山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

学生から受信料をとる矛盾点

2005-10-10 18:23:29 | 未分類過去
NHKは自宅から離れて学校に通うためにアパートなどに住んでいる学生からも受信料をとります。

本来、受信料はテレビ1台につき1件というような考え方のようです、しかし、一軒家でその家の中に何台のテレビがあるかなんて調べられるわけではありませんから、普通1世帯で1件の受信契約です。
また、一人暮らしの人が、居間と寝室にテレビを持っている場合、同時に2台のテレビを見るわけはないのですから、どう考えたって契約は1件でいいでしょう。そうしたら、夫婦で暮らしていても同じことになるでしょう。家族数を拡大しても理屈は同じだと思います。

3世代同居で絶対に2台以上ありそうな家でも、玄関が1つなら1件です。それが2世帯住宅で玄関が2つあると中も別だから、別々に契約されている家も多くなります。でも、屋根の上にひとつだけ衛星アンテナが立っている場合、そのうちの一軒だけが衛星契約をしているというお宅も少なくありませんでした。ずいぶん立派な家で、両方見てるんじゃないかなと思っても、片方の家の分だと言う主張ならそういうことになります。
集合住宅で共同の衛星アンテナがついていれば、全世帯が見ている可能性があるので、一軒ずつ確認に当たることになります。

ところで、アパートに住んでいる学生ですが、私が思うに、学生は収入がないし、本来親と同居しているものです。しかし、遠くの学校まで通えないからしかたなく別の家に住んでいるわけです。そのことによって、本来は親と一緒に1台のテレビを見ているはずの者がしかたなくもう1台のテレビを用意して見るしかないわけです。
自宅から学校に通い、親と同居している学生は、もちろん別のテレビなど用意する必要がありませんが、たとえ子供部屋で別のテレビを見ていたとしてもそんなことは外からはわかりませんから、NHKから子供の分を請求されることなどありません。

しかしアパートは違います。NHKがどんどん押しかけます。住人の入れ替わりも激しいから、定期的に訪問することになります。
アパートの学生は所得がないから、受信料は親が払います。その親は、アパートを借りるだけでもすごい出費なのに、子供にテレビも用意してあげます。子供を学校に行かせるために、それに付随して起こる出費を一生懸命働いて捻出しなければなりません。子供もバイトなどして親の負担を軽くしていることが多いです。

子供が自宅から通っている親は、アパートも借りなくていいし、テレビも買わなくていいし、受信料も払わなくていいのに対して、子供をアパートに住まわせ通学させている親は、それらの出費をよけいに負わなければならないのです。
これはどう考えても不公平で、理に合っていません。

それで、実際には学生のひとり暮らしでは、払っていない人も多いです。NHK側も「学生」ということを控えておき、しつこくはしていないような印象を受けました。学校を卒業し就職したであろう頃を見計らって、再び訪問することはあると思います。
ただ、NHKの請求に反発できずに素直に従う学生もいるわけで、そういう人は損だと思います。


NHK受信料

2005-10-10 13:11:11 | 未分類過去
ちょっと前に夫が電話でNHKの営業所にBSデジタル放送かなんかの問い合わせをしたところ、突然「ところで、お宅は受信料を払っていますか?」と聞かれたそうだ。
うちは、ず~っと前から受信料をしっかり払い続けている。20数年前結婚を機にこの家に引っ越してきてからすぐ契約が始まり、以後一括一年払いで自動振替えになっている。引き落としは毎年2月で、ちょうどボーナスを使い果たしたころになるため、2月になると必ず家計が赤字になるという、いやなタイミングなのである。
衛星を見始めたのも早かったが、衛星アンテナをベランダに取りつけたとたんに衛星契約しろとやってきたから、衛星に変更してからも、もう15年くらいはたつはずだ。

貧乏人がそこまでして律儀に払いつづけているというのに、「払ってないのではないか」などと疑いをかけられ、「問い合わせをしてきたのは、新たに衛星アンテナをつけたに違いない。それではまず契約を。」などと勘違いされ、非常に不愉快である。

しかも、私、パートタイムでNHKに3年間勤めていました!!!
その前も後も、ずっとずっと衛星契約しているし、親の代からちゃんと払っています。

学生時代、アパートに下宿していたときはテレビ゛がなかったから払っていない。ドアを開けると4畳半の部屋の中が全部丸見えで、疑い深い集金人も「ああ、テレビありませんね」って言って帰っていった。学生時代は友達は質屋で中古を買う人も多かったが、そういうテレビは側面が赤いプラスチックみたいなのばかりだったのでいやだった。それで、会社に勤めてしばらくしてから月賦で11インチのソニーの小さな黒いテレビを買った。当時5万いくらかで、月賦にしたら6万以上はらうことになった。今はもっと安いのにね。
そのテレビを結婚するときに持ってきて何年か使ったあと、大きいのに買い換えた。
テレビのなかった期間にテレビ放映されていたドラマや芸能人のことなどは本当にわからない。

引っ越したりアンテナを設置したりすると、なぜかすぐにNHKが来るので、来られるほうは不気味ですが、集金人もいれば、衛星アンテナやケーブルの状況を調査するパートタイマーなどもいるわけです。わたしはそんな仕事をしていました。

今、NHKの不祥事によって契約が大幅に減りました。だから集金専門で雇われている人は大変です。回収の数が減ってしまったら、収入だって減るし、拒否する人とのやり取りでストレスもたまるでしょう。
でも、また信用を取り戻したり、ほとぼりが冷めれば、契約は復帰したりもするでしょう。減りきったものはいつか増える方向に転じます。受信の未契約者を見つけて契約者にするNHKのパートタイムやアルバイトなどの仕事をする人は、そのことで収入を得ているのです。(今はどうか知りませんが、何年か前はそうでした。)
すでに過密状態になっているものは、もう数が増える可能性がないけれど、それが一旦減ったということは、今後新しく契約を取る可能性が高いともいえるのではないでしょうか。未契約者になっていた人間が引っ越したりして、そこで新たに契約をとれば、純粋な新規契約者にもなります。

受信料を拒否する人が多発したとき、うちもちょうど失業したりしてお金もなくて苦しくて、衛星もあまり見ないから、年払い自動振替の契約を解消しようかと思いましたが、一度解消してもいずれ再契約することになるなら、そのために余計な労力がかかり、そこに支払われる手当てもかかることを考えて、やめました。

受信料徴収制度については、いいとは言えないかもしれません。
私自身、未契約の衛星アンテナとケーブルの受信状況を見つけるだけでけっこういい収入を得ていましたが、こういうことに時間や手間をかけるのは合理的ではありません。
上を向いてケーブルの線を長時間追いかけ、どこの家に引き込まれているかを調べ続けるという作業などは、かなり不自然な体勢で、それも原因で一生後遺症を残す顔面神経麻痺になってしまったのかもしれません。
回収のために馬鹿みたいな労力と人件費をかけていると思います。でもそうしなければ回収率が満たないわけです。そういう面で国勢調査に似ている点が多いとも感じます。くまなく調査をするため、国民全員から回収するためにはそのような方法しかないのでしょうか?

そうやって未契約者を調査したところで、大金持ちでオートロックの高級マンションに住んでいる人がその収入に対して微々たる額の受信料さえ払っていないこともある。地方から出てきているアパートの学生の一人暮らしでも払うのが原則で素直に払っている人がいる。豪邸で大家族で何台かテレビがあるはずの家でも1台分しか払っていない、等等、様々な不平等な状況が改善されるわけではありません。
テレビ朝日の社員は考え方があって多くの方が払っていないようでした。
警察の官舎とは知らず、外のアンテナを見て建物内に入り、郵便受けの部屋番号と名前を見ながら契約状況を確認していたら、不法侵入であやうく逮捕されそうになったこともあります。それで、アンテナ設置者の確認はできないままでした。
仕事中に、そんな矛盾点にぶち当たります。

そのような仕事を、昔、収入のためにしていましたが、もうしたくはありません。


橋田須賀子ドラマについて

2005-10-10 02:53:00 | テレビドラマ・映画
最近、橋田須賀子のドラマが立て続けに放送された。先週のNHK5夜連続の「ハルとナツ」と昨夜日曜日のTBS「涙そうそう~この愛に生きて~」であるが、その内容には共通点がありすぎ、ちょっとクビをかしげたくなる部分が多かった。

・ストーリーの展開が不自然であること。(ありえないような出来事や幸運)
・ヒロインを拾って助ける他人が登場する。(ナツを拾う牛飼い・志津を拾う美容師)
・自分の育てた子供は失敗作で母親は実子と縁を切るという設定がある。
 (できの悪いナツの二人の息子・できの悪い美容院の実子)
・女手ひとつで事業を大成させるというヒロインが登場。(ナツ・志津)
・土台にされる男の登場。(牛飼い、不動産屋から美容院を買った事業家)
・夫はかならずヒロインより先に消え、短期間で登場しなくなることが多い。
 (ナツの進駐軍の夫と第2の夫、志津の恋人である寺跡取り息子貴志)
・主になる女登場人物には取り巻きのような男あるいは女、使用人がいる。
 (牛飼いやクッキー作りを手伝う2人の男・クッキー工場の女使用人2人・美容院の美容師)
・人の心を理解する主たる人物は実の子ではなく、養子的な存在や孫である。
 (牛飼いとナツ・ナツとハルの孫・ハルと孫・美容院経営者と志津・志津と孫)

このような類似点は自分の人生体験の何かが影響しているのではないのだろうか?
何があっても実子との濃い関係を描くことができない人だと思うし、一生夫婦を全うすることを描くのも苦手なようだ。男は長く登場することは少なく、幸せになるという筋もあまり好きではなさそうである。
このような特徴は今回の二つのドラマだけではなく、「おしん」「春よ来い」などにも見られるような気がする。

今回のドラマで私が一番気に入らなかったこと。

ハルとナツ
最後、ナツは自分が生んで育てた二人の息子とは心を通じ合わせることなく、人間として失敗作のような息子たちを捨てて何十年も会うことのなかった姉のいるブラジルに旅出つ。こころが通じ合うのは、その姉とその姉の家族だけであるかのような設定。
どうして日本で苦労して自分で育てた自分の息子が他人と同様だというような結論にするのか理解できない。私だったら、そんな息子であろうと空港に見送りにくるくらいの母を思う人情は確認したかった。日本がどんなに高度成長を求めバブルに走ったって、そんな救いようのない社会や家族を生んでいるというような決め付けはされたくなかった。

涙そうそう
最後、志津と結婚せず別れたままになった貴志は最後の場面では恍惚の老人となって車椅子に座っている。なんで、志津は元気できれいな老婦人で活躍している設定であって、男はこんな設定にするのか。この男は愛する女が自分の子供を産んだとも知らずに、一生を終えていくのだ。
橋田の意識の中には男はどうでもいいし、眼中にないということの現れである。
何か、根本的な人間性の欠如を感じる。
いつもドラマの最後に残念な思いを残す。

そして、思い出の中の愛が人間に力を与え人をまともに進ませ、目の前の生身の人間(たとえば生きている夫=三浦友和)は悪影響だけを与えるかのような設定。
現実にそんなことあるわけないと思う。あまりにも現実の目の前の人間を軽視しすぎている。(そこで、夫が改心すると手のひらを返したように上機嫌に接する妻(賀来千香子)の応対振りもものすごく不自然な展開)

橋田自身が実子をもたず、夫とも早く死に別れて来たために、自分が体験した以外の心情を理解できず偏った内容の設定しかできないのではないだろうか。

身なりで判断する店員

2005-10-10 01:07:48 | 未分類過去
私はファッションには疎いほうであり、お金もないから、普段は西友かイトーヨーカ堂といったところで、5000円以下の服を買うことが多い。
しかし、1年中どこへ行くにも同じGパンで過ごすというような身なりにかまわないようなタイプではない。
ところが、そのように思われていやな思いをしたことがある。

ある日、あるブティックの前を通りかかったら、ちょうど同窓会に来て行くのによさそうなスーツが目にとまったため、その店に入った。そのときは、自宅から自転車で近所のスーパーにちょっと買出しに出たときだったので、たまたまGパンとトレーナーとかかとの低いサンダルのような、まったくいい加減な格好をしていた。

それで、試着させてもらおうと9号の服を持って行ったところ、「お客さんはLサイズじゃないですか?」と店員が言ってきた。私は、腿が太いのだが、太いのは腿だけなので、いつも9号を着ているのだ。「いえ、いつも9号ですから」というと、「スカート買ったの何年か前でしょ?」と言うのだ。「いいえ、最近買ったのもみんな9号ですよ」と言い返したのだが、「お客さんの腰の太さだと11号だと思いますけどねえ」などと言って納得しなかった。
試着するとやはり9号で大丈夫だった。そのとき試着室から出て、自分の履いてきた靴を履いて鏡の前に立つと、「お客さん、この服を着るときは、もっとヒールの高い靴を履かなきゃだめですよ。たまにはヒールのある靴もはいてみたらどう?」などと言うのである。
「ああ、今日は、こんな格好をしてますけど、いつもはヒールのある靴履いてますから」と答えたが、どうしたって、この店員は私が一年中ジーパンとトレーナーで化粧もしないで暮らしていて、何年間もスカートを穿いたことも買ったこともなく、何十年かぶりの同窓会のために初めてスーツを買おうとしている人だと思ったようだった。

この店には以前にも何度か入ったことがあり、スーツやカットソーなども買ったことがあるが、それは通勤帰りであり、そのときは丁重な応対を受けていた。そのときの店員と上記の店員とは別の人だった。

ブティックに行くときは、服装はちゃんとしたものを着ていったほうがいいとつくづく感じた。同じ人間でありながら、そのときの身なりで判断されるものなのだ。
日本語学校の帰りなどに立ち寄ると、教科書が入った大きなカバンなどを持っているために、学校の先生ですかと聞かれ、そうだと答えると、ああやっぱりそうですか、そのように見えましたなどとよく言われた。
しかし、私は同時にスーパーマーケットで品出しの仕事もしていた。その仕事のときはジーパンである。
どっちも中身は同じ人間なんだ。服装で判断しないでもらいたい。