山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

梅雨らしい日々

2013-06-26 22:21:10 | 日記
最近はようやく梅雨らしくなってきました。
毎日雨が降るので、傘をさして通勤しています。あたりまえ。
しかし、本当は傘をさして歩いて通勤するところ、どうしても時間が足りなくなり、自転車じゃないと間に合わないので、カッパを着て、その上に傘をさして自転車に乗っています。
傘さし運転はいけないのだけど、住宅街のクルマが少ない道ではさしています。センターラインのあるバス通りは走らないようにしています。

思えば、梅雨に入ってからもう1か月も経ちました。早いものです。6月ももうすぐ終わりです。昨日ゴーヤの花が1つ咲きました。長いツルは物干し竿まで伸びたので、それ以上いかないように先を切りました。横目が増えるのはもっと暑くなってからかな。
暑いのはいやだな~。今は涼しくていいです。

以前からバスの運転士さんのブログを読んでいるのだけど、バス停に駐車車両があって迷惑してしまう話がよく載っています。教習でもバス停のそばに駐停車してはいけないことは習っています。にもかかわらずバス停に停める車の気がしれません。

今朝、この雨の中、バス通りの横断歩道を渡るときに、まさしく「バス停」に1台のタクシーが停まっていました。あのバス停の時刻表のところなんだから驚いてしまう。バス停から10m離れていないどころか、0メートルです。そして、まさしくそのときにバスがやってきたのでした。
あ~あ。 唖然。
しかも、タクシーはトランクを開けていたのです。お客さんの大きな荷物でも載せていたのかな?これじゃあ、すぐに発車することもできないですね。
あ~らら、あらら、どうするんだ~~~?
思わず足を止めて見ていたら、運よくバス停には誰も乗る人はいなかったし、降りる人もいないらしく、バスはそのままタクシーをよけて通過していきました。
よかったですね。危機一髪。(いや、危機でもないけど。)
バスもタクシーもほっとしたでしょう。
お客さんは、タクシーを拾う場所を考えなさい!だ。

こんなものを見ていたので、会社への到着時間がいつもより3分遅かった。
遅刻しそうだった・・・。あぶないあぶない。

雨の日は、早めに家を出ないとね。

夏目漱石の美術世界展4

2013-06-26 21:35:56 | 美術・美術館
この展覧会で最も驚いたのは、漱石自身が絵を描いており、多くの作品が展示されていたことです

第6章 漱石自身の作品

掛け軸のような日本画でした。細かい部分が緻密に描かれていて驚くものもありました。
なかなか上手ですが、やっぱり画家に比べると、プロの域ではないなという感じ。特に、遠近感がない(奥行きが感じられない)ように思いましたが、どの絵も、なんとなくかわいげがあるというか、温かい感じがしました。
解説によると「竹図」にはかなりの力を入れて画いたとのことですが、私は景色の絵のほうが好きでした。

それから、自筆の原稿もあり、これが現在の印刷物となっているものの大元なのかと思うと、不思議な感じでした。

第7章 装幀と挿絵

さらに驚いたのは、装幀も漱石自身がしていたということです

初期は、橋口五葉に頼んだものの、『こころ』では、漱石自身が手掛けていたということを知り、驚きました。

こうやってみると、漱石は深く付き合っている友人もたくさんいて、人の画いたものを批評するだけではなく、自分自身でも絵を描いたり本の装幀をするなど色々な事をして、豊かな人だったのだなという新しいイメージがわきました。

これまでは、神経質とか癇癪持ちなどということをきいていたのですが、それよりもやはり、温かみがあってユーモアのある人なのだと思うばかりです。

最後に漱石のデスマスク
これは、教科書や漱石に関する書籍などの中で、写真を見たことがありましたが、実際のデスマスクを間近に見ると、すごい現実感でした。
亡くなってすぐに友人がとったものだそうです。鼻が高く整った形をしていました。

この展覧会に行ってみて、本当によかったです。
改めて作品や評論を読み直してみたいと思います。

図録を買ってくればよかったなあと思います。



夏目漱石の美術世界展3

2013-06-26 20:56:35 | 美術・美術館
漱石展は、まだまだ第3~7章と続き、書きたいことがたくさんあるのですが、早くも記憶が遠のいてきたので、おおざっぱに書いて終わりにしようと思います。

第4章 漱石と同時代美術

ここでは、漱石が見た当時の展覧会の絵の批評や感想が載っていて、おかしいったらありませんでした。
特に笑ってしまったのは、縦長の絵なのですが、そこに横向きの舟(ボートのような小型のもの)がいくつも描かれている構図の絵です。つまり横から見た舟が上下にいくつも並んでいるのです。絵の横幅は舟の長さくらいしかありません。絵というのは、広い景色の一部分を切り取って描いているはずです。そうしたら、そんな狭い幅の中に舟がちょうど並ぶわけがありません。これはどうしたって配置がおかしいだろうと思うわけです。幅の狭い堀か水路のようなところに、むりやり舟を押し込めて並べたとしかいいようがない、とかなんとか、漱石が書いているようでした。全くその通りです。わざとそんなおかしな構図にしているんだか、センスがないんだか分からない絵です。

それから、狐のような動物が林のようなところにいる大きな絵がありました。空には月がでていて、夜を描いているそうです。漱石が言うには、景色や空は明らかに夜なのですが、動物は昼だと言っているそうです。周囲の景色と動物の表情がミスマッチだということなのでしょう。
これは、どうだかな?と思いました。私が思うところ、動物は夜行性なのでこれでよいのではないかと思いましたが、どっちにしても漱石の表現がおもしろいです。

第5章 親交の画家たち

浅井忠の作品、「収穫」などがありました。この人の絵は、以前府中市美術館で見た記憶があります。「収穫」は金色っぽい茶色の稲の穂を刈り取って積み上げたりしている絵だったと思います。漱石はこの人の絵は好きだったと思います。

橋口五葉は「吾輩は猫である」の装丁をしたくらいなので、最も親交の深かった人なのでしょう。「孔雀と印度女」が印象に残りました。
中村不折 ホトトギスの表紙 あまり記憶にありません。
津田清風 記憶に残ったのは「少女(夏目愛子像)」です。ピンクのような赤っぽい服を着た少女の絵でした。夏目漱石は、津田清風ともかなり親しい仲で、油絵を習っていたそうです。漱石が言うには、津田清風は漱石の嫌いな色を平気で使うのだそうで、おそらくこの夏目愛子の色合いも漱石はあんまり好きではなかったのかな?と思いましたが、文句を言いながらも、我が娘の絵を描いてもらって、嬉しく思っているふうな感じがして、笑ってしまいました。

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簡単に終わらせようと思ったのですが、長くなってきてしまいました。
まだ最後までいかないので、残りは別にまた書きます。