ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

07/09/20 「ドラクル GOD FEARING DRACUL」にやられた!

2007-09-21 23:58:14 | 観劇

吸血鬼物はクリストファー・リー主演の映画をTVで観たのが最初。少女期に萩尾望都の漫画「ポーの一族」にハマり、TVで映画「インタヴュー・ウィズ・ヴァンパイア」で永遠に死ねない呪わしい運命に生きるせつない吸血鬼物こそ王道と思うようになった。以下、ウィキペディアの項をご紹介。
「ポーの一族」 映画「インタヴュー・ウィズ・ヴァンパイア」
しかし、帝劇のミュージカル「ダンス・オブ・ヴァンパイア」でずっこける。呪わしい運命をせつなく歌い上げていたら主な出演者全員が吸血鬼になって踊って終るというその統一感のなさにガッカリし、感想アップもできなかった。
久しぶりの吸血鬼物。海老蔵も悪くないが宮沢りえが観たい。長塚圭史の作品も今回が初めて。力を入れすぎずに観ることにした。
さて、どうだったか?

【作・演出】 長塚圭史
主な配役は以下の通り。
ブランシェ(狂言回し役を兼ねる)=山崎一
レイ=市川海老蔵 リリス=宮沢りえ
アダム=勝村政信 エヴァ=永作博美
吸血鬼マリー=明星真由美 吸血鬼ジャン・ジャック=山本亨
医師カミュギル=渡辺哲 司教=手塚とおる
(アダムの臣下)ラーム=市川しんぺー (同)プット=中山祐一朗

宮沢りえの華奢な美しい姿に長引く病気に伏せる美女のリリス役はまさにぴったりだ。医師カミュギルが往診にきて惚れこみ、なんとか自分の手に入れようと毒を使ってまで策を弄するのも無理がないと思える。医師カミュギルの渡辺哲は老いらくの恋に狂う男の可愛さを好演。
宮沢りえの大きな目は、その強い意思をのぞかせる。無邪気に子どもの血を吸っては内臓をえぐりだす悪魔だったレイに手をさしのべ、ともに贖罪の生活に入ろうと説得する力があったリリスという役にこれほどふさわしい女優はいないように思えた。
レイが人間だった時の名はジル・ド・レ。ジャンヌ・ダルクにさしのべられた手をとり仕え、ともに闘った。彼が子どもを大量虐殺したのは、火刑にあったジャンヌを生き返らせる黒魔術に生血を使うからだったという。その罪でジャンヌ同様火刑にあった彼が吸血鬼レイとして甦る。この設定には少々無理を感じたが(^^ゞ。
そして狂言回しのブランシェ。先祖が主だったジル・ド・レの狂った行動を止められなかった責めを負って、子孫代々レイを見つめ続ける定めを果たしている。そしてジャンヌ・ダルクに山崎一といえば、同じこのコクーンで2月に観た「ひばり」のイメージが重なってゾクゾクしてくる(これってねらってない?!)。

レイを元の吸血鬼の仲間にしようとするマリーとジャン・ジャック。マリーの明星真由美は宮沢りえともども「ロープ」でこの舞台に立っていた。プロレスラーの愛人役だった明星の大柄な肉体派のイメージがうまく活かされた女吸血鬼。キャスティングがよすぎる~。

ある日、一人の使者プットがリリスを訪ね、かつて彼女が領主の妻として過ごした街に戻って欲しいと懇願する。断るがその上使のラームに誘拐される。邪魔立てしたプットをラームが刺して流れた血とリリスの不在がレイの自制心を打ち砕く。
それまでの衰弱しきったレイからプットの血を吸うとパワー全開。リリスを追っていくところで一幕終了。
衰弱し神に祈る吸血鬼の役の海老蔵、予想以上によい。また気合を入れてダイエットしたと思われ、宮沢りえと並んでもひけをとらない顔の細さ。八の字眉が似合う男になってきた(第一位は仁左衛門だが(^^ゞ)。発声もいつものつっころばしのように気が抜けた声になっていないし、○。ただ、課題としていた300年生きている憂いはまだまだ漂ってこない。このあたりは山口祐一郎のクロロック公爵の憂いは素晴らしかったので年の功が必要なのではと思う。

二幕目はリリスの元の夫の国が舞台。領主アダムと現在の妻エヴァの夫婦仲はしっくりいっていない。アダムはリリスが忘れられず、エヴァは夫の愛を得られない怨みのこもった表情を始終見せている。永作博美は大河ドラマの淀の方の凄味の効いた演技を思い出すが丸顔があまり好みではなかった。今回のエヴァは驚いた。額を広く出して結い上げた髪形だと丸顔に見えない。眉もなくアイシャドゥを効かせたメイクも夜叉のような顔を作り出し、愛する男への怨みに支配された哀しい女がそこにいた。生臭な司教と通じ、リリスを激しく憎み罵る。しかしリリスの口から過去の真実を聞いた時に初めてお互いの不幸に気づく。
アダムの勝村政信は剛柔どちらの役もうまい。「コリオレイナス」で猛将をやっていたと思ったら映画「HERO」ではふられ男だった。今回のアダムは領主の器量もなく子種もないのにその地位を守るために、司教の奸計に乗せられるという哀れ極まりない男。愛する妻リリスを不幸のどん底に突き落とした。

生臭司教の手塚とおるは初見だが、この物語で一番悪い男を飄々と演じる。ただし残念ながらあまり好みではない(^^ゞそんな男が我らが(オイオイやられているゾ)レイを聖水をふりかけることでやすやすと捕まえるのはちょっとちょっとそんなぁという感じがしてしまった。アレ?ジャン・ジャックとラームをやっつけただけでレイのパワーの見せ所はおしまいか。
またまた衰弱した吸血鬼レイは極めて労力を要しない処刑方法をとられる。檻に入れられて朝日のあたる場所に放置されるのだ(→アダムの慈悲で朝日の射しこむ天窓が開けられたという台詞を聞き逃がしていた。司教は神の権威を高める道具として生かしておくつもりだったようだ。お詫び訂正するm(_ _)m)
リリスは教会の塔の上で白い衣を纏う聖女としてペストに冒された街の人々に勇気を振るい起こさせるために祈りの姿をさらさねばならない。
残されたわずかな時間にリリスはレイに話していなかった自分の罪を告白する。夫の子どもではない赤ん坊を床にたたきつけて殺してしまったという罪。その大罪を神に赦してもらうためにレイという悪魔の贖罪を並べたかったのだという真実の姿を曝け出す。その身勝手さを「赦す」というレイ。ふたりで過ごした日々を「楽しかった~」「だから赦す」と無邪気な子どもにかえったような声で言う。そして最後の時までリリスに手を握っていて欲しいとせがむのだ。そこに小さな奇跡が起こる。冷たかったレイの手にぬくもりが宿り、それを確かめるように強く強く握りあう二人の手。プログラムの裏表紙の写真はこの手のアップなのだ。
人と人の「信じる」「赦す」心。そのために「手をとりあうこと」。
最初から最後まで弦楽の演奏をバックに原田保の青い光を主に使う照明の中に沈鬱にすすんだドラマの最後は、ぬくもりを救いの予感をもって終る。私が今一番欲しいものだ。
スプラッタドラマを書くという長塚圭史。まぁ吸血鬼物だからスプラッタ場面いっぱいあったけどそれは違和感なし。プログラムも熟読したが、いつもと違って翻訳調で書いたのだという。それもアヌイ劇「ひばり」のイメージと重なったかもしれない。海老蔵と組んで吸血鬼物をやることになっていろいろ調べてジル・ド・レが吸血鬼になった設定にしたという(本物はジャンヌ復活を望んで大量虐殺をしたわけでなかった)。リリスという名前も聖書にあるアダムと別れてルシフェル(悪魔)と結婚した女の名だという。なかなか有望な人材だと認識。だからといって続けて観たいとまでは思わないけれど、一応チェック対象には入れておきたいかな(^^ゞ

家で娘にこの話をしたら登場人物の名前がまるで「エヴァンゲリオン」みたいだという。綾波レイ、リリス、アダム、エヴァ。「エヴァ」の世界にハマるオタクたちもけっこう奥深そうだ。

プログラム掲載の海老蔵×長塚圭史の対談。海老蔵は長塚に歌舞伎を書けとも言っていた。海老蔵の意欲は買える。しゃべり方がまるでヤンキー。ヤンキーが生理的に苦手な私には好みではない。好みではないのに舞台のこの魅力はなんだ?!やっぱり要チェックな役者ではある。
そうそう歌舞伎で復活ものをやるとも言っている。そうしたら私が買わなかった「憑神」の筋書に来年1月演舞場で「鳴神不動北山桜」の通し上演をやるという予告があったとharukiさんの「くだま記」の記事に書かれていた。これはしっかり観ないといけないなぁ。
写真はチケット発売当初のチラシ画像。
bunkamura公式サイトの特集ページはこちら