ぶらぶら人生

心の呟き

「寂しい片耳」

2019-03-29 | 身辺雑記
 今朝は6時に目覚め、今日の新聞をまず読み、不在中に届いた新聞を順次遡って読んだ。常の慣わしで、ベッドに横たわったまま。
 3月26日の文化欄に、澤田瞳子さんのエッセイ「寂しい片耳」(カバンの隅には)が、掲載されていた。

 <久しぶりに少し、落ち込んでいる。お気に入りのピアスを片方、落としてしまったからだ。>
 という書き出しである。

 ああ、そうなの!?
 と、驚いた。
 ピアスは耳の穴に通すので、落ちないものと思い込んでいた。
 
 私は性懲りもなく、イヤリングの片方を落とす。
 「ピアスにしたら?」と、よく言われる。が、耳朶に穴を開けるのは怖い。
 数は減る一方だが、老い先が見えているので、新たにネックレスやイヤリングを求める気は起こらない。
 手元にあるもので、楽しむつもりでいる。
 
 今回も、旅の初日(25日)に、左耳からイヤリングが消えた。
 ネックレスとの揃いなので少々残念だが、仕方ないことと諦めは早い。かといって、一方をすぐ捨てる気にもならず、バッグのポケットに入れて持ち帰った。(下の写真・ネックレスと片割れのイヤリング)

        

 落ちたのが分かっていても、拾えなかったことが一度ある。
 15年以上も昔のこと、上野の西洋美術館であったか東京都美術館であったか、場所も美術展名も定かに思い出せないけれど、立錐の余地なしの混み具合で、身をかがめることもできなかったのを覚えている。
 
 片割れは沢山ある。
 真珠のイヤリングも落とした。やはりネックレスと揃いなので残念だったが、片割れグループ(下の写真)には入っていない。別の場所に収めているのかどうか? (思い出にあるイヤリングで、この写真の中にないものは、他にもいくつかある。)

        

 ピアスが落ちるのなら、イヤリングがふとした弾みに姿を消すのは、全く不思議ではない。
コメント
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