山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

手抜きはすぐにばれる

2014-07-10 22:42:31 | 日記


例えば、ある店から、いつも手書きできていたハガキが、ある日、ただの印刷だけのものになっていたり、電話で案内がきていたのに、こちらから連絡をしないとそのまま放置されるようになったり、宛名の名前が間違っていたり、サービスの質が落ちたな~と思う。

業者などが、客に対して、面倒くさいな~、これ省こうかな?大したことないし・・・などと思って省いたことは、即刻客に感じとられるものである。

いつもきれいに飾っていた花を飾るのをやめたり、出口まで見送るのをやめたり、そういう手抜きを客はすぐに感じ取るのだ。

接客業とお客に限らず、相手の手抜きや、思いやりの欠如というものは、すぐに相手に伝わるものだ。

また、仕事などもやる気があるのかないのか、すぐに伝わるものである。

朝、余裕を持って出勤するのか、ぎりぎりに飛び込んでくるのか。
提出物を期限に間に合うようにきちんと出すのか、ださないのか。
少しくらい遅れてもいいと思っているのか、少しくらいずさんでもいいと思っているのか。
この人だったら、許してくれると思っているのか。

床に落ちているゴミを拾うのか、拾わないのか?
覚めたお湯をそのまま使うのか、沸かし直すのか?

皺のあるスカートで妥協するのか、アイロンをかけなおすのか?
髪の毛をセットするのかしないのか?
靴を磨くのか磨かないのか。

小さな手抜きが、大きな違いを及ぼすものだ。

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昔の話=右手首の骨折

2014-07-10 22:19:26 | 日記
人生の中で、骨折をする人の割合ってどのくらいなんだろうか?考えてみると、私の周りには、交通事故でもなければ骨折をするほどのケガをしている人はあまり見かけないような気がする。年を取ると骨そしょう症なんかになって、ちょっとつまづいたくらいで骨折をしてしまう人がいるようだが、それも多くの人がそうなるというわけでもなさそうだ。

で、前置きが長くなったが、私の骨折体験を書いておこう。

それは、小学校6年生の時だった。
思えば、私は運動神経は鈍いものの、結構おてんばだったのだ。だいたい休み時間や放課後は外で遊んでいた。
その日も、放課後に高鉄棒にぶら下がって、身体をできるだけ振っては、なるべく前のほうに飛んで着地するという遊びをしていた。
前に飛ぼうとすればするほど、身体は斜め後ろ倒れる、というのは今思えば当然である。
それで、思い切り前に振りあがりながら飛び降り、鉄棒の下の砂場に着地したときに、斜め後ろに倒れた体勢の上半身を、腕で支えたのだった。
と、砂場に突いた右手首に衝撃が・・・。
普通だったら、しばらくすれば痛みは和らぐはずなのに、痛みは全然やわらがなかった。それから歩いて15分ほどの自宅に帰ったが、その後も痛みはますます強まるばかり。
親は働いていて誰も居なかったので、1人で布団の中に潜って痛みに耐えていた。

一緒に帰った近所の友人が、しばらくしたら遊びに来て、玄関で私を呼んだが、そんなものに応答するどころではなかった。私は2階の部屋で、べそをかきながら悶えていたのだ。

日が暮れたころ、親が帰ってきた。手首のことを話し、親が見ると、みごとに腫れており、これはただごとではないと判断された。父のクルマで「骨つぎ」に向かった。
「骨つぎ」とは接骨院のことなのだろう。
そこで、レントゲンを取ると、右手首の骨に真横に一本のヒビが入っていることがわかった。地面に掌をついたときに、身体の重さが一気にかかったので、骨に重圧がかかりつぶれたのである。
ぽきりと折れ曲がるのではなく、圧縮されてしまったのだ。つまり、左腕よりも右腕のほうが縮んでいるわけであり、治療はまず、手首を持って引っ張ることだった。
骨を引っ張って、それからギプス(シーネ)で固定して包帯を巻くと、痛みは治まった。
それから後は、父が仕事を終えて帰ってくると、車で「骨つぎ」に行き、包帯とギプスを外して電気をかけ、またギプスと包帯を巻いて首からつって帰ってくるという日々を送った。最初は肘から下全体を覆っていたギプスから、3週間もすると次第に略式の小さなものになっていき、最後は自分で勝手に通院をやめ、包帯をはずした。
はずした当初は、手をついて重さをかけると、やはり痛かった。あの痛さは今でも記憶にある。けっして身体を支えることができないような、危なっかしい手首だった。でも、思い切って全部はずしてしまった。そして、程なく普通に戻った。

なんで、今そんなことを急に思い出したんだろうと思うと、その同じ右腕が痛いからなのだ。五十肩のぶり返しで手首の方に放散痛があったりするのだ。
小学生のときの骨折とは関係ないのだろうけど、ふと、ここにヒビが入ってたんだよな~と思い出したのだ。あれが、これまでの人生で、一番の大けがだったってことだ。

あれから、42年くらい経つんだからね、全く。

あの頃は、…自分が五十肩になるなんて思ってもみなかったぞ~。
しかも、五十肩のほうが治るのが遅いし、痛みも続くとはね。
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