山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

エッセイストになるためには

2007-01-13 21:00:29 | 未分類過去
エッセイってのは、気楽に書けるもんだと思います。
その辺に売っているエッセイの本でも、そんなたいしたことが書いてあるわけじゃありません。じゃあ、なんで本になって売れているのかというと、そのエッセイがすばらしいわけではなく、そのエッセイはその人物の業績に付随したものだからだと思います。
何かの分野で重要な働きをしている人のエッセイだから、人はそれを読もうとします。
その人がどういうことを考えているのかというのも大きな興味です。
何の肩書きも職業もなく、ただのエッセイストっていうのは、滅多にいないのではないでしょうか?
何かの職業を極めている人、その人のエッセイだから価値があるのですね。

テレビ番組のトークショーで、たわいのないことをしゃべっていても、そのひとは「何者」かであるから、価値があります。クイズ番組でもバラエティーでも同様です。
そこに、一般人を持ってきてもだめです。その人たちは特別な意味のあることをしたり話したり見せたりするわけではなくても、何か別のことで、「プロ」であることが重要です。

なにかのことで一端の「プロ」であることが、その人間の「器」であるからです。
「器」がない人間は価値がありません。

テレビのコメンテーターは「女優」であり「弁護士」であり「医者」であり「大学教授」であったりします。主婦のコメンテーターなどはいません。

「評論家」は書いたりしゃべったりしますが、ある専門分野について研究し論じる人です。まずは、「研究」が重要です。
「記者」も書きますが、まずは取材しテーマを追求することが重要です。

ペン一本で食べていくプロの代表といえば、「小説家」です。
小説家には資格は必要ありません。実力さえあれば認められます。
でも、小説はエッセイのようにはいきません。誰にも書けるようなものではありません。
小説家にはエッセイが書けますが、エッセイストに小説が書けるわけではない。構想がわかないのです。小説はストーリーの展開も描写もエッセイの比ではありません。

文章のプロになりたければ小説家をめざします。
私はいくつかの小説の構想を持っています。しかし、それは個人の経験に基づいたもので、登場人物は今現在この世に存在する人々であり、その内容は驚くに値するもので、とても世の中に公表できるようなものではありません。
事実を変形しデフォルメしないと面白い小説にはなりませんが、そんなことをすると、私自身が変態か狂気の人間だと思われるかもしれません。そんな勇気はありません。
また、実在の人物や法人をそのままに描くことも脚色して描くことも、当人たち、あるいはその集団・組織にとって迷惑となります。
必ずモデルは何かという話になるからです。
私は、その人たちに抹殺されるかもしれないという恐怖さえ抱きます。

私は心の隅に様々な材料を蓄積していますが、実在から得たその素材を使うわけにはいかないだろうと思っています。
しかし、まったく実在しない物事を構想し作り出す力は私にはありません。
だから、小説を書くことは私にとってかなり難しいことだと思います。


何かのプロでなければ「エッセイスト」にはなれない。
まず、エッセイ以外の業績が必要です。
エッセイストというのは本来そういうものだと思っています。

責任は先祖に

2007-01-13 19:58:57 | 未分類過去
うちの高校生の次女は、肝心なときに家にいない。
クリスマス・大晦日・当人の誕生日、すべて、家族ではなく友人といっしょに過ごしている。その友人というのは中学のときの同級生で、似たり寄ったりの家庭環境・経済状況・アタマの程度、つまり同じ穴のムジナみたいな者たちである。別に不良行為をしているわけでもないので、本人のしたいようにさせている。誕生日も家族はプレゼントなど用意しないが友人が用意してくれた。
本人がハンバーグが好きなので、誕生日にはおいしい手作りハンバーグでも作ってやろうと思っていたら、私が眼精疲労でダウンしてしまい、ハンバーグどころではなくなった。ちょうど当人も帰宅しないのでいつものバイトだと思っていたら、ファミレスで友人と誕生日を祝っていたそうだ。自分の誕生日にバイトなんか入れるわけがないだろうと言うが、家族と過ごそうという気はないのか、この娘は。
でもご馳走も作れない状況だったのでちょうどよかった。それで、ハンバーグは翌日作ったのだが当人はバイトで留守で、翌々日の朝ごはんになってしまった。ケーキも買ってあったが、家族がそろわないのでそれぞれに食べた。どうしようもない家庭だ。

それで、バイトはいいかげんにしろ、あまり働くな、たまには家にいろ、という話になった。だいたい娘がバイトをすると買い食が多くなる。私が会社から戻る前に娘がバイトに出かけ、その前に腹ごしらえなどするためだ。だからと言って、娘のために食べ物を用意しておくほど私はマメではない。
娘はバイトでじゃんじゃん稼ぎ、貯金しているが、週に何千円も食費にかかった経費をレシートを添えて請求してくる。なんか、変じゃないか?娘が毎日働けば働くほど、私が娘にお金をわたさなきゃならないのだ。でも、考えたら確かに、1日500円にしたって7日で3500円になるわけだ。実際にはお菓子だの飲料だの雑貨だので1日当たり500円なんかではおさまらない。週に5000円くらい払っている。

それで、バイトなんかやめちまえと言ったら、親のせいでバイトをしなければならない境遇にあるのだとぬかす。今のうちに溜め込んで置かないと専門学校に行ってからはバイトができないという。親のように貧乏にはなりたくないのだそうだ。親の二の舞になりたくないから、お金を稼げるときに稼げるだけ稼ぐのだそうだ。そういうわけで、親がバイトをするななどと指図するのはお門違いなのだそうだ。すべての原因は親にあるそうだ。

それで、その話から、なんで我が家、つまり私たち夫婦が貧乏なのかという話しになり、個人的な頑張りが足りないだけではなく、そもそも生まれ育った家が貧乏だったからそれが尾を引いているのだという話になった。さらにそれはその親も貧乏だったからである。
だから、代々教育費もかけられないし、資本もないし、援助もなしに来ている。つまり土台となる財産がないから、どの代もゼロからの出発なのだ。それで、娘たちもまたゼロからの出発で、結婚するとか言っても持参金なんかは持たせられないし、家を買うと言っても頭金を援助することもできないのは当然だが、今現在も娘たちに十分な金銭をかけることもできないのだ。

先祖が悪いんだから、私たちに文句を言うなと夫と一緒になって先祖のせいにしておいた。
先祖がアタマが悪かったか、要領が悪かったか、怠け者だったか、とにかく財産を築かなかったってわけだ。
私たちに言っても私たちは被害者なんだ、私たちになんの責任もない、江戸時代の先祖に文句を言え~!
と久しぶりに夫と意見が一致した。

(ご先祖様、申し訳ありません。私たちが元気に暮らしているのはご先祖様から丈夫な体を受け継いでいるからです。一応そのことを充分感謝しろと娘にも言っておきました!)

今一番欲しいけど、今は買えないもの

2007-01-13 00:59:44 | トラックバック練習・ご意見板
「家」

やっぱり家だ。

今、一番欲しいのは、家族そろって暮らせる家だ。

買えなくてもいい、借りるだけでもいい。
70㎡くらいあればすばらしい。65㎡でもいいよ。
いや、55㎡でもあれば上々だ。
でも、今の経済状態では借りることもできない。
39㎡の公営住宅+6畳1間の民間アパートに分散して住んでいる。
家賃は約1万7千円+6万円。光熱費が2倍かかるから、結構きつい。
しかし、民間を借りたら13万くらいかかる。
だから、この公営住宅から出て行くわけにはいかない。
ネズミが出入しようが風呂場にワラジムシが居ようが、天井が割れていようが、水が赤錆で濁っていようが、東京で暮らしていくためには仕方がない。

3DKで7万くらいの公営住宅に住んでいる人たちは最高だ。
でも、今現在すでに公営住宅に入っていると、公営住宅に応募するとはできない。
もうちょっと格の高い公社住宅、都民住宅は高くて無理だ。
民間はもっと高い。
ひとり当たり2畳以下なら、今の種類でもっと広いところに移動できるそうだが、それは、トイレも台所も入れた面積だから、該当しない。

家族4人分の布団が敷けないから、暮れも正月も1年中家族揃って寝ることはできない。
田舎から上京している大学生は冬休みは実家に帰るが、うちの娘は帰って来られない。
夜は自分のアパートに帰る。夫が夜勤のときだけは、娘が家で寝ることができる。

テーブルセットを買うお金もあるし、ベッドを買うお金もある。
オーブンつきのガステーブルを買うお金もある。
大型のテレビを買うお金もある。
でも、それを置けるような住まいが無いんだ。
だから、どんなにお安くしてくれたって、問題外なんだ。

そういうものを置けるような普通の住宅を買うお金、
または、人並みの住まいを借りて維持していくお金、が無い。

家は今は当然買えないが、将来なら買えるのか?
・・・その見込みも薄い