ぶらぶら人生

心の呟き

再会と美術展

2018-09-23 | 身辺雑記
 長く生きていると、思いがけない良いことがあるものだ。
 Kさんから、朝食中に電話があった。高校の同窓会があって津和野に帰ってきた、時間の都合がよければ会いに行きたいという電話であった。
 今日は昼食を済ませて帰宅する予定であった。が、今からなら、昼食を停止できる。どこかで一緒に食事をとり、喫茶店に移動してコーヒーでも飲みながら、話をしようと考えた。<特急おき>で益田へ出向くということだった。
 どこでお食事をしたものか、と考えながら、AYAちゃんに電話してみた。お勧めの食事処を教えてと。どうせタクシーで行くのだから名前が分かっていればいい。コーヒーも飲めてくつろげる食事処ということなら、「小春日和」がいいかもしれないとのことだった。

 そこへもう一つ電話が入った。版画家の水津保美さからであった。津和野町の日本遺産センターで開催中の展示会の会期が明日までなので、今日迎えに行こうかと思う、との電話である。先刻、Kさんから電話があり、会うことにしたことを伝える。そして、とにかくあなたも、一緒にに食事しましょう、と誘う。
 状況を納得した水津さんは、
 「益田駅にKさんを迎えに行くから、そう伝えてください」
 とのこと。早速、車中のKさんに連絡する。
 (Kさんと水津さんは、小中高の同級生、私にとっては大切な知己である。)

 二人には、施設まで来てもらい、私の一つの住まいを見てもらう。
 そして、水津さんの車で食事処へ出かける。
 ご馳走が目的ではない。歓談しやすい場所であることを念じて、「小春日和」に行った。

 古民家を改造した食事処。知らなければ、普通の民家にしか思えない。
 入って見ると、気兼ねなく話ができるように、考えた間仕切りがしてあった。
        
            食事処「小春日和」

 三人三様の食事を注文して、ひとときの語らいを楽しむ。
 15歳だった少年は70歳。55年の歳月の隔たりを全く感じないのは、私の方だけであっただろうか。
 こうした出会いの場合は、会話がとりとめもなく行ったり来たりする。思い出も様々なのが楽しい。

 食事の後、コーヒーもいただいて、水津さんの車で、津和野へ向かった。
 車中でも、絶え間なく語らいながら。
 津和野町日本遺産センターで開催中の、<水津保美版画展>を見る。
 作品数は少ないが、地元出身の作家・森鴎外と関連ある山、日本を代表する富士山、津和野の青野山など。
 こじんまりした展示会だが、じっくりと山の表情を楽しめるのがいい。

        
        2階の展示作品を前に、Kさんと水津さん

 偶然の重なる不思議な日で、1階に降りたところで、昔の少女Iさんとその家族にも会った。
 全くの奇遇であった。再会を喜び、しばしの立ち話となる。

         
          1階の会場で(Iさんの家族とKさん)


         
            2階会場に飾られた鷺舞の像

         
              同じく2階の盆踊り像

 4年間も津和野に住みながら、盆踊りを見たことがない。
 お盆の間は、きっと家に帰っていたためだろう。見慣れぬ衣装に驚いた。
 水津さんから、「来年の夏には是非見に来てください」と勧められる。
 85歳にとっては、来年の夏を予想するのは大変難しいことだが、機会があれば見てみたい。

 Kさんには、一度、家の方にも立ち寄ってほしい。そして、一緒に海辺で食事をしたり、海を見ながら語り合えたらいいと思う。しかし、そんな日があるのかどうか。
 Kさんとは、遺産センターの前で別れた。また会える日のあることを念じながら。

 水津さんの案内で、もう一軒、やはり知己のTさん宅にも寄った。Tさんは留守で、会えなかったのが残念だったが、店内に飾られた水津作品(花の版画の小品)を鑑賞し、家前のオリーブの実やホトトギスの花を眺めさせてもらった。

         

         

 そのあと、水津さんに、家まで送っていただく。

 カレンダーに三重丸をつけたいような、めったにない、いい一日だった。





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老いの形

2018-09-22 | 身辺雑記
 明日はお彼岸の中日である。
 施設で昼食をいただいた後、帰宅することにしている。
 そこで、昼過ぎイオンへ行き、仏壇にお供えするお花などを求めてきた。

            リンドウとキクのセット
          

 ついでに、部屋の潤いにとカランコエの鉢も求めて帰った。
 白い花をしばらく楽しめるだろう。

        

 街から帰り、エレベーターを降りると、すぐ人の話し声が聞こえた。
 私の部屋の前で、SさんとFさんが、話しておられるのだった。椅子にかけて。

 私のドアの真ん前にいらっしゃるので、「帰りました」と挨拶する。
 「お帰りなさい」とにこやかに挨拶を返してくださる。
 「暑いですか」とFさんが聞かれる。
 「陽射しが強くて、かなり暑いお天気です」と答える。
 バスを待つわずかな時間、じわじわと照りつけられる感じだった。
 <暑さ寒さも彼岸まで>は常套句だが、今日は初秋の感じというよりも晩夏の気配だった。

 突如、「今、何月?」とSさん。
 「9月」と、Fさん。
 93歳のSさんは、ここ1年の間に、急に話のかみ合わないこと、トンチンカンが多くなられた。前日のことを忘れておられることもある。先日、食膳を配膳車に返す途中、廊下で転倒、顔から出血され、翌日には黝んだ顔をしておられた。私や隣室のOさんが音に驚いて、残飯の片付けやティッシュで血止めをして差し上げたのだが、詳しくは覚えておられないふうであった。
 一方、最近入居されたFさんの方は、ほとんど話をしていないが、いきなり出会い頭に、「あそこにオットセイが寝そべっている」と言われて驚いた。(このことはすでに書いた。)他人の部屋に黙って入り込んだり、食膳の片付けがうまくできなかったり、なにかと奇行が多い。(環境の急変によるものかもしれない。そのうち落ち着かれるといいのだが。)

 老い方は異なるのだが、退屈な二人はよく廊下で話し込んでおられる。おしゃべりは延々と止むことがない。どんな話題なのかは聞き取れないけれど、賑やかなシャーシャー蝉よりも耳には不快音として届く。施設の人にお願いして、ソファと椅子3脚をお二人の部屋の近くへ移動してもらったのだが、やはり端っこより、中央に近い方がいいようで、今日は椅子を移動して話し込んでおられるのだった。

 5時近く、施設の方が、全室を巡回。私の部屋の前にやってこられた。
 「椅子は向こうに置くはずだったでしょ」と言いつつ、二人の居場所を移された。
 移動後も、夕食膳が届くまで、雑談の声は聞こえ続けた。少しだけ、声は遠のいたけれど。
 二人にとって、それが楽しいことであるなら、周りの者は我慢しなければならないのだろう。
 (我慢ではなく、無の境地になれるといいのだが……。)

 いずれ我がゆく道と考えると、もの哀しい気分に襲われる。人ごとではないのだ。
 

 バス停で、見上げた空の雲は、夏雲と秋雲が同居している雰囲気だった。
         

         

         

 イオンからタクシーに乗るとすぐ、車窓に珍しい雲の光景を見た。
 施設に到着するころには形が崩れていた。それでもまだ異様さを残していた。
 下駄箱前の長椅子に荷物を置き、川土手まで出て雲を眺めた。
         

         
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海辺の散歩

2018-09-21 | 散歩道
 晴れ間の見えている間にと、午前中、散歩に出かけた。
 途中、花を見つけ、カメラに収めようとしたところ、スマホがない。机の上に置いてきたのだ。
 大塚神社を過ぎたところで引き返す。
 気温は26度。陽射しが強く蒸し暑い。

 一旦、南廊下のソファにかけ、新聞を読みながら休息する。
 もう一度出なおしたが、予定したコースはやめ、近回りの海辺を散歩することにした。

 最近は雨が多く、大塚海岸には、たくさんの水たまりができていた。
 砂も湿りを帯びている。

               藍色の風景
         
            空を浮かべた水たまりと高島

         
               魚待灯台のある岬
       島と岬の白い灯台を、今日は肉眼で眺めることができた。

         
               波打際と海と空
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パキラの蘇生

2018-09-21 | 身辺雑記
 施設の北廊下の隅に置いてあるパキラの葉が、ずいぶんくたびれていた。枯死するのではないか? と心配になるほど。
 最近、入居者されたIさんが、水やりなどお世話をしておられるようであった。
 その効果があって、薄緑色の新しい葉が伸びてきた。
 パキラの蘇生である。
 植物の緑は、人をも元気にさせる力を持っている。

 私など、水を欲しがらない植物に、せっせと水を与えて枯らしたりしている。

 なんでも育てることは難しい。
 植物にかぎらず、適性を考えない過剰な愛は失敗のもとらしい。


            
               パキラの鉢

           
               左の枝の新葉

            
               右の枝の新葉

         
         部屋のドアーを開けると右奥に見えるパキラ
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コスモスと蜂(?)

2018-09-20 | 散歩道
 テレビで、総裁選の結果をみる。
 トップが変われば、多少は国政に希望がもてるのではと期待したが、予想されていたとおりの結果になった。
 私の生存中には、希望が抱けなくなった。
 私たち、ひとりひとりが利口になり、諸問題を真剣に考えるより仕方がない。

 施設の中でも、最近、暮らしにくさを感じることがしばしばある。
 老人力のついた人が増えて、自室の前の方が、いつも騒然としている。
 施設は、個人の生活の場でありながら、他の入室者との接触も免れられない。

 ドアを開けると、自室前のソファに寝そべった人がいる。
 聞きたくない人語、見たくないものを目にし、心がざわざわする。
 私の許容能力も、老いてきているのだろう。

 騒々しさから逃げるように、雨が降り止んでいる気配なので、外に出てみた。

 近所にある家の庭隅に咲いているコスモスを眺めてきた。

        

 花の周りを飛ぶハチ(? ハチらしからぬ虫)がいた。
 やはり蜂の一種であろうか?
 優しいコスモスの花に、お似合いのおしゃれな虫。

        

 帰りは小降りの雨となった。
 入り口で、職員の方に出会ったので、ソファの移動は無理でしょうか? と唐突に尋ねた。(が、職員の方には、おおよその状況は分かっておられるはず。)
 私としては、辛抱を続けることで、施設へ戻るのが嫌になりそうに思え、いつか相談したいと思っていたのだ……。

 (早速、私の部屋の前にあったソファを、二部屋向こうに移動してくださった。いつも専用ソファのように利用される入居者の部屋の前に、移してくださったのだ。ありがたいことである。しかし、自分でも気づいていることだが、私の我儘が年々強くなってゆくようだ。まさにジコチュウ!)


 散歩から帰った途端に、不安そうにおろおろしておられた隣室のOさんから、
 「鍵が見えないの」
 と訴えられ、一緒に部屋の中を探す。
 狭い部屋だから、どこかにあるはず。

 「このバッグ(小袋)に入れていたのよ」
 と言われる。
 念のため、バッグの中に手を突っ込んでみる。ない!
 二人で、あちらこちら探す。
 結局は、ベッドの上に置いてある小物の陰にあった。

 老人は、私をも含めて大変‼️
 若い人からみれば、滑稽至極なことだろう。
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今日の花

2018-09-19 | 小庭の四季
           また施設に戻るにあたって。


           
              花盛りのシオン

        
          クリーム色の曼珠沙華、花数増えて

        

        
              赤い曼珠沙華
       次回、帰宅の頃には、どの程度、花開いているだろう?
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『天声人語』の感想

2018-09-19 | 身辺雑記
 『天声人語』書き写しノートを使っている。(………年………月………日より)
 使い始めのころは、毎日書くことにしていたが、最近は自分で取捨選択して書いている。
 生活の場が、昨年来、二か所となったが、新聞は家の方へ配達してもらっている。長ければ一週間不在のときもある。まとめ書きするのが億劫であることが大きな理由である。家で切り抜きし、施設で書き写しをしている。

 フリクションでさらさら書くので、時間はかからない。人に見せるものではないので、<タイトル>も、<要約・感想>も、深刻に考えたりはしない。私自身の一瞬の思考や表現を楽しんでいるにすぎない。

 一年が終わるにあたって、<要約・感想>を読み返してみると、今年一年の、「ある日ある時」の思いが記されていて面白い。自分で書いたことさえ忘れている思考の断片の面白さを感じた。

 朝日新聞の『天声人語』を読んだ85歳の老女の雑感として、とどめておく気になった。

  1月7日(星野仙一さん生き方
 好き嫌いは別にして、生き方の上で一本の筋を貫いた人であったのだろう。真似のできないとところがある。70歳の逝去が惜しまれる。

  1月11日(塩の日・塩にまつわる話
 戦後に「塩」のない時があった。父が海水を汲んできて、塩の代用とした。塩という食生活の必需品が入手できなかった時代。それを知る人も少なくなっている。

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トンボとヒヨドリ

2018-09-19 | 身辺雑記
            今朝、裏庭で目にした生き物。

         
             木賊の頭に止まったトンボ

            
             崖から飛び上がるヒヨドリ

 ふと庭に歩み出る老女の行動も、木賊に止まるトンボも、崖を這いまわった挙げ句に飛びたつヒヨドリも、天界に、絶対的な存在があるとすれば、その目にはなべて似たものに映るのであろうと、とりとめもなく思ってみたりする。
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津田医院の日

2018-09-18 | 身辺雑記
 津田医院の日。
 診察を受ける。
 血圧検査。少々高いが気にせず。
 体の一部に気味悪い不快感や少々の不安はあるけれど、なるに任せることにしている。病気を探さないこと、大方は<老病>と考え騒がないことにしている。我慢しきれない痛みや苦痛の時だけは、先生に相談しようと思っている。自力で生活できる間は、とにかく自立!

 病院で、私の担当をしてくださっている民生委員のTさんにお会いした。
 「お元気ですか」
 と、声をかけられる。
 「まずまずにしております」
 その程度の答えしかできない。

 旦那さんのお母さんに付き添って、来院されたのだ。
 現在87歳、もうすぐ88歳になられるという。
 杖にすがりつつも、腰をかがめて靴を履いておられた。私の不得意な、しゃがむ姿勢がひとりでおできになっていて感心する。ただ表情が乏しい。(老人の特徴の一つかもしれない。)

              **********
               <小庭の四季>

     昨日、帰宅してみると、クリーム色の曼珠沙華が咲き始めていた。

             
               
 咲いてはくれたけれど、例年のたくましさがない。
 地下で、長い猛暑による水不足や日照りに喘ぎ、最近の雨や冷気で、やっと生き返った感じなのだろう。
 ホトトギスなど、全く咲けない花もあるのだから、曼珠沙華には、芯の強いたくましさがあるのだろう。

    ムラサキシキブやシロシキブの実が、それぞれ美しくなってきた。

             

         
               ムラサキシキブ

             

         
                シロシキブ
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<本態性振戦>

2018-09-17 | 身辺雑記
 <本態性振戦>という<病名>を初めて知った。
 [本態性]という言葉は、広辞苑にも出ている。
 [原因不明の症状・または疾患についていう語。]との説明があった。医学で遣われる用語だと知る。

 私が施設に入ったとき、左隣の部屋におられた2歳年上のNさんは、6月の初旬に亡くなられた。しばらく空室になっていたが、数日前にOさんが入居された。1歳年上の方である。
 初対面の挨拶で、大体の人柄は分かるものだ。第一印象が非常によっかった。たまに会って言葉を交わすとき、自然体でものが言えそうだ。老人にありがちな老化もなさそうである。
 ただ、初めてお会いしたとき、
「手が震えて文字も書けないし、ものを言うと声が震えるし、食事も大変なの」と話された。
 その際、病名については聞かなかった。歳をとれば、どこかに異常は出てくるし、大病をなさった後遺症かもしれないと思った。

 一昨日、南廊下で新聞を読んでいると、外出姿でOさんがやってこられた。
 「お出かけですか」
 と尋ねる。
 「バス停がどこにあるか、見に行ってこようと思って」
 と話される。
 私は午後、バスで外出予定であった。
 「そのときでよければ、一緒にまいりましょう」
 と言うと、
 「では、午後、ご一緒させてください」とのことで話はついた。

 そのとき、
 「私の病気は、本態性振戦というの」
 と教えてくださった。
 初めて耳にする病名で、文字も浮かばない。
 80歳になったころに発症し、以来、日赤で薬をもらっていると話された。
 自室に戻ってから、タブレットで調べ、<原因のよくわからない震え>が、症状として出る病気だと知った。

 <要支援2>で、デーサービスに2回行っているが、いつも楽しいとも話しておられた。洗髪してもらったり、脳トレしたり、歌を歌ったり、ゲームをしたり……。私はわがまま人間なので、共同生活には和めそうにない。Oさんは、生き方上手な方のようだ。

 右隣は、私より一年余り前から入居しておられるSさんだ。93歳でお元気である。しかし、一昨日の朝、お膳を配膳車に運ぶ途中で転倒され、顔面に傷を負われた。以来、お膳を運ぶことはやめられたようだ。老いはいろんな形でやってくる。
 Sさんは関東圏での暮らしが長く、言葉がきれいで、感情も穏やかな方である。が、今年になって、急激に<老人力>が高まってきた感じだ。<老人力>は、自分では分かりにくいものらしい。10分ぐらい立ち話する間に、同じ話が幾度も繰り返され、調子を合わせるのが難しくなってきた。でも、笑顔のいい、悪意のかけらもない方なので、上手に付き合えば問題はない。

 8月に1人、9月に1人の方が、Sさんの先隣の空き部屋に、相次いで入居された。いずれも女性で、<老人力>は、はるかにSさんを超えている。一人は、15号室のMさん、私と同じ昭和8年生まれの同学年である。が、この方は、3日前に入院されたという。原因は知らされないのでよくわからない。見かけは私よりはるかに元気そうである。いずれ戻ってこられるのだろう。

 <老人力>がつくということは、子どもに戻ることらしい。時間の観念もなくなるらしく、朝から晩まで話し込んでおられる。多分、口から出た言葉は、すぐ空と化し、同じ言葉が繰り返されているのだろう。
 昨日は、13号室のSさんと16号室のFさんが、廊下のソファで話し続けられた。廊下での私語は、意外に部屋に飛び込んでくる。内容は全くわからないけれど。それに煩わされずに過ごせるほど、私は人間ができていない。嫌だな、と思うと、心が塞ぐ。(しかし、鬱陶しく思う人は、私ばかりではないと思うけれど……。)

 今日は昼食後、帰宅する。気分転換をしてまた戻ってこよう。
 昨日、妹から白い曼珠沙華の写真が届いた。(下)
 家の庭にも、咲いているかどうか?


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