専攻に再入学し、単位が取れれば今の専攻を卒業となるとともに別の専攻に入学したいと思っている。
ところで、そのような場合の手続きの仕方がよくわからない。何度も説明書を読んでいるのだが、正しいやり方が確信できないので、電話で問い合わせようとしている。
しかし、私の出勤前や帰宅後の時間帯で、先方がやっている時間帯というのは、私も忙しくてなかなか時間がとれず、毎日実行しないままに過ぎてしまっていた。
それで、会社が休みの木曜日こそは電話をかけようと決意し、かけたわけだが、電話がたてこんでいるので、しばらくしてからかけなおすようにとのことだった。電話は何本かつながるようになっているが、どれもが対応中なのだそうだ。
どれくらい待ってからかけたらいいのかと聞くと、わからないとのこと。相手が機械の場合は3分おきにばんばんかけることもできるが、受付の人なので、そう頻繁にかけるわけにもいかず、15分くらいは待ったほうがいいのかなと思う。
今から学習センターに行くので、送付されてきた書類を持参し、そっちで聞いてみようかなとも思うが、最初にやろうと思ったことが達成できないとどうもいらいらしてしまう。これも「小我」のあらわれでよくないことだ。ブログでも書いて時間をつぶそうということになった。

最近、電話の問い合わせがスムーズにできずいらだつことが多い。子供の携帯電話の充電器が壊れてしまったので、ソフトバンクの営業所に行き、とりよせてもらおうとしたところ、そこの人が連絡をとろうとしても全然電話がつながらない。最近はいつもそんな状態で、つながった後にも20分以上待たなければ人が出ない状況とのことで、自分で自宅からかけて直接申し込んでくれと言われた。
自宅に帰ってかけるとやはり自動音声が流れるのみでつながらず、1日目はあきらめた。2日目も会社から帰宅してから延々かけていて、夕飯も作れない状況だった。
どこでもかまわずソフトバンクに関連する番号にかけて文句を言うと、夜の8時までやっているので、根気よくかけてくれとの一点張り。まだ、6時だから2時間も余裕があるでしょうと言わんばかりだ。
そんなことを言われてもこっちは電話にかかりきりというわけにはいかない。あとでかけようと思って先に夕飯を作ったり食べたりしているとついつい8時を過ぎてしまったりするから、早く用件を片付けたい。
おそらく夕方5時過ぎに電話をすると混雑していると思うので、営業所の人が用件を受けて平日の昼間などに申し込んでおいてくれるとか、単に充電器の注文なので、インターネットで申し込むとか郵送で申し込むとかいう方法はできないのかと聞いたがだめだった。
それで、その後帰宅した夫が協力し、延々とかけつづけ待ち続けたところ、1時間してやっとつながった。それから数日して宅配で充電器が送られてきた。
ああ、もう疲れる。

以前社会保険庁でテレホンオペレーターをしたことがある。年金受給者の扶養親族申告書というものの書き込み方の問い合わせ専用窓口であるが、これも日本全国からの問い合わせが殺到していた。100台くらいの電話機が一日中ひっきりなしにかかり続けているのだが、夕方取った電話で、朝からかけ続けていてやっとつながったというほっとした声や逆にお叱りの声も多かった。
その記入の仕方は非常にわかりづらく間違えやすいもので、問い合わせが殺到するのもあたりまえだと思った。
地元の社会保険事務所がやらずに、社会保険庁が一手にやるのは無理があるんじゃなかろうか。しかも応対する人間は派遣会社を通した臨時雇いだ。

これらは、情報や応対の窓口を1箇所にまとめたがために、そこのみに問い合わせが殺到し、消化しきれない状況になっているといえる。
こういうのは物理的にも問題があるんじゃないかと思う。


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