ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

10/09/26 秀山祭九月大歌舞伎(1)全体概観と舞踊の感想

2010-10-03 23:59:58 | 観劇

10月に入ってしまったが、新橋演舞場での秀山祭九月大歌舞伎について書いておきたい。昼の部は12日、夜の部は千穐楽の26日に観劇。
まずは全体の感想から。
これまでの秀山祭との大きな違いは、初代吉右衛門所縁の播磨屋・高麗屋・萬屋中心の座組みだったこれまでと違った顔ぶれだ。人間国宝の芝翫・富十郎・藤十郎の3人が揃い、幸四郎が出ずに仁左衛門が出て、吉右衛門との二枚看板になっている。
人間国宝に舞踊で出番をということで、昼も夜も4本立てでそれぞれ長丁場ということになり、観る方にとってはちょっと辛かったと思う。

今年の40日以上真夏日が続く猛暑の後、「秋バテ」という言葉が流布したが、私もこの間の近況報告のようにヘロヘロとなり、観劇も演目を飛ばしながらという体たらくとなってしまった。
昼の最初の「月宴紅葉繍(つきのうたげもみじのいろどり)」と夜の最初の「猩々(しょうじょう)」はほとんど観ていない。最後の方だけ観た「猩々」ではこれまで観たのと違って酒売りが女形(芝雀)なのが珍しい感じがした。猩々は梅玉と松緑だったが、梅玉がきっちりと踊っているのが印象に残った。

昼の部の最後の「寿梅鉢萬歳(ことぶきうめばちまんざい)」は、藤十郎が萬歳として寿ぎの舞を見せる。女の萬歳ということで、白拍子の水干のようなものをまとって登場するが、最初だけで、次々と綺麗な衣装に引き抜いていく。藤十郎は赤の衣装が似合うし、お約束の藤の花の刺繍入りの衣装にも替わる。大きく動くわけではないが、3回くらい引き抜くし、要所要所の極まりのポーズが美しいのでいい。

夜の部の芝翫・富十郎による舞踊二題。
「鐘ヶ岬(かねがみさき)」は芝翫が清姫で地唄舞をする。「京鹿子娘道成寺」も繰り返し観ているので、詞章はある程度わかるので、地唄でゆっくりと低音で唄われるその詞章が心地よい。芝翫の踊りもいつもは説明がくどいように思う振りもそんなに気にならず、極まりの形はさすがにいいので、けっこうじっくり見入ってしまった。

「うかれ坊主」の富十郎。お金をもらって願掛けの代人をしたり芸を見せたりするのが願人坊主。願掛けですぐに水を被れるように下帯姿に薄い上着だけという拵えで老いた身体をさらすのはちょっと気の毒に思ってしまう。しかしながらもらったお金が少ないとびっくりしてキョロキョロする目が際立って愛嬌たっぷりだし、要所要所の台詞も明瞭。丁寧な振りに引き付けられて眠くならない。「まぜこぜ踊り」というのはいろいろな舞台の名場面集なのだということが今回やっと腑に落ちた。「忠臣蔵」の定九郎は「お待ちなせい」と与市兵衛に声をかけている。こりゃあ仲蔵より前の人形と同じやり方じゃないかと思わずニヤリ。  

感想未アップの富十郎の七月の「文屋」も実に面白かった。身体が続く限り舞台で踊る姿を後進に見せ続けていただきたいと思う。

今回の秀山祭の大きな話題として歌六・歌昇とその子息たちが播磨屋に復帰するということ。昼の部の「沼津」で劇中に口上があったが、昼夜通じて大向こうから「播磨屋」と声がかかる役者が増えたことで、これこそ秀山を偲ぶ興業としてふさわしいと実感。歌六は予定された役に加え、昼の部の「荒川の佐吉」で出演予定だった左團次が体調不良により休演した代役までつとめていた。左團次にはまた舞台で元気な姿を見せていただきたい。
最後の演目「引窓」は、次世代の染五郎と孝太郎の共演。染五郎は叔父の吉右衛門からも学び、仁左衛門からも学んでいるので頼もしい限り。孝太郎とは相性がいいと思うのでいいコンビになって欲しいものだ。

吉右衛門と仁左衛門の共演は実に贅沢で濃厚な芝居を堪能させてもらったし、なんだかんだと見応えがあった秀山祭九月大歌舞伎。5月以来買っていない筋書を千穐楽に買おうとしたら、なんと売り切れ!昼の部を観た日には舞台写真が入っていなかったし、このあたり、見極めがけっこう難しい(^^ゞ
写真は公式サイトより今公演のチラシ画像。
9/12秀山祭(2)昼の部「沼津」で新播磨屋一門スタート!
9/12秀山祭(3)昼の部「荒川の佐吉」仁左衛門×千之助で泣かされる(T-T)