ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

10/06/19 「佐倉義民傳」、わが最高のコクーン歌舞伎に!

2010-07-07 23:53:54 | 観劇

佐倉散策後、京成電車で日暮里乗換えJRで渋谷へ。けっこう開幕ぎりぎりに着席。
佐倉散策(2)宗吾霊堂の「宗吾御一代記館」でもう感涙(T-T)
2階席の後方だがS席という設定にちょっと異議アリではあったが、3人並んで休日でとれただけでも有難い。

Yahoo!百科事典の「佐倉義民伝」の項はこちら
プログラムの保坂智氏の解説に寄ると、惣五郎の物語は早くから一揆文学としてあらわれ、佐倉藩の苛政、門訴、老中駕籠訴、将軍直訴、処刑と怨霊による堀田家への祟りという筋をもち・・・・・・とある。そして歌舞伎化されて中村座によって「東山桜荘子」が初演された際に「甚兵衛渡し場」「子別れ」の場が挿入されたという。当時は宗吾が怨霊になって堀田の殿様に祟るという場面があってこそ人気が出たらしい。さもありなんだ。
さて今回のコクーン歌舞伎版でもその祟りの場面まで盛り込まれているというのが耳に入っていて楽しみにしていた。ただしラップが苦手の私はそこだけ心配(^^ゞ

【コクーン歌舞伎第11弾「佐倉義民傳」】演出・美術:串田和美
脚本:鈴木哲也 ラップ歌詞:いとうせいこう
音楽:伊藤ヨタロウ 作調:田中傳左衛門
<主な出演者>
中村勘三郎、中村扇雀、中村橋之助、坂東彌十郎、中村七之助、片岡亀蔵、笹野高史
劇中劇の形をとり、笹野高史が座長役。のっけから、病鉢巻の堀田正信(扇雀)が怨霊に苦しめられている。ラップがかぶさってきて、木内宗吾が行動を起こすところまで遡る。あれ、あれ、ラップの巧い人が二人が先導して大部屋さんの百姓たちのラップもそんなに捨てたもんじゃないぞと引き込まれる。ちゃんと韻を踏んでよく練られた歌詞になっているじゃないか!こういうのは大丈夫だと安心し、物語の世界に引き込まれていった。

将門山に結集した百姓たちが一揆を起こそうとするところへ駆けつけた宗吾(勘三郎)は、九州の島原の乱(ウィキペディアの項はこちら)を引き合いに出して皆で行動を起こしても皆殺されてしまうだけだと説得する。島原の乱なんて聞くと劇団☆新感線の「SHIROH」が彷彿としてしまう。それでさらにテンションアップ!

印旛沼の渡し場では甚兵衛(笹野高史)が借金のかたに姪のおぶん(七之助)を長吉(亀蔵)たちにさらわれようとしているところを、浪人の弥五右衛門(橋之助)が割って入り長吉たちに斬りかかる。その長吉たちの命乞いをしたのが宗吾。「暮らしに困って流れてきた元はお百姓とお見受けするから見捨てられない」という宗吾の言葉に長吉たちは乱暴をやめる。
宗吾が去った後、宗吾に反発するように弥五右衛門は「我こそは死んだと思われていた由比正雪」であると名乗り、百姓たちを決起させようと扇動し始める。
宗吾と甚兵衛を除く人物が今回オリジナルで登場している。弥五衛門は天邪鬼的な存在として宗吾に対置されていて、その行動が物語を波乱の方向へ急展開させる。

宗吾が妻おさん(扇雀)や子どもたちと暮らす家まできて弥五衛門は挑発するが、代官所への訴えがと取り上げられて年貢の引き下げが決まったという知らせに姿を消し、影に回って役人に年貢米を測る枡の細工を教える。実際に公定の枡の大きさをごまかして年貢を増やしていたというエピソードのパロディだ。
弥五衛門のキャラ設定といい、この手のパロディといい、要所要所のラップといい、正統な歌舞伎に対する「アングラ」的な挑発手法がたっぷり盛り込まれている。それが私には実に面白いと思えた。

弥五衛門は枡のからくりを暴いて百姓たちに再び一揆をと煽るが、またも宗吾が自分に任せて欲しいと説得。その懇願に百姓たちは我慢をするが、それも宗吾に人望があるせいだ。弥五衛門は面白くない。
甚兵衛の妹が娘のおぶんを捨てて江戸に出て行方知れずになっているという設定。母のいる江戸に出てみたいというおぶんは弥五右衛門に連れ出してもらって出奔。貧しい田舎を捨てる人間を代表させるキャラ設定なのだろうが、まぁ七之助の出番をつくるための当て書きの要素が多分にあるだろうと推測。

佐倉藩江戸屋敷への門訴はお取り上げになり、名君になりたい藩主の正信に感謝され、杯を賜る。宗吾が感激して辞去すると、国家老の池浦主計に財政危機により上に立つ物も木綿の服しか着られないような倹約が必要と進言される。そんなみっともないことはできないと訴えを取り下げてしまう正信。自分の体面が保たれなくなるレベルまでの変化を受け入れることはできない人間の器量の小さい殿様ぶり。これなら祟りで狂ってしまっても自業自得というものだ。

弥五右衛門はさらに宗吾をためそうと、将軍直訴の噂を流し、宗吾を追い詰める。そこまでは考えていなかった宗吾が、その勢いで決断して直訴に及ぶというところは創作の極みだろう。弥五右衛門という架空のキャラクターをあえてつくって宗吾に対置させ、宗吾の行く手を阻んだり、宗吾自身が考えてもいなかった究極の選択に考える余裕もなく追い込み、民を救うために命をも犠牲にする道から逃げるかどうかを試すという、ダークサイトの狂言回しを配した作劇。これには賛否両論あるかもしれないが、私はかなり面白いと思った。

おぶんの母親は夜鷹に身を落し、母と気づいたおぶんに問われるとあえて捨てた子どものことは覚えていないと悪態をつく。それに自暴自棄になったおぶんを弥五右衛門が殺してしまう展開は少々苦しい。この男の屈折をここまで見なくてもいい。
歌舞伎の名場面「甚兵衛渡し」は比較的あっさりしていたが、さすがに勘三郎と笹野高史の芝居で見せ、船で渡しす場面でおぶんの魂が蝶となって戻ってきて雪と共に舞う。死んだ人間の魂が蝶になって舞うというのは歌舞伎の常套手段なので、雪と蝶で絵にしたかったのかと推測するが、視覚的にはあまり効果が上がっていない。イメージだけでもいいのかもしれないが。
宗吾と妻子の別れでやっぱり泣かされた後、詮議の手先の男がやってくる。それは長吉で宗吾の顔を見て命の恩人であると気づき、落ち延びさせるという芝居が追加になっている。ヤクザになってはいても恩義のある人には誠意をつくすという「鬼平」に出てくるようなキャラ設定だが、人間ってこういうもんだよねとホロリとする。
七之助の二役の家綱への直訴状がお取り上げになる場面は、ストップモーション風。なだれをうって公津ケ原刑場の場面へ。舞台中央の十字架のような磔台に宗吾、妻と3人の子ども(史実より一人減だがOK)が女の子まで全員引き出されると、宗吾は聖人君子然とした態度を豹変させる。民のためといってはいたがわが子の未来のためにここまでしたのにと嘆く。そして目の前で殺されていく子どもに「怨め怨め」と叫ぶ宗吾。

ここも賛否両論あるだろうが、実に人間くさくていい。リュック・ベンソン監督の映画「ジャンヌ・ダルク」のミラ・ジョボビッチの火刑までの心理描写も彷彿とした。
そしてさらに宗吾は突き抜けていく。「魂魄この地に留まりて」(ちょっと勘平がかぶるのだが)からの台詞で滂沱の涙。堀田のお家に祟り、その上で百姓たちの神となってこの佐倉の地を守っていくと宣言し、左右の槍で突かれて絶命。

怨みを持って死んだ人物が荒ぶる神になって敵に祟るというのは、日本の御霊信仰そのものである。菅原道真が天神になって藤原の家に祟ったというようのと同じだ。
Wikipediaの「御霊信仰」の項はこちら
しかしながら「佐倉義民傳」のように義民信仰がそれまでの御霊信仰と違うのは、百姓たちが自分たちの代表として敬い心を寄せているところだ。その信仰がその後の為政者に悪政の不満を示して立ち上がる力になっているというのを見せたドラマがコクーン歌舞伎「佐倉義民傳」なのだろう。
民衆の為政者も善悪を含めた多面性をもち、そんな人間たちが集まって捨て身になって主張する力のエネルギーが世の中を変える力をもつというメッセージを強烈に放つ「アングラ」劇の魅力が直球でこめられた作品になっていると思う。まさに串田和美の舞台の魅力が炸裂していて、私にとってのコクーン歌舞伎の最高作品になった。
「アングラ」についての引用をした記事はこちら

主要な複数の役を二役で見せたところも、人間の多様性多面性のイメージと重なってひねりの効いていると思う。正信の正室とおぶんの母二役の歌女之丞、百姓の後家の京蔵、百姓女の澤村國久の起用も歌舞伎味を増してよかった。
宗吾霊堂のご本尊を勧請してきた宗吾像がロビーにあり、終演後にしっかりお参りしてきた。格差が拡大し社会不安が増す現代と宗吾の時代が重なる。希望がもてる社会にしていくため、一人ひとりが考えて行動できる力が湧きますように。他力だけではなく自力でもやれることはやっていきたいと決意をあらたにした。

写真は、今回の公演のチラシ画像。プログラムには勘三郎が先代もつとめ勘太郎が宗吾をやってくれれば三代でつとめられるとあった。さらに宗吾は初代吉右衛門の当たり役ということなので、若い頃の初代によく似た勘太郎の宗吾もきっといいと思う。けれどその前に勘三郎の再演でまた観たいと思う。「まつもと大歌舞伎」がよかったらしいので、ちょっと足を伸ばしてみてもいいかなぁという気持ちにもなってしまった(^^ゞ
あと、観たいのは前進座での舞台である。数年前の公演は見送ってしまったので今のうちに嵐圭二の宗吾で観ておきたいと思っている。
(追記)
松井今朝子さんのホームページの劇評が実に的確なのでご紹介。ブレヒト劇のようだという指摘も興味深く、ブレヒト劇に付き物のクルトワイルの音楽の果たす役割をラップが処理しているというのも納得である。