ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

2014/07/01 侵略国であったことを忘れた国になった日本・・・このままでは終われない

2014-07-01 23:59:03 | つれづれなるままに

1945年に太平洋戦争が敗戦という形で終わり、戦後69年で侵略国であったことを忘れた国になった。日本がアジア・太平洋諸国を侵略した事実を反省して国民の歴史としてきちんと担える国民を育てない政策が実を結んだのだと思う。
戦後歴代の政権が認めてこなかった「集団的自衛権」をもつ国になると、憲法解釈を変更する閣議決定を行ったことを、日本帝国主義の犠牲になった国々はどう受けとめるだろうか。

アメリカによる占領の時代に、日本の非軍事化を途中でやめて手下の同盟国に仕立て上げるように対日占領政策が転換され、以来、属国のような同盟国になっていた。
憲法を改悪しようとする勢力は、アメリカに押しつけられた憲法だから変えるのだと言い、アメリカがそれには難色を示すと、アメリカの顔をつぶさないで実質的に改憲してしまう、「解釈改憲」という手法をとった。

マスメディアに直前まで報道規制の圧力をかけられるように、安倍首相は新聞社のトップなどを会食に招いて釘をさした。よばれる方もよばれる方なのだが断ればそれも怖かったという状況に追い込まれていたのか?さすがに直前になってからは少しずつ安倍政権の暴走を報道したが、突っ込んだ内容にするにはスタッフ陣に相当な覚悟を強いたことが推測できる。

昨日のTV朝日の報道ステーション、今日のTBSのNEWS23も気合が入っていた。今日のNEWS23では「ポイント・オブ・ノーリターン」の日になったという言い方をしていた。
澤地久枝さんのコメントは一部に言い間違いもあったと思う。「もはや戦後ではなく戦前になった」とおっしゃりたかったのだと推測できる。
半藤一利さんも戦前と同じように「自衛のために外に出るということが戦争を起こす」と警鐘を鳴らしていたが、戦前との違いは「国民意識」だと言う。悲惨な戦争を体験した人がまだいること、それによる戦争を厭う意識があるのではないかというようなことをおっしゃっていた。

まさにそこが大事だと思っている。私は今、被爆者の方々の証言をお聞きして記録として残すボランティア活動に参加している。参考になるので原爆小説も続けて読んでいるが、まさに原爆を落としたのはアメリカ政府だけでなく、戦争を起こした日本の軍閥政府だと痛感している。そしてそういう政府をゆるしてきた当時の日本の国民全体にも責任の一端があると思う。もちろん為政者の責任が大きいわけで、それを繰り返させないようにするのもピープルズ・パワーなのだと噛みしめている。

被爆者だけでなく、先の戦争で家族を亡くし戦火で傷ついたり暮らしを奪われた人たち全てが受忍するのではなく、為政者への責任を問い、それを繰り返させない決意をもてるようにしなければと思う。これはなかなか大変なことだ。大体、私の母は東京大空襲で家や財産を失い、疎開して、戦後は苦しい生活を強いられたのに、自分の生活でいっぱいで社会全体をどうこうしようという視点はもっていない。必死で生きてきたことは誉めつつ、そういう限界をもった人であることの限界を理解しているが、尊敬まではできない。それでも母の戦争体験もきちんと記録をさせてもらおうとは考えている。ここでもICレコーダーに活躍してもらおう。

「ポイント・オブ・ノーリターン」の日とはいうが、まだまだここで終われはしない。為政者が勝手に判断して協力した他国の戦争に巻き込まれてしまうことがないように、局面局面での勝負を続けなければならないと新たに覚悟を固めた次第。

冒頭の写真は、職場近くの番町文人通りで見つけた藤田嗣治旧居跡の看板。昭和12年から19年に疎開するまで住んだ所だという。戦争中に軍部の要請で戦争記録画を描いたことを戦後に叩かれた藤田はフランスに移り、帰化して日本に戻らなかったという。ネット検索してみて戦前・戦中、日本では戦争に反対すれば徹底的に弾圧され、軍部に協力すれば戦争協力の責任を戦後、有名人であればあるほど強く非難された。戦争に振り回された芸術家の生涯に思いを馳せた。
Wikipediaの「藤田嗣治」の項はこちら
そして私はあらためて戦争に振り回される人間にはなりたくないという思いを強くした。