さっき、「オーラの泉」を見ていた。
この番組は、わざわざ放送時間を覚えているわけではないが、夜遅くテレビをつけるとやっていることが多く、興味のあるゲストの場合は見ることが多い。
今日は、「劇団ひとり」だったので見ることにした。
そこで、出た話の中で、「大我と少我」というのがあった。
「小我」は自己中心的な小さい自分を中心とした考え方であり、「大我」は狭い範囲の自分ではなく、周囲の益を考えての自分というか、他人も含めての自分、周囲の人に愛をもっての自分というようなものらしい。
この言葉は初めて聞く言葉だったが、辞書を調べると載っていた。
小我=自分一人にとらわれた狭い我。利己的な立場の主体性。
大我=利己的な立場を克服し、より広く公共的な立場をとる主体性。
とある。
物事を見るときには「小我」ではなく「大我」の精神でいかなくてはならない、と江原さんが言っていた。
私自身、とかく「小我」になっていることが多いと思い、「大我」にならなくてはと思った。
「小我」っていうのは、結局、自分のことばかりを考えている器が小さい人間だ。
自分が人からよく思われたいとか、高く評価してもらいたいというような気持ちで物事を一生懸命やっても、それは良いものとはいえない。仕事でも会社や周囲の人の益になることを第一に考えるべきだ。
それから、美輪さんが言っていたことで印象に残ったのは、「自分を改善する時に感情を廃して理性で対処することが必要だ」というのだった。
感情で怒ったり悩んだりしていては悶々とするばかりで、出口がない。そういうときには、感情を捨て、どういう解決方法があるかを客観的に考え、それを行動に移す。意識的に自分を一旦機械のようにしてしまうのだ。
感情を廃してしまうなんてちょっと妙な気がするが、確かにそれはいい方法だと思った。
そういうのは、本当に心が病むようなことにぶち当たり、それを乗り越えた経験がある人だからこそ、習得した方法であり、説得力がある。感情を廃しなかったら鬱状態になったり自殺してしまったりしてしまうかもしれない。また、逆に愚痴をこぼしたり甘えたりして前進することができないこともある。前進することを妨げるような感情は除外する必要がある。
そういう感情にとらわれることも「小我」なんだろう。
そして、やたら明るく悩まずに前進するのが「ポジティブ」であり、深く考え落ち込んだりするのが「ネガティブ」という捕らえ方はまちがっているのだそうだ。
問題があるのにそれを見つめようともせず楽しくやって行くのはポジティブではなく、ただのバカである。
深く考え落ち込んだ末に改善策を考えて前進していくことがむしろポジティブといえる、と江原さんが言っていた。
そういう姿勢にも「大我」の精神が大切なのではないだろうか。
客観的な視野をもちつつ自分の主体性を持って前進していきたいものだ。
この番組は、いろいろと生き方を導いてくれるが、そのほかにも人間個人に影響を及ぼす科学では解明できない神秘的な力の働きを感じ、魅力がある。
オーラや守護霊、前世といったものが実在するかどうかは証明できないが、少なくともその人間の特質をそういうものであらわすことができると言える。そうしたら、私自身にはどんなものが見えるのだろうか。
ひとりの人間は純粋にその独立したひとりから成っているのではなく、歴史の中の存在であり、多くの人の魂や人間には見えない存在の様々な精神の影響を受けた複合物なのだろう。
この番組は、わざわざ放送時間を覚えているわけではないが、夜遅くテレビをつけるとやっていることが多く、興味のあるゲストの場合は見ることが多い。
今日は、「劇団ひとり」だったので見ることにした。
そこで、出た話の中で、「大我と少我」というのがあった。
「小我」は自己中心的な小さい自分を中心とした考え方であり、「大我」は狭い範囲の自分ではなく、周囲の益を考えての自分というか、他人も含めての自分、周囲の人に愛をもっての自分というようなものらしい。
この言葉は初めて聞く言葉だったが、辞書を調べると載っていた。
小我=自分一人にとらわれた狭い我。利己的な立場の主体性。
大我=利己的な立場を克服し、より広く公共的な立場をとる主体性。
とある。
物事を見るときには「小我」ではなく「大我」の精神でいかなくてはならない、と江原さんが言っていた。
私自身、とかく「小我」になっていることが多いと思い、「大我」にならなくてはと思った。
「小我」っていうのは、結局、自分のことばかりを考えている器が小さい人間だ。
自分が人からよく思われたいとか、高く評価してもらいたいというような気持ちで物事を一生懸命やっても、それは良いものとはいえない。仕事でも会社や周囲の人の益になることを第一に考えるべきだ。
それから、美輪さんが言っていたことで印象に残ったのは、「自分を改善する時に感情を廃して理性で対処することが必要だ」というのだった。
感情で怒ったり悩んだりしていては悶々とするばかりで、出口がない。そういうときには、感情を捨て、どういう解決方法があるかを客観的に考え、それを行動に移す。意識的に自分を一旦機械のようにしてしまうのだ。
感情を廃してしまうなんてちょっと妙な気がするが、確かにそれはいい方法だと思った。
そういうのは、本当に心が病むようなことにぶち当たり、それを乗り越えた経験がある人だからこそ、習得した方法であり、説得力がある。感情を廃しなかったら鬱状態になったり自殺してしまったりしてしまうかもしれない。また、逆に愚痴をこぼしたり甘えたりして前進することができないこともある。前進することを妨げるような感情は除外する必要がある。
そういう感情にとらわれることも「小我」なんだろう。
そして、やたら明るく悩まずに前進するのが「ポジティブ」であり、深く考え落ち込んだりするのが「ネガティブ」という捕らえ方はまちがっているのだそうだ。
問題があるのにそれを見つめようともせず楽しくやって行くのはポジティブではなく、ただのバカである。
深く考え落ち込んだ末に改善策を考えて前進していくことがむしろポジティブといえる、と江原さんが言っていた。
そういう姿勢にも「大我」の精神が大切なのではないだろうか。
客観的な視野をもちつつ自分の主体性を持って前進していきたいものだ。
この番組は、いろいろと生き方を導いてくれるが、そのほかにも人間個人に影響を及ぼす科学では解明できない神秘的な力の働きを感じ、魅力がある。
オーラや守護霊、前世といったものが実在するかどうかは証明できないが、少なくともその人間の特質をそういうものであらわすことができると言える。そうしたら、私自身にはどんなものが見えるのだろうか。
ひとりの人間は純粋にその独立したひとりから成っているのではなく、歴史の中の存在であり、多くの人の魂や人間には見えない存在の様々な精神の影響を受けた複合物なのだろう。