山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

PTA活動について

2005-10-07 22:59:03 | 未分類過去
秋になって、PTAの学校行事が多くて辟易している。

4月の最初の保護者会の日、たまたま仕事が休みだったので学校に行ったら、出席者が5~6人しかいなくて、しかたなくクラスの委員を引き受けることになった。
子供が高校生にもなると、専業主婦の母親なんていうのはごく少ししかいない。子供も大きくなって、小さいときのように学校生活の様子を心配することもなくなるため、あまり出席する必要性もなくなってくる。
そして、出席者が少ないことが初めからわかっていて、出席すれば役員を押し付けられる可能性があることを知っているために、そういうのがいやな人は、皆なおさら来ないこととなる。

今年の新学期に来ていたクラスの人たちも皆仕事があって、だれひとりまともにPTA活動なんかできそうな人はいなかった。こういうときはひたすら、みんなして葬式のように下を向いてし~んとしているのが常である。しかし、いつかは決めなければ帰れないのである。
来ている人の中から選ぶというのも不公平だが、来ていない人に一人ずつ電話をして聞くというのはもっとたいへんである。それで、結局のところ、「みんな忙しいのは分かっているからけっして無理は言いません。できる範囲でかまいません。名前だけでいいです。」などということになり「それならやります」と言ってしまった。

1学期はさしたる活動もなく、やっぱり高校ともなればこんなもんだろうと安心していた。ところが、2学期が近づくにしたがって、文化祭、講演会、公開授業、懇談会など様々な行事が立て続けにやってきて、そのたびにその準備や当日のいろいろな役割で出てくれないかと連絡が来るようになった。
しかも、その連絡は、平日の昼間に出席することが当然のような言い方であり、仕事があっても、前々からわかることなんだから休めばいいでしょうという姿勢なのである。

8月と9月の平日に文化祭の準備があったが仕事で出られなかった。文化祭当日は日曜日にPTAのコーナーに手伝いに行った。(そこに直行して片づけまでいたので、生徒の出し物はいっさい見られなかった。)
10月は毎週のように学校行事がある。保護者会と委員会が同時に行なわれたとき、ちょうど会社が休める曜日だったので1日だけ休んで出たのだが、「あとの3回は全部出られないんですか!!困ったことですねえ」というようなことを言われてしまった。

そりゃあ、いくらなんでも会社は月に1回くらいしか休めないでしょう。毎週私事で休んでいたらクビになってしまう。仕事はそれほど忙しくないといっても、いざというときに会社の中にいなくちゃ役に立たないし、曜日によって絶対にやらなくちゃならない仕事もある。休むからって、自分がするべき仕事を人に説明してお願いしたり、その日担当者がかわることを仕事場のみんなに伝えておくのも大変であり、みんなが私ひとりの都合によって、いつもと違う流れで仕事をしなければならなくなる。そういうことを考えると、すごくいやで、面倒で、気が引ける。できる限り休みたくない。

結局のところPTAは、最初は「できる範囲でいいですからお願いします」などといっても、いざとなると「万障繰り合わせてお願いしますね!」という強気な態度で強制されるようになる。みんなはそれがわかっているから、そういうことに巻き込まれないように学校には最初から足を運ばないのであろう。

PTA活動をしてみて、生徒の親御さんたちと交流を持つことができ、学校の様子もわかって、いい面もたくさんあった。でも、結局は一番暇で熱心な人が活動内容や集合日程を決めて、忙しい人を引っ張っていくかたちとなるために、引っ張られる人はかなりきつい目にあってしまう。

来年は絶対固辞する           



個人情報の保護意識

2005-10-07 10:20:44 | 未分類過去
今日のニュースでやっていましたが、最近個人情報に関する意識が世間で強まってきたことから、国勢調査をしにくくなっていて、調査員を辞退する人が増えたとのことです。
50件調査票を回収すると4万円くらいもらえるそうで、いい仕事だなあと思うのですが、協力的でない人からの険悪な対応には、お金をもらってもやりたくないという気持ちになってしまうようです。

ところで、個人情報を守ろうというふうに世の中が動いているのなら、調査員の意識もちゃんとして、勝手に封を開くなどということもなくなるのではと思っていたのですが、そうでもない場合もあるらしく、目の前で、ちゃんと記入しましたか?と封を破って見られそうになったなどという話を耳にしました。だから、非常識な調査員に対して信用できないから提出はしないと言う人も多いようです。

うちに来た調査員の人も、用紙を持ってきたときに、「人に知られて困るようなことはありますか?」と聞いてきたので、「いや、別にありませんよ」と答えてしまったのですが、そう答えたということは、封をしてあってもあけてもいいと判断されるかもしれないと思いました。実際、調査員の方一人に見られてもどうということはないので、封はしないで出しましたが、そうなると、もしかしたら人目に触れることもあるかもしれません。
まあ、このように無頓着に個人情報を扱うお年寄りの場合は、何か悪意があるのではなく、単なる親切心で中を見てしまうことも多いようです。

しかしながら、調査員にもいろいろな人がいるはずですから、中には悪用する人もいないともかぎりません。疑いだしたらきりがありません。

そして、自分で自分の情報を厳重に保護しないなら、その情報をどう利用しようとかまわないというように、逆に常識がなくなっているようにも思います。

各種の名簿を作るときにも神経質に拒否する人が続出し、もはや名簿の意味がありません。私はそれが業者の手に渡ったとしても、勧誘の電話がかかってくる程度ならば、断ればいいことなので、住所と電話番号くらいは、抵抗なく書き込んでいます。
しかし、最近は、子供の学校の連絡網なども作ることできなくなったり、卒業時に住所録をつくることもなくなってしまい、いざと言うときに連絡先がわからないことも多くなっています。極度な個人情報保護のために起きる弊害のほうが大きいようにも思えます。

ブログについて

2005-10-07 00:29:04 | 未分類過去
8月の22日から始めて、毎日書いてきましたが、ちょっとどうかなと思うものを非公開にしました。いろいろ考えると全部なくしちゃったほうがいいようにも思いましたが、とりあえず大部分は残してあります。

先日、知人仲間と話しているときに、最近ネット検索していると、個人のブログがでてきて迷惑しているという話がでました。そんな個人的なことが書かれているもの読みたくもないのに、検索中に出てきてしまうから、いやでも読むことになる。ネットはブログが氾濫している。あんなものを書く人の気が知れない、などとみんなが言っていました。
私は自分がそれを書いているなどと口が裂けても言えない雰囲気でした。個人的なことを書いているブログについてそう思う人も多いんだなあと思いました。

確かに匿名であっても自分自身のことを公開するなんて変なことかもしれません。
そして、自分のことを書きたくなるような人は、どこか頭が変なんじゃないかと思います。
私は人のブログを読むのが好きです。そして、うつ病とかDVの被害にあっている人など、精神的に病んでいるひとのブログもよく読みますが、結局のところ自分も同様な精神的要素があるからです。
ブログの内容にもいろいろあって、当たり障りのないことを書いている人も多いです。
でも、中にはかなり個人の核心にかかわることを書いている人もいます。ある特定の関係者に見られたら大変なことになるかもしれないものもあります。でも、私も含めてそういう人は書かなくてはいられない心理があるんだと思います。
それは、自分の知らないどこかの誰かが自分の気持ちを理解してくれるかもしれないという、発信だと思います。

今まで、個人個人が日常思っていることを知る機会はそんなになかったと思います。ごく親しい人間には自分のことも話したりするでしょうが、それでもいちいち話さないことも多いし、話せないことも多いです。
このブログというものが世のなかにできてから、人々はかつて自分ひとりの世界だった日記を共有するようになったと思います。それは、人類史上初めてのことではないでしょうか。身近に同じ境遇の人がいなくても、どこかに共感してくれる人がいることを願って、自分という人間が生きていることの証として、メッセージを発信しているんじゃないんでしょうか。

大げさな表現になってしまいましたが、そういう行動をすることが病的と言ってしまえばそれまでです。
知人の話を聞いていて、この人たちは健全なんだなと思いました。鬱積しているものや人に訴えたいことがあまりなくて、満たされているんだろうと思います。

私は楽しいブログも好きです。映画や音楽や趣味に関するものでもいいです。ブログで楽しい話題を積極的に発信しようとする人も多いです。
そういうことを意欲的にやっている人もいます。それは問題なくいいことです。
また、何につけやろうとしたものの、発信するものがあまりなくて、続いていない人もいるようです。境遇に関しては特にマイナス要因もなく、プラスの情報や感情もあまりない人です。そういう人はある意味、健全なのかもしれないと思います。

失業して再就職する過程、病気になってからの闘病記録、肉親をなくしての気持ち、など書く人も少なくありません。そういうのも多いんじゃないかなと思います。そして、そういう人は自分も書くし、人のものも読んでいるのではないでしょうか。

私も自分のマイナス要因から出発した者の一人です。
でも、そろそろマイナス面をほじくり出すことをやめて、プラスのものを発信する内容にしなければいけないなあと思っています。
少なくとも、個人として特定されたときに困るような内容のものを書き続けていたらいけないんだろうなと思い始めました。

そして、毎日書くことを優先目標にするのも問題かもしれないし、閲覧数やアクセス数を気にし始めるのもよくないかもしれません。

それから、ブログばかり書いてないで、勉強もしなければと思います。
自分の中のものを出すだけではなく、外から何かを取り入れることに労力を注がなければ成長はありませんね。