ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

13/08/19 職場で防災訓練、夜に東日本大震災の復元納棺師さんのドキュメンタリー番組を見た

2013-08-19 23:59:13 | テレビ

職場のあるビルでは、年に2回の防災訓練がある。たためるタイプのヘルメットが職員に一個ずつ配られているので、それを組み立てて頭にかぶって毎回訓練に参加している。そんなことをするのは私くらいで(見た目があまりよくない)、それでもそうしないと組み立てたり、元に戻したりする方法を忘れてしまうので、その練習も兼ねている。

また都度都度、千代田区の消防署の方のご指導を受けながら、消火用の水を出してホースを持って目標に水をあててみる体験やら何やらが組み込まれている。今回は起震車に乗って大きな地震の揺れを体験するというものだった。
冒頭の写真のように起震車がビルの前に停められて、そこで乗車。テーブルの脚の部分につかまっていたのでそんなに怖くはなかった。
一昨年の東日本大震災の時も、5階フロアにある職場で被災し、自分のデスクの下に潜り込んで長時間の揺れに耐えた。その時の時間の長さにただごとではないし、もしかして首都圏直下型の地震がきたのかもしれないと覚悟を固めた気持ちを思い出した。

深夜、風呂上りにつけたテレビでNHKスペシャル「最期の笑顔~納棺師が描いた東日本大震災~」の再放送をやっていた。番組表の説明には以下のようにあった。
「巨大な大津波で流され、損傷した遺体の傷を修復してきた笹原留似子さん。家族の最後の対面を描いた絵とその時に交わされた慈しみにあふれた対話の記録。」

納棺師という職業は映画「おくりびと」で有名になった。私も映画を観て、青木新門さんの『納棺夫日記』も読んだ。
復元納棺師の笹原留似子さんは、変わり果てたご遺体のお顔を故人の笑顔の写真をもとに復元する。硬直した顔の筋肉をマッサージし、笑い皺を探して口元も含めて笑顔を復元するのだ。さらに生前の顔色に近く彩色し口紅を塗り、復元を依頼した方に確認する。
「これで子どもたちに会わせることができる」と父親が子どもらに母親に対面させる。ようやく母親の死を受けとめることができた子どもたち。
笹原さんはその家族を温かく見つめ、ボランティアが落ち着いた頃、スケッチをもとに個人を一人一人思い出して笑顔の絵を描いていた。

その絵の表情が優しくて、思わず目頭が熱くなる。円空仏のようでもある。
『おもかげ復元師の震災絵日記』はこちら
復元・納棺の会社「桜」の代表取締役をされていて、その略歴を見せていただいたら、キリスト教や神道の巫女さんの経験もされてから病院に勤務されている。病棟で沢山の患者さんを看取る中、「もっと自分に出来る事はないか」と考えて復元納棺師になられたという。
亡くなられた方を尊厳をもって送ること、残された家族や周囲の方々の心のケアのためには、笹原さんのような方がいらっしゃることは本当に心強い。
さらにこのことが当たり前にできるしくみができているかどうかで、社会の成熟度が問われてくると思っている。いろいろと考えさせられた。