三丁目の飛行機屋

飛行機マニアのオヤジが
撮影遠征記やマル秘コレクションの公開などをしていきます。

1973年秋、沼へ落ち込む始まりだったかも

2020年05月24日 | ノスタルジック航空写真館
なんとも意味不明なタイトルではじめてしまったが

1973年 10月5日 ~ 11日の7日間にわたり
第4回 国際航空宇宙ショーが航空自衛隊 入間基地 で開催された

 第3回の国際航空宇宙ショーは、1971年に小牧基地で開催され
 超目玉の米海軍 ブルーエンジェル が来日した航空ショーだった
 当時は子供が一人で名古屋へなんて、家出でもしないと無謀な時代で(笑)
 親に強請っても今のように高速はないし、長距離公共交通機関も不慣れ
 というわけで諦めた苦い記憶を、長~く引きずっていた 1973年の秋

前年に入間基地航空祭で 航空祭デビュー した自分
入間基地への訪問に少しは慣れた父に再度 強請り
弟の友人も交え家族で出かけることに

10月10日は体育の日、晴れの得意日となれば大混雑だったが
人出よりも、初めてみる航空機の数々、晴天下のデモフライト
前年は雨で流れたブルーインパルスのアクロ飛行に興奮状態だったことを覚えている


米国からの飛行可能な旧日本陸軍の四式戦「疾風」がデモフライト
当時のソ連からも大中小の航空機が多数来日、地上展示と飛行も披露してくれるなんて

ただ当時の私の撮影装備は、父のレンジファインダーのカメラのみ
フィルムも2本持参しただけで(それでも頑張って買ってもらった本数だった)
記録的には証拠写真で終わってしまったのは残念だった

 国際航空宇宙ショーは有料の航空ショーで、入場料は 800円?だったかな
右は公式パンフレット、左が後日に販売された爆音入りソノシートが付録だった冊子 600円
ソノシート、捨てた覚えはないが見当たらないや・・・

このショーでの目玉は、米国から日本に里帰り? 売却?された旧日本陸軍の四式戦「疾風」

沢山の人垣を掻き分け、やっと撮れた疾風だったが
レンジファインダーの画像は豆粒で
今回のフィルムスキャンでデジタル化し、拡大できたが粒子の荒れが目だつね

さらに、ショーでのデモフライトは超豆粒画像でボツに

ところで、せっかくフライアブル状態にレストアして日本に帰ってきたのに
その後の扱いは・・・
自分が次にこの「疾風」に会えたのは  京都の嵐山博物館
そして機体はさらに人手を渡り、知覧の博物館でも会うことになったが
元々展示のみの機体なら仕方ないが、日本は動態保存する土台が貧弱で・・・



米海兵隊のシースタリオン大型ヘリ、グリーン系の海兵隊塗装が時代を感じさせてくれる

 

それに比べると、CH-47チヌークは陸軍のオリーブドライブ色で大きな変化はない
それにしてもチヌークは改修を重ねたとはいえ、長く使われているもんだ
いまだ世界的に現役だし、国内でも自衛隊機として見かける機会も多い



前年の入間基地航空祭でも展示されていた、米海兵隊 OV-10A ブロンコ
個人的に大好きな機体で、プラモも レベル と ハセガワ で2機を完成させた記憶

 ところで、展示機の背景に見え隠れする
 当時の入間基地、格納庫の姿が今とはだいぶ違い古さを感じるが
 このショーでは格納庫が各国の航空会社のブース(シャレー)となっていた
 航空宇宙ショーの目的はあくまでトレード、航空機や軍用機の売り込みなのだ 
 

こちらはイギリスからの飛来機
コメット旅客機をベースに造られた対潜哨戒機 ニムロッド



下面にあるボムベイ(地上展示でも少し開いているのがわかるね)
をオープンしてのデモフライトもあり、イギリスでの航空ショーと変わらぬ飛行だったよう
この約20年後に渡英し、飽きるほどニムロッドを撮ることになるとは~

ニムロッドも日本への次期 対潜哨戒機 としての売込みだったが
残念ながら、米国のP-3 オライオンに敗北している
 


同じくイギリス ショート社の民間輸送機 スカイバン
この機体はショーの後、レジ(機体番号)を書き換え JA8793 になり商社の社有機に
5年後、撮影に出かけた仙台空港で JA8793 と再会することに

スカイバンは売り込みに成功?したのか、後に海上保安庁でも導入していた




つづいて、ソ連から大挙飛来したアエロフロートの展示機を
持参カメラは35mm程度の広角レンズだと思うが
機体が大きく、全体は入りきらないので2コマを合成して


大型ヘリと言うよりも 巨大ヘリ 、こいうデカブツはソ連が上手い!
当時は世界最大のヘリだった Mil-6  NATOコード名 ヒップ
この機体、横から見るより斜め前方から見たほうが迫力あるのだが・・・
飛んでいる姿が見られなかったのは、ホントに残念


これも巨大な輸送機 IL-76

 

こんなにアゴ部分が目立つんだ! デカイ顔!

改修を受けながら今でも運用を続けており、時々は日本の空港でも見る事ができる
上の画像には観客の姿も写っているが、着物姿のお歳よりは当時の お出掛け スタイル
入間の小さな管制塔も写っているし、時代がわかる画像です


 
次はアメリカの B727 に似た、T尾翼に3発エンジンのソ連 旅客機 TU-154

新潟空港や名古屋空港では、定期便や貨物便として見ることができた機種



いかにもソ連らしい小型ヘリ、カモフ Ka-26 
カモフ伝統? の二重反転ローターは現代でも健在だ
大きなキャノピーのおかげで、昆虫のような容姿が可愛い感じ
展示されていたソ連機のうち、唯一 日本に輸入された機体だった

この外にも、エンジン音がやかましい Yak-40 も展示していたが
デモフライトの準備でこんなところに機首のみチラリ見え

一時、新潟空港へも定期乗り入れしていたことがあった Yak-40
エンジンの大きな音を覚えている方も多いのでは

 

薄い画像になってしまったが、民間ヘリの異機種 ダイヤモンド編隊飛行
先頭から順番に Bell206 (JA9100)、SA341G (JA9098)、Bo105(JA9515)
後尾の ヒューズ500(369 HS)(JA9052)は川崎重工がライセンス生産することになる
Bo105 や ヒューズ500 はデモフライトで宙返りも見せてくれた
「ヘリが宙返り出来るんだ!」
ノーヒンジの樹脂製ローターで可能となったことを帰宅後に知る


 この日の帰りがけ、居並ぶ売店の中で 航空機のジャンクパーツ を扱う店に足が止まった
 目が釘付けになったのは、形式不明の パイロットヘルメット
 とても手が出せるような値段ではなかったので
 旅客機のピトー管とシートベルトを買ってもらった記憶
  ~これが マニア の深い沼に足を滑らせる一歩になるとは・・・(爆
 

最後に
先のソノシート付き冊子(航空宇宙ショー協議会本部発行)の裏表紙に載っていた会場写真をお借りして
 
 消防庁の大型ヘリ ピューマ と Mil-6 が並んで写っているが
 世界最大のヘリだというのがわかる
 ローターのダウンウォッシュでピューマなんか飛んでちゃいそうだよ
  ~ピューマのダウンウォッシュに、大木にしがみついて撮影したことある自分です・・・(笑
 
 混雑具合は入場料がかかることもあってか
 一日の入場者は最近の入間航空祭よりも少ない感じかな
 ちなみに、この冊子に載っていた期間トータル入場者数は 609,000人とある
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8 コメント

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貴重な写真を (F.Y)
2020-05-24 13:35:02
こんにちは。

僕も、最初のエアショーは入間でした。

その時にブルーと、
三沢へ帰るF-2の姿に魅せられてずるずると沼へと落ちていきました。

ツポレフにイリューシンにカモフとはすごい!
昔はアエロフロートは旧ソ連機で運行されていたようですが、
今ではすっかりエアバス機やボーイング機に。

近年は民間主催の航空ショーというのが殆ど無くなりましたね。
今後は、
大規模なのはもう丘珠でしかやらない気もします。
返信する
F.Yさん こんばんは (ノザワヤ)
2020-05-24 20:42:51
この自粛ムードの中で、過去のフィルム デジタル化がブーム?だとか。
でもなかなか上手くいかないものですね。
白黒画像にしちゃえばなんとか誤魔かせますが、色が出ない・・・。

この当時は~
ソ連が崩壊するとか、アエロフロートのフリートが西側機になってしまうとか
まったく想像もつかない時代。

これからも何が起こるか、10年後、20年後の世界が予想できなくなってきますね。

日本国内で航空トレードショーは規模が小さくなるばかり
ショーをメインに考えれば、確かに丘珠あたりがこれからも楽しみです。
せっかくの広大な北の台地、広い空港か基地で定期的にやってくれたら良いのですが。
返信する
私も見に行きました!! (店長です。)
2020-05-25 00:12:14
小牧にも入間も参加。しかし、写真は残っていません。パンフを見て記憶がよみがえりました。当時は、見るだけで満足していました。パンフなどは、確か持っていましたが、引っ越しの度に無くなっていって、今に至っています。本格的に飛行機を撮影し始めたのは、86ブルーのさよなら公開??それも入間からです。懐かしく、良い物を見せていただきました。感謝です。
返信する
すごおおお (ごろんた)
2020-05-25 09:44:00
おはようございます♪

…なんというか!圧巻!
ソ連が来てるっていうのが、またびっくりです。

今と違って、随所に工夫が…!
ソノシートに爆音とは! 欲しいです。(^^)
今と違って、音を残す、映像を残すのに
お金もかかるし手間もかかる時代、音を残そうというのが
なんとも気が利いてる!!

チヌたんが…
色や形態が多少違えど、チヌたんはやはり魅力的〜〜〜
チヌたんは、この先も残る気がしますね♪
いや、残って欲しい〜〜〜

カモフ、かわいいなあ…
こういうヘリ、陸自にも欲しいですね。
アイドルになれそう
今のヘリはみんな「シュッ」としてますから
時に、ポッテリさんもいい感じ〜〜

なるほど〜〜〜
ここがノザワヤさんの「沼入り」原点なんですね!!
メット、残念でしたね。
でもここでの体験が後の奮起につながって…大人になってから
たくさんのメットを手に入れられて…♪
マニア魂、お見それいたしました〜〜〜
返信する
店長さん おはようございます (ノザワヤ)
2020-05-25 09:50:14
小牧を見学されてるとのことですが
ブルーエンゼルも見ましたか! 羨ましい限りです。
その当時の隊員達を追った映画、ブルーエンゼルで大興奮した私でしたが
やはりホンモノが見たかったです。

私が一眼と望遠レンズを手に入れるのはこの3年後。
当時は200mmでも大満足で、完全にマニアの道を歩み始めました。

昨今の自粛生活でMRJも先日のムーリアも諦め。
仕方ないので古い画像のデジタル化進めてます。
また何か出しますね。
返信する
ごろんたさん おつかれ様です (ノザワヤ)
2020-05-25 12:09:00
ロシアじゃなくソ連、赤い鉄のカーテンだった時代ですものね。
機体尾翼の国旗も当然 ソ連。それだけで なんとなく威圧感が(笑

カモフの小型ヘリ、テールローターがなく後方キャビンは観音開きなんて
今ならドクターヘリにうってつけなんですが・・・。
輸入された機体も、今は成田空港近くの科学博物館に展示されてるのは寂しいです。
ただカモフ系列の中型ヘリは、今も国内で元気に物輸に活躍しています。

ヘルメットは泥沼でしたが(笑)、近いうちにもう一つ紹介したら終わりになります。
返信する
1973年 (はつたか)
2020-05-25 19:00:51
お疲れ様であります。
1973年(昭和48年)といえば・・中学2年生。
夏休みに九州へ、蒸気機関車を撮影に行きましたよ。
飛行機は伊丹へ時々・・家の真上をアプローチして行きますから、見飽きるくらいでした(いま思えば贅沢?)。
707、727、DC-8全盛期でしたね。
航空祭デビューは意外と遅く、1983年の「岐阜国際航空宇宙ショー」からなんです。
マルヨン現役で、T-1も全面白塗装のがいました。
A-7コルセアⅡを初めて見たのも、このとき。
もっと早く始めてたら良かったと、後悔しきりです。
返信する
はつたかさん こんばんは (ノザワヤ)
2020-05-25 21:08:21
私も頭上を見飽きるくらい飛行機が飛んでいてくれたら
興味の矛先が変わっていたかも。

でもそういう私も中学くらいまでは鉄が好きでした。
大きなヤードが近くにあったので、貨物の入れ替え作業を見て育ちましたから。
でも、何故か空へ興味が向いてしまいました。

1983年の岐阜国際といえば、墜落事故からの復活を遂げたブルーに涙が出そうだったのを覚えています。
そういえば、A-7も展示されてましたね、懐かしい!
私はこの時、重いビデオ機材をかついで出かけたのを覚えています。
その時のビデオ映像は何処にいったのやら・・・。
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