山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

芸術教育

2007-10-07 01:54:59 | 美術・美術館
有名な画家が、若い頃、普通の中学の美術の先生だったというのを聞いて、今思えばその教え子たちには、なんと貴重な体験だったか、などと思うわけだが、実際、一般的に美術の先生っていうものはどうなんだろう?と思うしだいだ。美術の先生というのは、本人自身どの程度作品を描いているのか?また、どのように生徒に指導しているのか?

自分自身の子供のころからの芸術教育を思い返してみると、まず、絵をほめられたのは幼稚園くらいだろう。幼稚園の先生は、チューリップ1つ描いても上手に描けたわね~とほめてくれるのだ。
しかし、小学校はどうか。私の小学校では毎年写生大会があり、そのときは全校生徒がいっせいに海のそばまで下りていって、一日かけて漁港の様子などを描いたものだった。その作品が展示されると、学年ごとに金銀胴賞が決まり、入賞作品には金・銀・赤の紙が張られる。私は銅賞を取ったことがある。
しかし、その絵について、描いている最中も描き終わった後も、先生から何か言葉をかけられたという記憶はまったくないのだ。もっとここをこうするとよいとか、どの部分がよかったとか、そういうことはまるで聞いたことがなく、ただ、単に総合的にできの良いものに賞が付けられて終りなのだった。
写生大会に限らず、図工の作品でも、ただ創作すれば、作品を提出して終了となり、創作途中での指導などされた記憶がない。
中学になると、デッサンなども始まり、先生もちょっと専門的な感じになり、多少指導らしきことをしてくれた。しかし、とおりいっぺんのことで、やはり個人の個性を引き出すなどというほどのアドバイスなどはなかった。
そして、思うことに、先生自身の作品というのは見たこともなく、先生のお手本というのもほとんど見たことがなかった。しかし、中学の先生ともなれば、美大などを出ていて何らかの専攻があったはずなのだから、とおりいっぺんの教育ではなく、むしろ先生の個性や特技を前面に出した授業をしてくれたらよかったのにと思う。

一方、音楽の授業であるが、中学のときは、女の先生がモーツアルトのピアノソナタK331、トルコ行進曲つきを、ピアノで実演してくれた。レコードを聴かされるよりずっといい。教師ではなく、ピアニストという音楽家としての姿は非常に新鮮な感動を与えるものだった。
高校のときは男の先生だったが、市で年末にベートーベンの第九の演奏会があり、バリトンのソロを歌った。ただの教師ではなく、声楽家というもうひとつの一面がみられてそれも新鮮だった。

芸術系の科目は、その教師自身のそれにとりくんできた姿が見えることがいいのではないかと思える。
音楽はその場で演奏するということがしやすいといえるが、美術などはなかなか披露する機会がないのかもしれない。
しかし、美術の教科書の中の写真よりも、先生本人の作品や創作段階を実物で見せてもらえたら、もっと興味深いのではないだろうか。
学校外での展覧会出品などを紹介してくれるのもいいだろう。

芸術科目の先生というのは、単なる先生ではなく、芸術家であってほしいものだ。

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