山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

海行き

2008-12-27 21:07:20 | 日記
「海行き」は、単行本「風化する女」に載っているもう1つの作品。
これは大学生時代、同じ趣味を持ち、本当に気心が知れ、親しくしていた友人3人(女2人・男1人)の仲間が、30代に近くなって再会する機会をもち、昔やそれまでの経緯を思い出しつつ、再びいっときの楽しい時間と行動を共にするという話であり、彼らはそれぞれの人生を歩んでいくというものである。
ほのぼのとした作品だった。

こういうことってよくあることだ。学生時代同じものを志したり、同じ趣味に打ち込んだりして、意気投合したような友人というのは、その若い頃の行動が、あとになってどんなにお粗末であったかに気がついても、バカだったとしっても、その当時の感覚や乗り、信頼感というものは、消え失せやしない。要するに青春を一緒に過ごした者同士の貴重な共感というものだろうか。

しかし、それはやはり一時味わうものであり、その時代が戻ってくるのではないのだ。だから、いわゆる同窓会のようなものは、何年かに1回会うくらいでいいだろう。
ああ、やっぱり昔の仲間はいいなあ、と思うし、今は今で頑張ってるじゃないと思う。昔もそうやって心を通わせた仲なのだから、それがそう簡単に壊れるものでもないし、そういう要素は年をとったからといって変わるものじゃないんだ。

でも、やっぱり青春は終わっているんだよね。
こういうつながりの人間関係は、その過去があるから今もあるわけで、そういう過去をもち得なかった人にはないわけだ。だから、人はそのときそのとき、人生を共感できるような人との関わりを作り続けないといけないのではないかと思った。
老人になってから、こういう仲間との再会があるとしたら、それは何も大学時代の友人に限らず、子供の同級生のお母さん仲間とか、パートタイマーの仲間とか、そういうある時期たまたま行動を共にして共感した人たちでもあるかもしれない。

私が学生時代、時間と行動を共有して心を通わせた人たちは、高校時代の演劇部の仲間と、短大のとき近所に下宿していた友人くらいである。その人たち以外にいないのだから、それは貴重な存在である。だから今でも大好きだよ。でも、だからといって、今その人たちと昔のように心を解け合わせることができるだろうかっていうと、どうなんだろう。
あの時たのしかったね、と思うけど、今現在の再会は私はそんなに居心地のいいものではないような気がする。

青春の思い出はいいもんだ。そこで築いた人間関係は今でも終わったわけではない。そういう思いを心の中に温めながら生きていくことはできるように思う。ただ、やっぱりどこか哀愁がただようなあ。

風化する女

2008-12-27 16:42:50 | 日記

このあいだ、内舘牧子さんの著書などを図書館に返しに行き、代わりに木村紅美という人の「風化する女」、浅川純「カイシャインの未来」などを借りてきました。
前回借りた本は、またもやほとんど読まないまま返却期限を10日以上過ぎてしまっていました。
こういうのをちゃんと期限どおりに返さないというのが、常識人間として失格行為といえるので、自分の習性について反省しきりです。こうなった以上、せめて督促状が来る前に返却するしか、できることはありません。督促状ははがきで来るので、少なくとも送料が50円かかります。ということは、税金の無駄遣いです。
これが民間だったら、レンタルビデオの店のように、延滞料をとればいいです。1日延滞するごとに50円取るとかすればいいです。そうすれば、図書館は出費ではなく収入になるはずです。しかし、そのようなシステムはありません。そのへんが、公共のものというのはおかしいんじゃないか、もし延滞料を取られるなら、私のようにだらしのない人間でも、絶対にちゃんと返却期限を守るでしょう。そのような決まりごとがないということは、期限を守って返却することはそれほど重要なことではないのかもしれない、などと思ってしまうわけですが、とにかく、督促状を受取るのはやめにしたいものだと思いました。

「風化する女」
どうしても、こんな題名にひきつけられて本を借りてしまう私は、私自身が「風化する女」だからなのでしょう。43歳独身会社員のれいこさんは、1人部屋で亡くなってしまいます。彼女は誰からもあまり関心ももたれず、好感度や人気の薄い女性でした。その彼女の生き方を真面目に把握しようとしたのは、同じ会社でたまたま少しだけ親しかった主人公の女性だけだったのでしょう。
1人の人間が誰にも理解されないままこの世から消えて行く、その女性が思いを寄せていた男性さえその存在すら意識していないようなことさえある。
なんだか、悲しい話です。でも、こんなことよくあることかもしれません。

女が長い間会社勤めをしていると、もう美しさとかかわいさとかそういうことで評価されないので、きっちり仕事をするしか生き延びる方法はないけど、そのきっちり仕事をしていることさえもが、あまり意味をなさないものになってしまう。
そこで、誰にも理解されなくとも自分は組織の歯車として役に立つことをしようという信念のもとに、自分なりのポリシーをもって生きていく。そんな人がある日突然この世から消えたところで、会社はその人に何ら期待をしていたわけでもなく、変化はないし、人々の意識の片隅にも残らないことがある。
それが現実だ。
ただ、誰かがそういう命に着目したからこそ、この小説が存在する。
だから、そこに救いがあるっていえばあるのだけど、やっぱり風化するものは風化してしまうのだから、もうどうしようもない。

なんか、現実が身にしみるような話だ。

もっと景気のいい、ハッピーな題名の本を選ばないといけませんね。
しかし、そういうのは、あまりにも自分とかけ離れすぎて、余計にげんなりしてしまうので、やっぱりこのような本が自分の波長に合ってしまうのかと思います。