GW前半のメイン課題、実家の屋根裏収納の片づけを決行した。4/21、22で二日連続観劇、23日は職場の労組の懇親会、25日は歌舞伎の千穐楽観劇もしつつ、上司との会議や面接など、緊張感あふれる一週間の疲れがどっと出た。
金曜日の夜に喉が痛くなってきて、4/28(土)の連休初日は、天気もよいというのにしっかりと寝込んでしまった。まぁそれも仕方がないか(^^ゞ
そしてついに、29(日)は業者さんによる片付け決行日。実家に10時過ぎには到着し、GW後半のメイン課題の納骨についての打合せをすませた。そうこうしている間に約束の12時ちょっと前に業者さんが先に二人ワゴン車で到着。見積もりの時よりも母が頑張って自分で捨てられる分を減らしたことを報告。さらに見積もりから1ヵ月の間に気持ちの整理をつけて処分に踏み切った応接間の絨毯の追加を頼んだら快諾してもらえた。
2階の仏間を中間点にして屋根裏収納からどんどん荷物を下ろす。大方は両親と母の実家がそれぞれに商売をやっていた時の未処分の荷物なのだが、母の実家が戦争で東京から栃木に疎開した時の荷物もあった。元々はミシンの輸入業と縫製業をしていたので、貨物列車3便で疎開させたのだが、あとの2回は駅留めになっている時に米軍の襲撃で焼かれてしまった。反物と最初の家財を運んだ1便だけが無事だったということで、その時の桐箪笥(通常より幅広)や母のお雛様などは80年物だという。
疎開先で確保していた家が二重売りの詐欺にあい、村の公会堂に仮住まいして一生を終えてしまった祖父のところで、私たち姉妹が水遊びをした時の楕円形の木製のたらいも出てきた。
茶箱を買ってはいろいろと物をしまっていたことも覚えている。階段下の収納部分にあった足踏みミシンの最後の一台の奥にもさらに2箱あって、それも追加で出させてもらい、中を見たら私たちが子どもの頃に着たオーバーコート類が入っていてびっくり。40年近く前のものだ。
さらに、冒頭の写真は、名古屋の妹1が娘2人の後に、男の子がもう一人欲しいと言っていた頃、社宅は狭いからと実家に預けた荷物だ。マタニティ服、新生児服、幼児服やおもちゃ等が出てきた。もう一人産むのはあきらめたので不要になったのに引き取り忘れてしまったようだ。
屋根裏部分に加えて、一階の納戸部屋にあるものも処分対象で、父のステンドアートの下地となるガラス板もたくさん残っていたが、それも一気に片付けてもらった。一部割れていたのは地震のせいもあるだろう。父が趣味的に集めてしまった工具の入った小さい物置も中身ごと持っていってもらうことにし、さすがにこの分は追加料金が発生したが、家の周りもすっきりするし、当日になって処分の決断をしたものも車に乗る限りはお願いできたのがラッキーだった。
車は午後2時頃到着し、外に運び出した荷物を2tロング車の天井までぎっしり積み上げてかなりいっぱいにして引き上げていった。
さらに、応接セットの下の絨毯を剥がした後、「ワックスがあればかけておきますよ」と声をかけていただいたので、スプレーをお渡ししたら丁寧に拭き上げてくださったことに母も私も感謝感激!!
20万円はかかったが、こんなに気持ちよくお仕事をしていただいたことに感謝至極。本当に有難かった。
3月末の見積もり後、実はあらたに風呂場のタイルが浮いてくる問題が発生。おそらく地震で壁に亀裂が入っているのだと推測されている。屋根裏収納がかなり重かったのもよくなかったのだろうという話も出ていた。
その屋根裏が軽くなったら、家全体が軽くなったような気がするねぇと母と私がしみじみしてしまった。確かに耐震的にも安心さが増したと思う。鼠の襲来がきっかけだったが、地震対策という観点も大きかったと後から気がついた。
さて、GW後半のメイン、5/5の納骨には三人姉妹が揃う。その時に妹たちに母を誉めてくれるように頼んでおいた。「今回はこんなにまとまって荷物を処分することを思い切ってくれてえらかったねぇ」って言うんだよってね。
それがすんで、落ち着いたら次は風呂場の修理!次から次へと課題が出てくること!!
うちの市でも100軒ほど半壊や亀裂など被害があったようです。
ピンポイントで隆起している場所もあったし、公共工事でも河川の護岸補修をやっているところもありますね。