「佐倉散策(1)武家屋敷、佐倉高校、宗吾霊堂前甚兵衛そば」はこちら
「宗吾霊堂」と大書された門をくぐってお土産屋さんもチラ見しながら参道をすすむ。右手に宗吾さまと一緒に処刑された4人のお子さんのお墓がある。しっかり拝んでからさらに奥にすすむと掲示板に宗吾霊堂の勘三郎参拝とコクーン歌舞伎の告知が貼ってあった。
「鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂」が正式名称で、その本堂がなかなか立派だ。歌舞伎で「佐倉義民伝」を上演する度に宗吾を演じる役者が参拝するらしく、本堂の前のお庭には上演の度に記念植樹された樹木のところに立て札がある。勘九郎時代の立て札も幸四郎の立て札もあった。今回の植樹は串田和美・勘三郎の連名!今晩、ちゃんと観るからね~と盛り上がる。
宗吾霊堂の公式サイトはこちら
奥に「宗吾御一代記館」というのがあり、宗吾さまの生涯を13場面66体の立体パノラマで見学するものだという。入場料700円はちょっと高いと文句をいいつつも。一代記を頭に入れておけば、今晩の芝居の予習になるからと決断して入場。団体さんにつくガイドさんのお話をご一緒にどうぞと言われて、急いでついていくが、私たちはガイドさんの近くでちゃんとしっかり聞く。
佐倉藩国家老の悪政による窮状により百姓たちは将門山に結集して一揆を起こそうとするが、それをとどめて名主たちを束ね、上訴に及ぶ木内惣五郎。地元の代官所への訴えが退けられると江戸にいる領主の上屋敷に「門訴」、幕閣の中の人物といわれた老中への「駕籠訴」は罪は赦されるものの、お取り上げにならない。ついに将軍への「直訴」を決意し、家族を離縁するために雪の中を帰郷。藩の手配が回っていて印旛沼の渡し守に頼み込み、自らも死の覚悟を決めた甚兵衛が戒めの鎖を鉈で断ち切って渡す場面もあり。これが、さっき食べたお蕎麦屋さんの「甚兵衛」さんかと納得!
家族との別れを惜しみながら雪道を踏みしめて江戸に向かう惣五郎。
思い出した!私が小学校6年生で読書感想文で「主人公が雪を踏みしめていく音が聞こえてきそう」というような表現まで入れて気合を入れて書いたのは、この物語だった!!
ガイドさんの感情移入たっぷりの語りに思わず感涙。ここでもう泣くというのでは、今晩の芝居はどれだけ泣かされるのだろうか?!
将軍家綱への「直訴」は補佐役・保科正之(Wikipediaの項はこちら)の助言により取り上げられたが、惣五郎への仕置きは佐倉藩に任された。
恥をかかされた藩の仕置きは本人の磔刑だけでなく、水戸藩の地へ嫁いでいた娘のほかの子ども4人を打ち首にするというもの。当時、女子どもは減刑されるのが普通だったのに、15歳未満の男児は年齢をごまかし、女児は男ということにして見せしめの処刑を行ったのだ。
その遺骸は鳴鐘山の住職が埋葬、その後も圧政に苦しむ百姓たちは、惣五郎を追悼し続けた。その百回忌には佐倉藩がその失政を悔いて「宗吾道閑居士」の法号を諡号し、それ以来惣五郎は「宗吾さま」と呼ばれるようになったという。
予想以上の見ごたえにテンションアップの3人は、「宗吾参道」駅まで本当に田舎~という街並みの中にある参道を下っていく。京成線のホームから緑の田圃が広がる風景が見える。
宗吾参道駅の下りホームとその後景
冒頭の写真は、宗吾参道駅の上りホームの表示板。 隣駅が公津の杜だが、宗吾さまが処刑されたのが公津ケ原刑場。電車に乗って、車窓からは遠く印旛沼が見えた。
いよいよ渋谷でのコクーン歌舞伎「佐倉義民伝」観劇へ。