長く生きていると、思いがけない良いことがあるものだ。
Kさんから、朝食中に電話があった。高校の同窓会があって津和野に帰ってきた、時間の都合がよければ会いに行きたいという電話であった。
今日は昼食を済ませて帰宅する予定であった。が、今からなら、昼食を停止できる。どこかで一緒に食事をとり、喫茶店に移動してコーヒーでも飲みながら、話をしようと考えた。<特急おき>で益田へ出向くということだった。
どこでお食事をしたものか、と考えながら、AYAちゃんに電話してみた。お勧めの食事処を教えてと。どうせタクシーで行くのだから名前が分かっていればいい。コーヒーも飲めてくつろげる食事処ということなら、「小春日和」がいいかもしれないとのことだった。
そこへもう一つ電話が入った。版画家の水津保美さからであった。津和野町の日本遺産センターで開催中の展示会の会期が明日までなので、今日迎えに行こうかと思う、との電話である。先刻、Kさんから電話があり、会うことにしたことを伝える。そして、とにかくあなたも、一緒にに食事しましょう、と誘う。
状況を納得した水津さんは、
「益田駅にKさんを迎えに行くから、そう伝えてください」
とのこと。早速、車中のKさんに連絡する。
(Kさんと水津さんは、小中高の同級生、私にとっては大切な知己である。)
二人には、施設まで来てもらい、私の一つの住まいを見てもらう。
そして、水津さんの車で食事処へ出かける。
ご馳走が目的ではない。歓談しやすい場所であることを念じて、「小春日和」に行った。
古民家を改造した食事処。知らなければ、普通の民家にしか思えない。
入って見ると、気兼ねなく話ができるように、考えた間仕切りがしてあった。
食事処「小春日和」
三人三様の食事を注文して、ひとときの語らいを楽しむ。
15歳だった少年は70歳。55年の歳月の隔たりを全く感じないのは、私の方だけであっただろうか。
こうした出会いの場合は、会話がとりとめもなく行ったり来たりする。思い出も様々なのが楽しい。
食事の後、コーヒーもいただいて、水津さんの車で、津和野へ向かった。
車中でも、絶え間なく語らいながら。
津和野町日本遺産センターで開催中の、<水津保美版画展>を見る。
作品数は少ないが、地元出身の作家・森鴎外と関連ある山、日本を代表する富士山、津和野の青野山など。
こじんまりした展示会だが、じっくりと山の表情を楽しめるのがいい。
2階の展示作品を前に、Kさんと水津さん
偶然の重なる不思議な日で、1階に降りたところで、昔の少女Iさんとその家族にも会った。
全くの奇遇であった。再会を喜び、しばしの立ち話となる。
1階の会場で(Iさんの家族とKさん)
2階会場に飾られた鷺舞の像
同じく2階の盆踊り像
4年間も津和野に住みながら、盆踊りを見たことがない。
お盆の間は、きっと家に帰っていたためだろう。見慣れぬ衣装に驚いた。
水津さんから、「来年の夏には是非見に来てください」と勧められる。
85歳にとっては、来年の夏を予想するのは大変難しいことだが、機会があれば見てみたい。
Kさんには、一度、家の方にも立ち寄ってほしい。そして、一緒に海辺で食事をしたり、海を見ながら語り合えたらいいと思う。しかし、そんな日があるのかどうか。
Kさんとは、遺産センターの前で別れた。また会える日のあることを念じながら。
水津さんの案内で、もう一軒、やはり知己のTさん宅にも寄った。Tさんは留守で、会えなかったのが残念だったが、店内に飾られた水津作品(花の版画の小品)を鑑賞し、家前のオリーブの実やホトトギスの花を眺めさせてもらった。
そのあと、水津さんに、家まで送っていただく。
カレンダーに三重丸をつけたいような、めったにない、いい一日だった。
Kさんから、朝食中に電話があった。高校の同窓会があって津和野に帰ってきた、時間の都合がよければ会いに行きたいという電話であった。
今日は昼食を済ませて帰宅する予定であった。が、今からなら、昼食を停止できる。どこかで一緒に食事をとり、喫茶店に移動してコーヒーでも飲みながら、話をしようと考えた。<特急おき>で益田へ出向くということだった。
どこでお食事をしたものか、と考えながら、AYAちゃんに電話してみた。お勧めの食事処を教えてと。どうせタクシーで行くのだから名前が分かっていればいい。コーヒーも飲めてくつろげる食事処ということなら、「小春日和」がいいかもしれないとのことだった。
そこへもう一つ電話が入った。版画家の水津保美さからであった。津和野町の日本遺産センターで開催中の展示会の会期が明日までなので、今日迎えに行こうかと思う、との電話である。先刻、Kさんから電話があり、会うことにしたことを伝える。そして、とにかくあなたも、一緒にに食事しましょう、と誘う。
状況を納得した水津さんは、
「益田駅にKさんを迎えに行くから、そう伝えてください」
とのこと。早速、車中のKさんに連絡する。
(Kさんと水津さんは、小中高の同級生、私にとっては大切な知己である。)
二人には、施設まで来てもらい、私の一つの住まいを見てもらう。
そして、水津さんの車で食事処へ出かける。
ご馳走が目的ではない。歓談しやすい場所であることを念じて、「小春日和」に行った。
古民家を改造した食事処。知らなければ、普通の民家にしか思えない。
入って見ると、気兼ねなく話ができるように、考えた間仕切りがしてあった。
食事処「小春日和」
三人三様の食事を注文して、ひとときの語らいを楽しむ。
15歳だった少年は70歳。55年の歳月の隔たりを全く感じないのは、私の方だけであっただろうか。
こうした出会いの場合は、会話がとりとめもなく行ったり来たりする。思い出も様々なのが楽しい。
食事の後、コーヒーもいただいて、水津さんの車で、津和野へ向かった。
車中でも、絶え間なく語らいながら。
津和野町日本遺産センターで開催中の、<水津保美版画展>を見る。
作品数は少ないが、地元出身の作家・森鴎外と関連ある山、日本を代表する富士山、津和野の青野山など。
こじんまりした展示会だが、じっくりと山の表情を楽しめるのがいい。
2階の展示作品を前に、Kさんと水津さん
偶然の重なる不思議な日で、1階に降りたところで、昔の少女Iさんとその家族にも会った。
全くの奇遇であった。再会を喜び、しばしの立ち話となる。
1階の会場で(Iさんの家族とKさん)
2階会場に飾られた鷺舞の像
同じく2階の盆踊り像
4年間も津和野に住みながら、盆踊りを見たことがない。
お盆の間は、きっと家に帰っていたためだろう。見慣れぬ衣装に驚いた。
水津さんから、「来年の夏には是非見に来てください」と勧められる。
85歳にとっては、来年の夏を予想するのは大変難しいことだが、機会があれば見てみたい。
Kさんには、一度、家の方にも立ち寄ってほしい。そして、一緒に海辺で食事をしたり、海を見ながら語り合えたらいいと思う。しかし、そんな日があるのかどうか。
Kさんとは、遺産センターの前で別れた。また会える日のあることを念じながら。
水津さんの案内で、もう一軒、やはり知己のTさん宅にも寄った。Tさんは留守で、会えなかったのが残念だったが、店内に飾られた水津作品(花の版画の小品)を鑑賞し、家前のオリーブの実やホトトギスの花を眺めさせてもらった。
そのあと、水津さんに、家まで送っていただく。
カレンダーに三重丸をつけたいような、めったにない、いい一日だった。