山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

受講の値段

2005-10-15 23:51:12 | 未分類過去
世の中には様々な内容の講習があり、その値段も様々である。
私は、日本語教師になるために、通学制の日本語教師養成講座420時間というのを受講したが、そのほかに日本語教育能力検定試験対策講座や、その他個々の講座を入れると最低80万円はかかったのではないかと思われる。しかし、日本語教師になるためだと思えば、全然惜しいとはおもわなかった。

ところが、日本語教育に関するホームページの掲示板などを見ていると、日本語教師になりたいと言いながら、そういうお金を惜しむ人が非常に多い。お金がないので、独学で検定を受けるとか、いらなくなった教材をただ同然で送ってくれなどという人がいる。こういう人は、本当に教師になる気があるのだろうか?

日本語教育関係の一般のセミナーなどは、たしか、半日で5千円くらいが相場だったように記憶している。それは確かに高いものだなあと思って受けていた。

ところで、今、私は会社で知的所有権に関係するようなことにふれる機会が多いため、知的財産に関する検定があることを知った。私の業務には関係ないので、この検定を受ける必要はないのであるが、その検定のためのセミナーの値段を見て驚いた。朝から夕方までの6時間で、26260円である。これに比べたら日本語の講習が高いなどとは全く言っていられない。
法律関係の講習はこのほかにも高いものが多く、特許文献の検索法などを教わる講習でもやはり数時間で万単位というのを見たことがある。

何でこのように高いのであろうか?
受講すれば必ず仕事につけて、即、収入につながるとも思えない。しかし、そこにいかなければ簡単には得られない情報や技術であるために、それだけ価値が高いのかなあと思う。

あるセミナーの講師が言うには、将来ある仕事をしようと決意して、それが微々たる金額の講習を受けることによって、簡単に到達できるものであるはずがないとのことだった、その仕事が誰にでもできるものではなく、世のなかにとって価値のあるものであるなら、それになるのも簡単であるはずはない。それになるのは、努力もお金も必要になるわけだ。

たしかに、そうだと思う。努力もし、お金もかけるという覚悟をもって突進するのでなければ、達成できないことが多いのではなかろうか。

そして、金額と価値というのは、比例している場合が少なくない。
たとえば無料の日本語ボランティアとプロの日本語教師とがいて、どっちから日本語を習うのが良いかと言えば、やはりプロの日本語教師から習うほうが内容に間違はない。
同じ人間がボランティアと教師の両方をしていたとしても、やはりお金をもらって仕事で教えるほうに力を入れている。
特に教わっているものが教えているものに直接お金をはらっているほうがお互いに真剣になる。日本語学習者が自分でお金をださないで、教室のための人件費や必要経費を税金で負担していたり、企業がはらっていたりしたら、外国人はやる気はないし、すぐに休む。教師はいい加減に教えていても、給料がもらえるし、学習者が真剣でないなら、だんだん手抜きになっていく。
教えたい人と教わりたい人の純粋な取引によってこそ、内容が向上する。

だから、高いお金をはらう受講生と、高いお金をとる教師によって行われている講習こそが真剣で質の高いものであるということになる。

ということに行き着いたが、・・・それでいいかな?