ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

06/06/25 歌舞伎座6月昼の部③「荒川の佐吉」

2006-07-02 17:39:40 | 観劇
4.「江戸絵両国八景 荒川の佐吉」
真山青果が昭和7年に十五代目羽左衛門のために書いた新歌舞伎。十五代目は「最初はみすぼらしくて哀れで、最後に桜の花の咲くような男の芝居がしたい」とリクエストしたという。2時間モノなので話はちょっと長いが、以下にあらすじを書いておく。
主人公の佐吉(仁左衛門)は、両国界隈を縄張りにする鍾馗の仁兵衛の三下奴。元は大工だったのに憧れたやくざの世界に飛び込んでしまっていた。佐吉が口にした「強い者が勝ち、弱い者が負けるというこの世界が好き」という言葉を聞いた浪人成川郷右衛門(段四郎)は仕官の道よりもやくざになることを決意。仁兵衛は郷右衛門に片腕を斬り落とされて縄張りを奪い取られ、一家は解散となる。佐吉は甲府に使いに出されていて事情を知らない。さらに麻疹にかかって寝込んでしまい、江戸に戻ったら状況は一変してしまっていた。
仁兵衛にはふたりの娘があり、芸者に出していたお新(時蔵)は日本橋の大店丸総の跡取り息子に囲われて子どもを産む。ところが赤ん坊の卯之吉は生まれつきの盲目で少しばかりのお金をつけて実家に引き取らされてきた。仁兵衛は佐吉に妹娘お八重(孝太郎)と一緒になって卯之吉を二人の子として育ててもらいたいと言う。お八重は反発して家出してしまう。自棄になった仁兵衛はいかさま賭博をして殺される。
佐吉は残された卯之吉を大工仲間で友達の辰五郎(染五郎)の家で世話になりながら育てること7年。丸総の妻になっていたお新はその後子宝に恵まれなかったために、卯之吉を戻して欲しいと人を介して度々言ってくる。子どもを捨てて放っておいたくせに事情が変わると返せという勝手な言い分をを許せない佐吉は断る。頼まれてきたやくざ者白熊(團蔵)が力づくで取り戻そうとすると、もみ合っているうちに佐吉は手にかけてしまう。捨て身になった人間が強くなることを悟り「一心具足千人力」と仁兵衛の仇討ちに駆け出していく。
郷右衛門の手下に遮られていたところを、大親分の相模屋政五郎(菊五郎)が通りかかり立会いを得る。佐吉はさしの勝負で見事に郷右衛門を討ち取って縄張りを取り戻す。
家も立派に建ててすっかり親分の風格を身につけた佐吉。そこに今度は政五郎が話をもってくる。卯之吉は丸総に返し、お八重と一緒になって二代目仁兵衛となれと言う。これまで放っておいたような親元に帰すことはできないと佐吉は応じようとせず、お新は身の居所がなくなって佐吉の脇差で自害を図る。盲人の権威の“検校”になる株を買ってやるための千両という大金も丸総ならばわけもなく用意できる、卯之吉が成り立つようにさせてやるためにはそれが一番だと説得する政五郎。その言葉に決断を下す佐吉。さらに自分のような者が育ての親だと卯之吉の将来にかかわるから、江戸を出ていくという選択をする。
大切りは、江戸を旅立つ佐吉との別れの場面。お八重は自分が佐吉を見る目がなかったことを詫び、辰五郎は卯之吉を連れてくる。相模屋政五郎も山内容堂公より拝領の刀を餞別に贈り「惜しい男を旅に出すねえ」と別れを惜しむ。満開の桜が散る中を佐吉は道中着に身をつつみ花道を去っていく.....幕。

まるでジャン・バルジャンみたいだな~と思いながら見ていた。もちろん状況は違うのだが、自分の子ではない子を育てる中で生きがいになっていく。最後はその子の将来のために自分は身を隠すというあたりがそっくり。バルジャンは死ぬ前にコゼット夫婦に見出されて看取られて死んでいくところで終るのだから後はつらくない。
しかしながら佐吉はまだ若く卯之吉の将来のためとはいえ死ぬまで江戸には戻らない覚悟が観ている方も辛く切ない。大体、自分も常々卯之吉に“検校”になる株を買ってやると言っていたくらいだからそれが実現できるとわかれば身をひく決心をするのもわかる。自分の愛情の持って行き場がなくなってもそれは仕方がないことだと身を切られる辛さに耐える姿を仁左衛門は見事に演じる。ご自身の子ども好きがにじみ出るような前半の卯之吉への愛情表現があるので、それはもうその辛さにご本人も涙し、観ている方も涙する。
キーワードの“検校”をウィキペディアで調べるとこちら
この芝居は最後は観るのがけっこう辛いが、二度と観たくないという辛さではない。子どもを育てるということはこういうことだという共感を得るような辛さなのだと思う。だから繰り返し上演され、繰り返し観たくなるのだと思う。

私のご贔屓の愛之助は佐吉の兄貴分の清五郎役。お八重と恋仲だが、郷右衛門に仕返しを図ってすぐに斬られて死んでしまうという短い出番しかない役。しかしこの役は大事だと思った。お八重が惚れこむカッコよさを体現することで、冒頭の佐吉があまり格好良くないことを強調。お八重が佐吉と一緒になれと言われて嫌気がさすのも仕方がないと思わせなくてはならない。ここで佐吉の方がカッコよかったらまるでお八重がバカみたいだ。そのための引き立て役として清五郎役は重要。江戸弁に苦労しながらも愛之助は十分カッコよかった。お八重の孝太郎もこういう勝気な役を初めて見たがなかなかいい感じ。
辰五郎役の染五郎、佐吉を支える友達として堂々としていた。また実際にパパになったためだろうが卯之吉との芝居でも自然な感じ。仁左衛門と組んでここまで立派に演じたことに感心した。

郷右衛門の段四郎は何を演っても安心な人だと思っているが、黒の着流しで斜に構えた浪人役がカッコよかった。こういう人は貴重だと思う。お新の時蔵は最後しか出てこないが囲われ者で子どもについても自分の意思を通せなかった辛さというものも想像させられ、ドラマの深みを増していたと思う。菊五郎が捌き役的な相政役で仁左衛門の佐吉と並ぶ様は本当に見ごたえ十分。

演出は真山青果の娘の真山美保。学生時代に新制作座の女優さんだった方のお話をきく機会があって「美保先生はそりゃあ厳しい人だ」という話をきいたことがある。その美保先生も今年の3月に亡くなった。父の作品を娘が演出をするというのもなかなかいいものだと思っていたが、もう観られないのが残念といえば残念。
最後に幕見した「暗闇の丑松」を続けて書く予定。
昼の部①「藤戸」「松竹梅」の感想はこちら
昼の部②「双蝶々曲輪日記・角力場」の感想はこちら
夜の部幕見「暗闇の丑松」の感想はこちら