ブログのネタ、特に何もなし。う~ん、役にたつ情報もなし。困ったことだ。
昨日は、いつもどおり、「八重の桜」と「空飛ぶ広報室」を見た。
今日は「ガリレオ」を見た。
そういえば、土曜日の夜11時はFMさがみの「どこかでラジオが」を聴いた。
最近マイブームになっているかぜ耕士さんのラジオ番組が、月に1回から毎週になったのだ。
先日のゲストは、シンガーソングライターの清須邦義さんという人だった。私は音楽にもあんまり趣味がないから、よくわかんないのだが、話を聴くのはそれなりに楽しかった。
ここで、知らない言葉が出てきた。
「ボーヤ」っていうのは、ミュージシャンの楽器を運んだりする裏方の仕事らしい。清須さんが一時そういうのをやっていたそうだ。
あとでネットでしらべたら、女の場合は「ジョーヤ」っていうそうだ。
それから「GS]とか言ってたから、なんだかわからなかったのだが、グループサウンズのことだとわかった。ちょっと「言葉」を覚えた。
私としては、かぜさんのこととなると、どうしても「たむたむたいむ」の頃のことが懐かしくて、10代のころを振り返ってしまうのだが、先日の放送の中で、かぜさんが言っていていたことは、古い状況ばかりで喜んでいるのではなく、新しい現在の若者の歌もどんどんとりあげていきたいということだった。
(清須さんも言っていたのは、昔ビートルズが好きだった人はそこにとどまり、またその後の時代の別のジャンルが好きだった人たちも、そこにとどまって満足してしまいがちだという話だった。)
そうだ、何事も過去ばかりなつかしがってるだけじゃだめだな。まだまだこれから発展していかなくては。
それから、歌にしろ何かのメッセージにしろ、最初から多人数を相手にしても、わりと届かないもので、誰か1人に届かそうと思えば、結構な人に届くものではないか、というようなことも、かぜさんが話されていた。
放送中に流れた「音の合わないギター」という清須さん(65歳)が最近作った歌も、自分の思い出をつづったもので、多くの人に向けて作ったものではない。そういう歌は、いわば私小説のようなものだと清須さんが言っていたが、そういうものが意外に多くの人の心を捉えたりする。
何事も最初は一部の人に向かって発せられたり、また少数の人がそれを聴いたり見たりして、感動したり面白がったりし、それがいつしか大きなものになることもあるのではないか。むしろそういう現象のほうが、最初から盛大に始まるものよりいい感じだ。
どこかで誰かが聴いている。
どこかで誰かが読んでいる。
ということは、ブログも個人的に自分のため書きたいことを書いておいて、
少数の人が読んでくださり、何かを感じてくれればいいのかなと思った。
その日のアクセス数を伸ばすだけが能じゃない。
ブログを書くときは、いつも読んでくださっている少数の人たちのことを念頭に置いて内容を意識したりすることもあるけれど、私にとって知らない100人以上の方々もいるようだ。
また、書いた時ではなく、後になってから読まれることもあるだろう。
意外に多くの人に届いているもんだと思うと、逆にちょっと怖くもなる。
人前で話す時のように、緊張してあがってしまいそうだ。
やっぱり、あまり意識しないで自分だけのために書くことにしよう。
実は、今回のこの記事は何度も書き直していて、いまだにまとまらない。
まとまらないままUPします。
昨日は、いつもどおり、「八重の桜」と「空飛ぶ広報室」を見た。
今日は「ガリレオ」を見た。
そういえば、土曜日の夜11時はFMさがみの「どこかでラジオが」を聴いた。
最近マイブームになっているかぜ耕士さんのラジオ番組が、月に1回から毎週になったのだ。
先日のゲストは、シンガーソングライターの清須邦義さんという人だった。私は音楽にもあんまり趣味がないから、よくわかんないのだが、話を聴くのはそれなりに楽しかった。
ここで、知らない言葉が出てきた。
「ボーヤ」っていうのは、ミュージシャンの楽器を運んだりする裏方の仕事らしい。清須さんが一時そういうのをやっていたそうだ。
あとでネットでしらべたら、女の場合は「ジョーヤ」っていうそうだ。
それから「GS]とか言ってたから、なんだかわからなかったのだが、グループサウンズのことだとわかった。ちょっと「言葉」を覚えた。
私としては、かぜさんのこととなると、どうしても「たむたむたいむ」の頃のことが懐かしくて、10代のころを振り返ってしまうのだが、先日の放送の中で、かぜさんが言っていていたことは、古い状況ばかりで喜んでいるのではなく、新しい現在の若者の歌もどんどんとりあげていきたいということだった。
(清須さんも言っていたのは、昔ビートルズが好きだった人はそこにとどまり、またその後の時代の別のジャンルが好きだった人たちも、そこにとどまって満足してしまいがちだという話だった。)
そうだ、何事も過去ばかりなつかしがってるだけじゃだめだな。まだまだこれから発展していかなくては。
それから、歌にしろ何かのメッセージにしろ、最初から多人数を相手にしても、わりと届かないもので、誰か1人に届かそうと思えば、結構な人に届くものではないか、というようなことも、かぜさんが話されていた。
放送中に流れた「音の合わないギター」という清須さん(65歳)が最近作った歌も、自分の思い出をつづったもので、多くの人に向けて作ったものではない。そういう歌は、いわば私小説のようなものだと清須さんが言っていたが、そういうものが意外に多くの人の心を捉えたりする。
何事も最初は一部の人に向かって発せられたり、また少数の人がそれを聴いたり見たりして、感動したり面白がったりし、それがいつしか大きなものになることもあるのではないか。むしろそういう現象のほうが、最初から盛大に始まるものよりいい感じだ。
どこかで誰かが聴いている。
どこかで誰かが読んでいる。
ということは、ブログも個人的に自分のため書きたいことを書いておいて、
少数の人が読んでくださり、何かを感じてくれればいいのかなと思った。
その日のアクセス数を伸ばすだけが能じゃない。
ブログを書くときは、いつも読んでくださっている少数の人たちのことを念頭に置いて内容を意識したりすることもあるけれど、私にとって知らない100人以上の方々もいるようだ。
また、書いた時ではなく、後になってから読まれることもあるだろう。
意外に多くの人に届いているもんだと思うと、逆にちょっと怖くもなる。
人前で話す時のように、緊張してあがってしまいそうだ。
やっぱり、あまり意識しないで自分だけのために書くことにしよう。
実は、今回のこの記事は何度も書き直していて、いまだにまとまらない。
まとまらないままUPします。