ある文学賞に応募しようと思って、今日は昼間中そのための作品を書いていました。
この文学賞には一昨年作品を書いて応募したのですが、箸にも棒にもかからない状況でした。
当然です。構成なんか何も考えずただぐだぐだと書いてしまった感があります。
以前の受賞者のコメントなど見てみたところ、その中の一人は2回くらい箸にも棒にもかからなかったそうなので、私も今後の可能性がないとは言えないかと楽観したりしています。入賞しないまでも、予選通過くらいでもしたら嬉しいじゃないですか。
それで、いよいよ書き始めたわけですが、いくらかテーマや内容に構想を持ってはいたものの書いているうちに支離滅裂になってきました。枚数は原稿用紙20枚から40枚です。
文字数はかなりあるのでとりあえず数えもしないで書いているのですが、なんだかアタマの中がゴテゴテになってきました。
仮に一通り書いた後、不明な情報などをネットで検索すると、出るは出るはの新情報。これでは今まで書いたことが事実とはまるで違うおかしなことになるので、書き直したり考え直したりしなくちゃならないのですが、それがまた大変です。どこから軌道修正するんだ?と自分でもわかりません。もういい、今日は中止しよう。そろそろ夕飯をたべなければ・・・。
それで、一昨年のことですが、自分はいったいどんな作品を書いてだしたんだっけとパソコンのワード文書を検索。あれっ無い無い無い。そういえば、このまえ、ブログの下書きなどを一気に削除したのでした。そのときにその作品も削除してしまったらしい。もちろんゴミ箱の中も空っぽにしてしまいました。印刷もしていないし、生まれて初めて応募したあの作品はもう存在しません。この世にあるとしたら、送った実物だけですが、それは先方でどうなったことやら、処分されたかもしれません。まあ、駄作だからどうでもいいやと思うものの、せっかく30枚くらい書いたと思うのに跡形もなくなってしまったとはなあと残念です。
同じ作品は二度と書けないし、それを元に今後改良することもできないわけです。プリントアウトしておけばよかったな~。
私は小説の書き方を勉強したことはありません。人の小説の構成や文体などをこと細かく研究したこともありません。やはりそういう勉強が必要なんだそうです。今文学賞を取っている多くの人はそういう勉強をしてきた人が多いそうです。
そりゃあ天才じゃあるまいし、作品が自然に湧き出てくるわけがないでしょう。どんな天才でも勉強や努力なくしていい作品を書くことはできないでしょう。
やっぱりノウハウを勉強しなくちゃだめだな~
子どものころ、小説家になろうと思っていたらしいのです。
今でも人生の最後の切り札だと思っている部分があります。そのうちに書こうと思って生きてきました。しかし、もう人生、半分以上すぎてしまいました。
もう20代でも30代でもないから、20代にしかかけない作品や30代でしか書けない作品はもう書くことができません。40代でしか書けない作品を書く期間ももうわずかになってきているわけです。だから、そのうちになんていうことは言っていられない秒読み状態になってきました。
なんで小説を書くかというと、パートの収入が少ないからです。正社員になれるはずもないし、単発派遣の仕事を探して、それで少ない収入を得るために休日をつぶすより、その時間、作品でも書いてみようと思ったわけです。はっきり言って賞金狙いってところですが、まあ無駄な労力に終わる可能性が大です。それでも、嫌いじゃないのでいいじゃないかと思います。
でもしか作家じゃだめだろうな~。考え甘すぎ。
この文学賞には一昨年作品を書いて応募したのですが、箸にも棒にもかからない状況でした。
当然です。構成なんか何も考えずただぐだぐだと書いてしまった感があります。
以前の受賞者のコメントなど見てみたところ、その中の一人は2回くらい箸にも棒にもかからなかったそうなので、私も今後の可能性がないとは言えないかと楽観したりしています。入賞しないまでも、予選通過くらいでもしたら嬉しいじゃないですか。
それで、いよいよ書き始めたわけですが、いくらかテーマや内容に構想を持ってはいたものの書いているうちに支離滅裂になってきました。枚数は原稿用紙20枚から40枚です。
文字数はかなりあるのでとりあえず数えもしないで書いているのですが、なんだかアタマの中がゴテゴテになってきました。
仮に一通り書いた後、不明な情報などをネットで検索すると、出るは出るはの新情報。これでは今まで書いたことが事実とはまるで違うおかしなことになるので、書き直したり考え直したりしなくちゃならないのですが、それがまた大変です。どこから軌道修正するんだ?と自分でもわかりません。もういい、今日は中止しよう。そろそろ夕飯をたべなければ・・・。
それで、一昨年のことですが、自分はいったいどんな作品を書いてだしたんだっけとパソコンのワード文書を検索。あれっ無い無い無い。そういえば、このまえ、ブログの下書きなどを一気に削除したのでした。そのときにその作品も削除してしまったらしい。もちろんゴミ箱の中も空っぽにしてしまいました。印刷もしていないし、生まれて初めて応募したあの作品はもう存在しません。この世にあるとしたら、送った実物だけですが、それは先方でどうなったことやら、処分されたかもしれません。まあ、駄作だからどうでもいいやと思うものの、せっかく30枚くらい書いたと思うのに跡形もなくなってしまったとはなあと残念です。
同じ作品は二度と書けないし、それを元に今後改良することもできないわけです。プリントアウトしておけばよかったな~。
私は小説の書き方を勉強したことはありません。人の小説の構成や文体などをこと細かく研究したこともありません。やはりそういう勉強が必要なんだそうです。今文学賞を取っている多くの人はそういう勉強をしてきた人が多いそうです。
そりゃあ天才じゃあるまいし、作品が自然に湧き出てくるわけがないでしょう。どんな天才でも勉強や努力なくしていい作品を書くことはできないでしょう。
やっぱりノウハウを勉強しなくちゃだめだな~
子どものころ、小説家になろうと思っていたらしいのです。
今でも人生の最後の切り札だと思っている部分があります。そのうちに書こうと思って生きてきました。しかし、もう人生、半分以上すぎてしまいました。
もう20代でも30代でもないから、20代にしかかけない作品や30代でしか書けない作品はもう書くことができません。40代でしか書けない作品を書く期間ももうわずかになってきているわけです。だから、そのうちになんていうことは言っていられない秒読み状態になってきました。
なんで小説を書くかというと、パートの収入が少ないからです。正社員になれるはずもないし、単発派遣の仕事を探して、それで少ない収入を得るために休日をつぶすより、その時間、作品でも書いてみようと思ったわけです。はっきり言って賞金狙いってところですが、まあ無駄な労力に終わる可能性が大です。それでも、嫌いじゃないのでいいじゃないかと思います。
でもしか作家じゃだめだろうな~。考え甘すぎ。