ぶらぶら人生

心の呟き

『100歳まで絶対ボケない「不老脳」をつくる!』

2023-08-20 | 身辺雑記
  霜田理恵 [監修]

  『100歳まで
   絶対にボケない
   「不老脳
   をつくる!人生を左右する
        「脳のアンチエイジング」


   


 上掲の本は、施設の移動図書から借りてきたものである。
 100歳まで生きたいとは、つゆ思わない。が、命のある限り、ボケないで生きられたらいいな、とは願っている。しかし、それは至難なことかも知れない。
 長寿社会になっていることは確かで、現に私のいる施設の、同じ階には、男女それぞれ98歳の方がおられる。
 私の最期は、今日かも知れないし、明日かも知れないし、数か月先のことか、1年後のことか、とにかく皆目、見当のつかない話である。

 それは思案してみても、どうにもなることではない。
 いのちのある間は、なるべくボケないように努め、少しでも満たされた日々であるよう生きていたい。

 この本の筆者は医師が多いけれど、私のよく知っていて、愛読してきた外山滋比古さんの文章も載っていた。本で読んだことのあるエッセイであった。

 目次は、以下のようになっている。

 1 脳は何歳になっても成長し続ける
 2 脳を若返らせてボケを防ぐ
                       (生活習慣)
 3 脳を若返らせてボケを防ぐ
         (食品)
 4 脳を若返らせてボケを防ぐ
         (トレーニング)

 それぞれの項において、多くの先生方が意見を述べておられる。心得るべきことが、非常に具体的であり、座右において、私なりに努力したいと考え、上掲の本を Amazon へ注文した。
 ある程度は意識して努めないと、心身は老化の一途を辿るばかりのような気がする。

 片鼻呼吸法の勧めなど、参考になることが多々あった。しかし、老いた頭は、なるほど! と思っても、すぐ忘れてしまう。
 習慣化されるまでは、本を傍において、多少は努力してみよう、と思う。
 知っているだけでは仕方がない。実践こそ大事!
 それにしても、<脳は何歳になっても成長し続ける>とは、なんとも嬉しい話である。

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施設にもどって

2023-08-19 | 身辺雑記
 Tさんから、新しいオジギソウが咲いたととの知らせを受け、5号室へ行って、花を見せていただく。
 初めての花に比べると、形がいくらか小ぶりである。それでも、淑やかに咲いている。


    




     



 葉に触れると、それぞれの葉が、ぐったりと眠ってしまう不思議!

    




       今日の落日
       6時43分

    

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クロとノウゼンカズラ

2023-08-19 | 身辺雑記
 もう少し体を動かした方がいいと分かっていても、連日、残暑が厳しく、外歩きもままならない。
 時折、裏口を出て、家の周囲を一巡する。二、三度歩いても、歩数は知れたものである。
 一日中、じっとしているよりマシだろうと、庭に出てみる。

 午後、前庭に回ってみると、クロが来ていた。市道を挟んだ向かいの家で飼われている猫である。「クロ!」と呼びかけてみるが、媚びることはない。少々警戒顔で、私の方を向くだけ。時折見る顔だなと気づくと、悠然と寝そべる。
 12年くらい前に、隣が引っ越して来られた時からいる猫だから、老猫である。わが家の前庭や裏庭は、クロにとって居心地のいい場所らしく、よく休んでいる。
 なつきもしないが、私を危険人物とは思わないらしい。
 愛想もなく、自分の方が主人公であるかのような顔をして、私が行き過ぎるのを眺めている。



    



 向かいの家の裏庭に、今年も、ノウゼンカズラの花が咲いている。
 真夏に似合う花である。



    


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電線にいるツバメ

2023-08-17 | 身辺雑記

 お盆の帰省客や旅行者にとって、今年は不運な夏であった。
 台風は、人間の都合など考えてくれないから仕方ないが、被害はかなり甚大だったようだ。
 当地は、安泰だったけれど、それでも故郷帰りを諦めるなど、何らかの影響を受けた方はあるだろう。

 日々、別に退屈を感じることはないが、あまりいい状況ではないなと思うことは、対話の少ない生活である。無事でいるかと案じてくれる友人は、年々減ってしまい、電話でたわいなく、時には時勢評をしあったり、音楽やスポーツの感動を語り合ったりする友人が、少なくなった寂しさはある。

 そんな心境状況のなか、ふと、友人つき合いの少なかったSさんのことを思い出し、電話をかけてみた。
 鳴き砂で有名な海辺に住んでいる人で、遠い昔、その家に泊まらせてもらい、浜辺で桜貝を拾った思い出がある。
 吉賀の里で、ともに働いていたときには、島根と山口の県境にある深谷大橋を訪れ、その近くにある山里の宿に一緒に泊まったこともある。
 そこは、<深谷>の名前どおり、秘境であった。橋上に佇むと、はるかに深い谷底に、川が流れていた。
 今は車の時代。訪れる人が多くなっているのかもしれない。

 今回も、深谷大橋の思い出を語り合った。
 田舎料理の一品で、私が思い出すのは蒟蒻刺身だが、Sさんは、煮付けの大根が、格別美味しくて忘れられないのだそうだ。

 Sさんは、私より5歳若い。
 近況を尋ねると、
 「腰が痛くて……」との話であった。
 介護の支援は受けていないとのこと。従姉妹が近くにいて、買い物など頼んでいるとの話だつた。炊事は椅子に腰掛けてなんとかこなしているとのこと。
 Sさんは、あえて人の輪に加わろうとしない孤高の人であった。老いても、人生とはこんなものと、諦念に徹して生きていける人かも知れないと思う。

 Sさんと話したあと、県外に住む、昔馴染みの友達にも、電話してみた。
 70代の前半、互いに自由の身になったとき、一緒に旅したり、互いの家を行き来したりもして、長く親交のあった友人である。

 まず、スマホに電話したところ、NTTドコモから、「その電話は、ただ今、使われていません」との機械的な返事が返ってきた。
 スマホ、やめたのかしら? と思いつつ、気を取りなおして、家の固定電話にかけてみた。が、返ってきたのは、同じく機械音の使用停止を知らせるものであった。

 やはりそうだったか、と思った。
 互いに90歳である。
 電話が繋がらないということは、施設のお世話になっているということであろうか。

 その友人が、フグ刺しが食べたいといい、湯田温泉で会ったのは、いつのことであったか? 出会いは、それが最後となった。
 その時、すでに歯の調子が、かなり悪かった。自らが希望したフグ差しなのに、食べにくそうであった。
 完璧な歯の治療をしてもらったと、治療直後は、とても嬉しそうにしていた友達だったが、どういうわけか、結果的には晩年を歯で苦しむことになり、会うこともできなくなっていた。
 不在電話なら、またかければよいが、不使用では、連絡のしようもない。
 内心、危惧していたとおりとなり、寂しさを深める結果となった。
 北海道の雪まつりに、その友達と出かけた昔日を思い出した。
 二人とも我意が強く、雪道をもっと歩きたいという私と、もうホテルへ帰ろうという友と、意見が分かれたことなど思い出す。
 阿寒湖近くのホテルに泊まり、生涯一度の<冬の花火>を見たのも、その冬旅であった。

 先輩も同年も、親しくしてきた人たちが、皆、思い出の人になってゆく。
 スマホに記載している電話番号のなかには、かけても通じない電話が増えゆくばかりである。




 電線のつばめたちは、一羽で止まっていることは少ない。飛び去ったり飛んできたり、電線に集まって、何を語り合っているのだろう? そろそろ渡りの相談を始めているのだろうか。
 今年は、暑さがなかなか衰えない。この気候変動によって、ツバメの渡りの日も、変更されることになるのかどうか?


    




     シロヤマブキの実 

(今年は、実の数が少ない。ということは、花数も少なかったのだろう。)


    





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カラスウリのある場所まで

2023-08-16 | 散歩道
 瞬間の決断で、小雨の降る道に出た。
 久しく散歩らしい散歩をしていない。こんな暮らしを続けていたら、足が弱ってしまうだろう、といった不安を感じ、傘をさして外に出た。
 昨秋、カラスウリを見つけた電柱のところまで、と決めて歩いた。
 往復2キロ程度、私の歩数で3000歩余り。
 海も山も、模糊として灰色の風景である。
 途中で出会った花も少なく。


    



    



 高島の島影も霞んでいる。


    



 海の青、空の青も見られず。


    



 源田山の頂上も、雲の中に消えて。


    


 ここが、私の目的地。
 電柱に絡んだ蔓に、古びたカラスウリの実がついていたのだが……。
 あたり一面にクズの大きな葉が茂り、これぞカラスウリ! と思える葉や蔓は、見つからなかった。
 命と脚力があれば、晩秋の日の楽しみとしたい。



    




    


 西楽寺の近くに、ハスの花が咲いていた。
 そこに近づくための道がわからず、遠くから眺めた。


    




    


 
 近所に、サルスベリの白い花が咲いていた。夏の花。
 この花が、地面を覆うようになると、盛夏も衰えを見せ始める。

    
    




    





 施設のTさんからLINEメールで届いたオジギソウ。


    




    



    
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嵐模様の日

2023-08-15 | 身辺雑記
 昨夜は、強風が吹いたらしい。裏にある溝には枯れ草や得体の知れない大きなビニール袋が飛んできていた。片づければいいのだが、無理をして足を痛めたりしては大変。9月には、家の掃除に来てもらうことになっているから、その時に片づけをお願いしよう。

 当地は雨も風も、不安を覚えることはなかったが、台風7号は、隣県の鳥取県や三重県、京都など、各地に被害をもたらしている。

 明日もなお、雨は降り続くらしい。
 交通手段が絶たれ、お盆休みの計画が台無しになった人も多いようだ。


 夕方、庭に出て、昨夜の風で倒れたシコンノボタンを起こし、支柱に結びつけておいた。
 寒冷の冬に耐えて、緑の葉は茂ってくれたが、今のところ、蕾はついていない。
 花に会うのは、無理だろう。


    



 白百合クリーニング店に電話し、5月に依頼したセイター類を届けていただいた。
 その際、もらった毛糸のタワシ。(下掲の写真)
 ご夫人の手製なのだろう。一つは、施設に持参して使わせていただくことにする。

    



 このブログを書いているとき(夜9時)、市からの「お知らせ」が入ってきた。
 お悔やみ放送の最初に報じられたのは、同級生の名前であった。小学校(当時は戦時下の国民学校)で、2年間一緒に学んだ人である。
 最後に会ったのは、85歳の同窓会だった。
 ご縁のあった人たちが、年々少なくなっていく。平均寿命を超えて生きているのだから当たり前のことではあるのだが.……。

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今年も墓参

2023-08-14 | 身辺雑記
 この夏も、お墓参りができた。
 まだ、此岸にとどまっているということ。
 朝、目覚めれば、とりあえず今日を生きようとの思いで、おぼつかない老いの日を重ねている。
 一日、今日一日と生きて、今年もお盆を迎えた、というのが実感である。

 甥の車に乗せてもらって、妹一家とお参りした。

 法師ゼミの声を初めて聞く。
 法師ゼミは、晩夏の使者であると思っている。
 もう少しの辛抱である。秋が来れば、少しは散歩もできるだろう。
 コロナで籠り、猛暑で籠り、自室に籠り続けることは、安泰の源であるかもしれないが、楽しみはない。


 墓地の近くで見つけたオオバコ。
 Google lens で調べると、セイヨウオオバコ とあった。記憶の中にあるオオバコより、少々猛々しい感じがする。

    



 お墓前の道辺に並んでいた草。
 Google lens を当てると、ツボクサだと教えてくれた。正しいかどうかは、よく分からない。
   
    




 墓参を終え、レストラン<とみ>で、食事をした。
 施設の自室からは、<とみ>の位置を確認できるのに、<とみ>から、私の施設の在処を確認しようとしても、あの辺りかな? といった漠然とした捉え方しかできない。


 レストランの2階から見た眺め。
 夏の空!
 しかし、山々は霞んでいる。

    




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これが、昔の夏!

2023-08-13 | 身辺雑記
 施設で朝食を済ませたあと、帰宅。
 施設の玄関先に立ってタクシーを待っていると、カナカナが鳴き、ジージー蝉が鳴いている。夏の朝の風情である。

 施設長の先生の車が、タクシーの到着より早く着いた。今日は特別出勤をなさったのだ。
 「クーラをつけて、熱中症にならないように」と、声をかけてくださる。
 患者が一人出ても、施設の場合は大変なことだ。今日は日曜日。平素お休みの従業員も、勤務なさっている。


 帰宅の途中、ショッピングセンターにたちよつて、供花や食料品を求める。

 9時前の帰宅。過日の猛暑に比べれば、はるかに凌ぎやすい。しかし、施設暮らしの4階と違い、家の場合は空からの熱射と地面からの照り返しを受け、これぞ夏! といった感じではある。しかし、今日あたり、異常な猛暑とは違う。昔ながらの夏、どこか懐かしさのある夏を感じ、これなら大丈夫だな、と思う。

 居間と洋間にクーラーをつけ、さっそくプリンターのインクを補充し、数独用の用紙をコピーする。そして、朝日新聞と赤旗日曜日版に掲載されている数独を解く。高校野球を耳に聞きながら。
 甲子園は一時強い雨で中断し、再開された。


 入浴前、庭に出てみた。
 夕風が心地よく、晩夏の気配を感じた。
 今日の雲には、秋を予感させる優しさがある。


    



 一つだけ、超ミニのバラが、花壇に咲いていた。

    



  花壇のひと隅に、ランタナが蔓延り、威勢の乏しくなったムラサキゴテンに覆い被さっている。
 一部を切り取り、ムラサキゴテンに陽が当たるようにした。
 

 切り取ったランタナは、花瓶に挿してみた。

    


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下弦の朝月と夕陽

2023-08-12 | 味わい深い表現
 昨日に続いて、今日も部屋に蟄居の生活。
 昨夜、疲労気味で早く就寝したせいか、今朝は、いつもより早く目が覚めた。
 クーラーは、夜通しつけているのだが、目覚めたとき、暑いなと思いつつ、厚手のカーテンを開けた。すると、思いもかけない位置に、下弦の月があった。
 時刻を確かめると、4時48分。
 写真と違って、空の月にはもっと鋭さがあったのだが……。
 

    




 入り口のドアの位置から、夕陽(18時38分)を眺めた。
 水平線と重なった黒い線は、廊下の窓枠。

    



 テレビの実況音を小さくして高校野球の経過を折々見たり、本を読んだり……。
 実り乏しき一日。


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籠の鳥

2023-08-11 | 身辺雑記
 今日は、まるで<籠の鳥>であった。
 籠の鳥は、庇護され幸せそうであるが、鳥にとっては、必ずしもそうでもないだろう。
 行動規制は、コロナから、老いの身を守るためであると理解しながら、窮窟な一日であった。
 人間は、自由であることを求める動物。
 鳥だって、同じだらう。

 今日は、室内暮らし。廊下に出て、窓から広々とした海を眺めることもできなかった。
 食膳も、自分で返しにゆくことは禁じられ、施設の人が、回収に来てくださった。
 
 (コロナに罹患された人の状況は、全くわからない。)

 Tさんが、LINEで、オジギソウの葉の写真を送って下さった。
 オジギソウの葉は、開いたり閉じたりする習性をもっているらしい。
 朝の7時には開き、夕方の7時には閉じる、と教えて下さった。


     葉を広げている姿。

    



    力なく、葉を閉じている姿。

    


 
 日暮れがずいぶん早くなった。
 7時過ぎ、自室のドアを開けてみると、全てのブラインドが、完璧に下されていた。そして、わずかな隙間から見えるのは、黄昏の風景であった。
 すでに夕陽は沈んでいた。
 いつもは9時に消灯される廊下の灯が、早々に消されて、辺りは宵の気配であった。


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