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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

引っ越し先は
https://ask0065.hatenablog.com/です

お正月準備

2008-12-30 09:58:38 | 日記
お正月が近づいて、世間はなにかそわそわし、スーパーは人間だらけになっている。
いつもの数倍もする値段のかまぼこや伊達巻が並び、肉も大きなパックとなり、すき焼き用の牛肉なども高いものになる。
正月を迎えるとなると、やはりお供え餅が必要だろうか、仏壇の花もそれなりのものを供えなければならないか、玄関のお飾りも買うか、おせちも一応作ったほうがいいだろうか・・・などと考えていくと、こりゃあ予算も大変だ。
それだけのものを混みあう店に出かけて行って買って持ってくる手間も、えらく大変なことに思えてくる。
明日は、私は田舎に帰るので、それまでに、大掃除や料理などをすませ、年賀状も作成しなければと思うと、おそろしい忙しさになるだろう。
だが、どうもなかなかエンジンがかからない。

餅なんか買っても食べないよな~
おせちは元旦からやっているスーパーでは、年が明けるとすぐに半額になるもんだ。
しかし、だからといって、大晦日に作らないで元旦におせちの買い物をするっていうのもどうかなあ。
「年が明けてからなら安い」とか、「べつに正月料理もいらないだろう」と思って、普通の人がすることをしないというのも、なんか、さもしいじゃないか。
そこで、千円や2千円節約ができたからってどうなんだろう。そこで、何千円かよけいにかかったからといって破産するわけじゃないんだ。

どうも貧乏性でいかん。
これは、先祖代々伝わる貧乏性である。

実家の母は、パソコン印刷なんかができないので、できた絵入りの年賀はがきを買ってきたそうである。それがきれいな色のものは高いから、一番安いほとんど色がないようなものを買ったと言っていた。
確かに、色刷りのデザインはがきは1枚あたりの値段が、切手代に加えてかなり高くなっているといえるが、たかが数十円のことであり、そこで5枚セットの値段が地味なものよりも100円くらい高かったからといって、50枚買っても1000円よけいに出してきれいなデザインのものが買えるなら、そんな金額は大したことではないのではないか。
私なら、そんなつまらない年賀状を送るよりも、少しくらい高くても、自分がもらって嬉しいようなきれいなデザインを選ぶと思う。
母は年金暮らしではあるが、そんなに貧乏で生活に困っているわけではないのだ。

しかし、母の金銭感覚とはそういうものであり、仮にどんなにたくさんのお金があったとしても、その習性は変わらない。できる限りの節約をする。

そんなやり方をしてきたからこそ家が建てられたのであり、私のように無駄なものに金を使っていたら家なんか建てられるはずがないと言うのだ。
それで、一軒家はあるものの、暖房もほとんどしないで暮らしているから、寒くてしょうがない。
母の場合、なぜか家を持つことだけは、一般人間の最低条件で、無駄な消費ではないと思っているようだ。

私は田舎に帰ると、そのたびに近くのショッピングセンターに行って、バーゲンの洋服を買ったりするのだが、母にはそれが気に入らない。「服なんかそんなに買う必要はなかろう、自分は10年間も同じ服を着ている」などと言う。
そりゃあ、今着ている服がぼろぼろになっているわけじゃないし、着る服は他にもあるけれど、やはり毎年新しい服を買うのが人間の楽しみではないかと私は思う。
10年間も同じ服を着ていてどこが楽しいのか、そんなの生きる楽しみがない。

このように、私は日常品を買うことにおいては母ほどケチ臭くはないが、それでも母の習性に洗脳されている部分が多く、お金を使うことに対する抵抗がしみついているため、正月準備もついつい躊躇してしまうことが多い。
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これでいいのだ

2008-12-30 01:43:38 | 日記
仕事に関しては、なんとなくネガティブな考えになってしまうこのごろですが、
よく考えてみると、そう悲観することでもないようです。
会社は結局、今年も私の時給を上げてくれました。
私は、毎年時給を上げてもらっています。
4年間で、入ったときより110円上がりました。

この不景気の中で、これだけのことをしてくれる会社に、感謝するべきでしょう。

現状を維持することでもいいのかもしれない。

人は、何かと上昇しようと思います。
経済は成長しなくちゃいけない、
売り上げも増加させなくちゃいけない、
などと思っています。

しかし、それでは切りがありません。

何でもかんでも増産すればいいというものでもないし、
たくさん消費されればいいというものでもありません。

環境や省エネルギーを考えるなら、
この際、生活にかかる費用も縮小し、
そうなるなら、収入は増えなくてもいいということになります。


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転機

2008-12-30 00:27:23 | 日記
来年度、今住んでいる公営住宅の住人が「立ち退き」になるようです。
私たちは、老朽化したこの家に住んで、いつ「建て替え」てくれるのだろうと、何年も前から思っていましたが、「建て替え」という言葉は、私たちにとってはあまり関係がないのだったということを知りました。つまり、その建て替えられた家に住むわけではないのです。この老朽化した建物を壊して新しい団地を作るためには、今住んでいる人間が居ては実行できない。「住人をどげんかせんといかん」という考えの元に、「移転させる」という発想なのです。だから、「今ここに住んでいる人のために建て替えてあげる」ってわけじゃないのですね。だから、「建て替えです」って話の中に、「今の建物の後にできるのはこんな住宅です」という設計図なんてのは提示されません。つまり、それは今ここに住んでいる住人には基本的に関係のないものだからです。
私たち住民は、こんな老朽化した家、なんとかしてくれないかな~とみんな思っていましたが、この場所が嫌いな人はいないというほど、交通の便や環境のいいところでした。だから、この土地に別れを告げるのは住民の誰もが寂しいと思います。

しかし、移転先は新築住宅が用意されているそうです。つまり、私たちの知らないうちに、着々と私たちのための住宅が建設されていたというわけです。
それはあたかも、将来結婚する人間がすでにどこかに生まれ、暮らしていたというのに似ています。それは不思議なことですね。
あなたたちのための住宅を建設中ですよとでも知らせてくれてたらよかったのになあ。
以前、建売住宅を買おうとしたことがあっていろいろ見て歩いたことがあるのですが、これもまた、すでに出来上がっていたり、建築中だったりするわけで、自分の知らないうちに自分のための家がすでに作られていたというのは不思議なものだな、と思いました。
結局、買わなかったので、それは別の人のために建てられていたということですね。

住まいというのは、人間にとって重要なものです。それは運命の出会いでもあります。
もし自分で家を建てるなら、とても高価だし、かなりの大事業です。それが自分の知らないところで人任せに進行していたなんて、そんなことでいいのかなと思ったりします
公営住宅なので、公が用意してくれたところに、私たちはただ引越すだけです。そして、そこはたぶん私にとっても多くの住民にとっても終の棲家となるでしょう。
とてもありがたいことです。もし自分で新築のマンションなんか買ったら、どんなに大変なことでしょう。一生の労働を支払いに当てなければならないでしょう。
公営住宅はどこもあまり広くはないし、周りの環境や窓の方角などがどうなのか、今よりいいとは言えないかもしれません。でも、そう悪くはないはずです。「棚から牡丹餅」みたいなことです。贅沢はいえません。ありがたくそちらに移転することになります。

来年は転機になるでしょう。
ちょうど次女も20歳になって就職します。子どもたちはみな自立ということになります。

ものが大きく動くときは、ちょっと怖いです。
しかし、家を住み替えるとき、子供が親元を離れるときは必ずやってきます。
何もかも、永遠に続きはしないわけです。
転機が、良い転機となりますように。そしてこれからも平穏に暮らせますように。
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