崖から転落した人間が、どうやってその絶壁を登っていくかだ。
格差社会について、他の人のブログを読んでいたら、「格差があるのはあたりまえ、その人の能力があるかないかできまる。能力のない人が、ある人の生活をうらやましく思うのがそもそもの間違い」という意見があった。
厳しい意見だが、確かにそうではある。
崖下にいる人間は崖の上の人間をうらやましく思ったり、そこに自分も登りたいなどと考えないほうが精神衛生上いいのかもしれない。べつに崖下で暮らせないことはなく、それなりに楽しく暮らせるからだ。
でも、子供には高等教育を受けさせたいし、本人が習いたいこともさせてやりたい。将来は収入の得られる職業に就かせ、ゆとりのある住まいに住んでファッションを楽しんだり趣味や旅行を楽しんだりもできるような状況に持っていきたいと思うのが親として普通ではないだろうか。
しかし、親に財力がなければ、子供にそういう機会を与えてやることもできない。
朝まで生テレビで、地方と都会の教育格差のこともやっていた。今は公立がだめになっている。私立の学校には入ればいい教育が受けられるが公立ではそれが望めない。そこで私立に行かせられるかどうかという財力の違いが影響してくる。また、地方の公立校をでて何とか都会の大学にはいり、都会で就職したとしても、都会で家を購入したらローンに追われるばかりで、食べ物も切り詰めなければならない。
なんで、うちが貧乏になっているかといえば、私も夫も地方出身であり、東京に出てきてからは家賃をはらって生活し貯金もあまりたまらなかった。夫は父が早く死に母子家庭だったから家に財産もなかった。たまたま会社の経営状況と夫の年齢の関係でリストラされた。私は結婚と共に仕事をやめてしまったから、その後はパートタイマーで単純労働しかできなかった。
日本語教師の養成講座に通い非常勤講師になったが、これも非正社員だった。当然常勤との格差は歴然であり、持ち授業数も生徒の数によって安定せず定収入が得られなかった。安定した授業数を受け持っていたとしても夏休みなどは収入がゼロになるという状況だった。
他の学校に転職しても非常勤講師としては単期間で実績(授業の成果)を上げなければならない状況で、慣れない環境において、校風を把握し学生や教員とうまくやっていくのは難しかった。学校にいる時間が常勤より短いため勤務上必要な情報も少なく、学生と共に過ごす時間も短い分、学生の信頼を得るのにもハンデがある。ちょっとした失敗があると、次期に挽回するというチャンスは与えられず他の新しい講師を雇うというのが日本語学校のやり方だった。
だから失敗を踏まえながら成長するという機会が与えられず、失敗を生かしてチャレンジするためには他の学校に新たに採用されるしかない。次の学校が決まるまで失業状態になり、転職した学校ではまた違う校風、違う方針、違う勤務体制で、慣れるだけでも一苦労だった。
そのうちもう金銭的に持たなくなったから日本語教師を続けるのは無理だった。授業のない曜日にスーパーでのパートを入れダブルワークをしていたが、曜日が規定されてしまうので、学期の変わり目に次の授業担当を決定されるとき、他の曜日に入ってくれないかといわれても急にスーパーのほうを変更にすることなどはできない。そうなると、いつでも入れますという生活に困らずに働いている人のほうが授業が持てるのだった。安価でヤル気満々の日本語をただでも教えたいというようなボランティア精神の満ち満ちた人がいいわけだ。
常勤講師が受け持ちのない時間帯に学校内で教案をつくって給料をもらっていても、非常勤は自宅で教案を書いたりする。家で予習をするために学生に聞かせるテープをダビングしたりするのにも夜遅くまで学校に残っていたりしなければならないが、それは勤務時間外だ。もしそういうことに時間を使いたくないならテープを自腹で買うということになる。
1コマ45分の授業を2000円で受けたとしても、それ以外に仕事のための作業を時給に換算したら500円くらいだろう。日本語教師では食べて行けないというのはよく言われていることであるが、その実態は自分が職に就いて初めてわかったことだ。
それでもカリスマ教師なら、いい授業をしてたくさんのコマ数を持ち、そして常勤へと昇格していうこともありうるが、そんなのはまれだ。
一方、常勤で採用された若い講師は、安定した勤務をしながらスキルを着実に上げていく。最近では、日本語教育学科の大学院などを出ている場合が多い。
一旦社会人になった後に、養成講座受講、日本語教育能力試験合格で非常勤講師になる人には転職組や主婦が多い。
しかし、非正社員は即戦力であり、単期間のうちに実力を発揮してみせなければ、すぐに首きりである。また、学校の都合によって自由自在に人員を削減する。
そんなことに翻弄されて、何年たったか?
這い上がろうとしては転落、這い上がろうとしては転落。
だから、もう這い上がろうとしないほうがいいのかもしれない。
夫はもう55歳で正社員はあきらめている。そして、ダブルワークをする気もない。不規則な勤務なので確かに他の仕事を入れるのは難しい。そして、350万くらいの年収に甘んじている。そこから社会保険や税金が引かれる。
夫と私の収入を合わせて450万円。
私立大学と専門学校の二人の子供の学費が今年は年間200万以上かかる。
奨学金を借りればいいという人がいる。借りたものは返さなくきゃならない。うちの子は親と同様にアパートを借りて自活していくのだ。給料はあまるほどないはずだ。だから奨学金は借りたくない。夫も奨学金を返していたのだ。
代々同じことのくりかえしだ。
そして、年間家賃が100万。それでもう300万終りだ。
残り150万を4人で分け合って食べて行くのは不可能だから、貯金を崩し、子どももバイトに明け暮れている。
でも、生活保護世帯ではない。
生活保護じゃなきゃいいのか?
そうじゃないような気がする。
でも、すべては自分が悪い。
おなじ短大を出た友人は未婚で、ずっと正規に働いてきた。公務員でボーナスだけでも300万くらいもらっているらしいから、年収はうちの夫の倍以上ありそうだ。ひとりではありあまってしまいそうだ。
学生のときは同じような頭の程度だったし、勉強や仕事など別段やる気のあるひとでもなかったが、特に結婚したいと思える相手も見つからず、気がついたら独身を通して仕事に生きていたようだ。子供好きで、家事もよくする人で、それを発揮する場面がなかったのはちょっと惜しいが、結果としてキャリアウーマンになっていたということだ。
家事が嫌いで子供も好きでもないのに、私は仕事を捨てて家庭に入った。
それで今ではまともな仕事にも就けないが、貧乏でも、結婚して子供をもうけ、家族がいたのはよかったかもしれないとは思う。
格差社会について、他の人のブログを読んでいたら、「格差があるのはあたりまえ、その人の能力があるかないかできまる。能力のない人が、ある人の生活をうらやましく思うのがそもそもの間違い」という意見があった。
厳しい意見だが、確かにそうではある。
崖下にいる人間は崖の上の人間をうらやましく思ったり、そこに自分も登りたいなどと考えないほうが精神衛生上いいのかもしれない。べつに崖下で暮らせないことはなく、それなりに楽しく暮らせるからだ。
でも、子供には高等教育を受けさせたいし、本人が習いたいこともさせてやりたい。将来は収入の得られる職業に就かせ、ゆとりのある住まいに住んでファッションを楽しんだり趣味や旅行を楽しんだりもできるような状況に持っていきたいと思うのが親として普通ではないだろうか。
しかし、親に財力がなければ、子供にそういう機会を与えてやることもできない。
朝まで生テレビで、地方と都会の教育格差のこともやっていた。今は公立がだめになっている。私立の学校には入ればいい教育が受けられるが公立ではそれが望めない。そこで私立に行かせられるかどうかという財力の違いが影響してくる。また、地方の公立校をでて何とか都会の大学にはいり、都会で就職したとしても、都会で家を購入したらローンに追われるばかりで、食べ物も切り詰めなければならない。
なんで、うちが貧乏になっているかといえば、私も夫も地方出身であり、東京に出てきてからは家賃をはらって生活し貯金もあまりたまらなかった。夫は父が早く死に母子家庭だったから家に財産もなかった。たまたま会社の経営状況と夫の年齢の関係でリストラされた。私は結婚と共に仕事をやめてしまったから、その後はパートタイマーで単純労働しかできなかった。
日本語教師の養成講座に通い非常勤講師になったが、これも非正社員だった。当然常勤との格差は歴然であり、持ち授業数も生徒の数によって安定せず定収入が得られなかった。安定した授業数を受け持っていたとしても夏休みなどは収入がゼロになるという状況だった。
他の学校に転職しても非常勤講師としては単期間で実績(授業の成果)を上げなければならない状況で、慣れない環境において、校風を把握し学生や教員とうまくやっていくのは難しかった。学校にいる時間が常勤より短いため勤務上必要な情報も少なく、学生と共に過ごす時間も短い分、学生の信頼を得るのにもハンデがある。ちょっとした失敗があると、次期に挽回するというチャンスは与えられず他の新しい講師を雇うというのが日本語学校のやり方だった。
だから失敗を踏まえながら成長するという機会が与えられず、失敗を生かしてチャレンジするためには他の学校に新たに採用されるしかない。次の学校が決まるまで失業状態になり、転職した学校ではまた違う校風、違う方針、違う勤務体制で、慣れるだけでも一苦労だった。
そのうちもう金銭的に持たなくなったから日本語教師を続けるのは無理だった。授業のない曜日にスーパーでのパートを入れダブルワークをしていたが、曜日が規定されてしまうので、学期の変わり目に次の授業担当を決定されるとき、他の曜日に入ってくれないかといわれても急にスーパーのほうを変更にすることなどはできない。そうなると、いつでも入れますという生活に困らずに働いている人のほうが授業が持てるのだった。安価でヤル気満々の日本語をただでも教えたいというようなボランティア精神の満ち満ちた人がいいわけだ。
常勤講師が受け持ちのない時間帯に学校内で教案をつくって給料をもらっていても、非常勤は自宅で教案を書いたりする。家で予習をするために学生に聞かせるテープをダビングしたりするのにも夜遅くまで学校に残っていたりしなければならないが、それは勤務時間外だ。もしそういうことに時間を使いたくないならテープを自腹で買うということになる。
1コマ45分の授業を2000円で受けたとしても、それ以外に仕事のための作業を時給に換算したら500円くらいだろう。日本語教師では食べて行けないというのはよく言われていることであるが、その実態は自分が職に就いて初めてわかったことだ。
それでもカリスマ教師なら、いい授業をしてたくさんのコマ数を持ち、そして常勤へと昇格していうこともありうるが、そんなのはまれだ。
一方、常勤で採用された若い講師は、安定した勤務をしながらスキルを着実に上げていく。最近では、日本語教育学科の大学院などを出ている場合が多い。
一旦社会人になった後に、養成講座受講、日本語教育能力試験合格で非常勤講師になる人には転職組や主婦が多い。
しかし、非正社員は即戦力であり、単期間のうちに実力を発揮してみせなければ、すぐに首きりである。また、学校の都合によって自由自在に人員を削減する。
そんなことに翻弄されて、何年たったか?
這い上がろうとしては転落、這い上がろうとしては転落。
だから、もう這い上がろうとしないほうがいいのかもしれない。
夫はもう55歳で正社員はあきらめている。そして、ダブルワークをする気もない。不規則な勤務なので確かに他の仕事を入れるのは難しい。そして、350万くらいの年収に甘んじている。そこから社会保険や税金が引かれる。
夫と私の収入を合わせて450万円。
私立大学と専門学校の二人の子供の学費が今年は年間200万以上かかる。
奨学金を借りればいいという人がいる。借りたものは返さなくきゃならない。うちの子は親と同様にアパートを借りて自活していくのだ。給料はあまるほどないはずだ。だから奨学金は借りたくない。夫も奨学金を返していたのだ。
代々同じことのくりかえしだ。
そして、年間家賃が100万。それでもう300万終りだ。
残り150万を4人で分け合って食べて行くのは不可能だから、貯金を崩し、子どももバイトに明け暮れている。
でも、生活保護世帯ではない。
生活保護じゃなきゃいいのか?
そうじゃないような気がする。
でも、すべては自分が悪い。
おなじ短大を出た友人は未婚で、ずっと正規に働いてきた。公務員でボーナスだけでも300万くらいもらっているらしいから、年収はうちの夫の倍以上ありそうだ。ひとりではありあまってしまいそうだ。
学生のときは同じような頭の程度だったし、勉強や仕事など別段やる気のあるひとでもなかったが、特に結婚したいと思える相手も見つからず、気がついたら独身を通して仕事に生きていたようだ。子供好きで、家事もよくする人で、それを発揮する場面がなかったのはちょっと惜しいが、結果としてキャリアウーマンになっていたということだ。
家事が嫌いで子供も好きでもないのに、私は仕事を捨てて家庭に入った。
それで今ではまともな仕事にも就けないが、貧乏でも、結婚して子供をもうけ、家族がいたのはよかったかもしれないとは思う。