ぶらぶら人生

心の呟き

鶯の声を聞く

2019-03-20 | 散歩道
 診察を終え、薬局で薬をもらった後(街へ出るバスには少々間があり)、医院の前の菜の花を眺めた。
 その向こうには、すでに水の張られた田圃も見える。

        

        

 今日は、全国的に気温が上がり、当地も春めく日となった。
 バス停に立ってバスを待つより、次の停留所まで歩くことにした。
 道の辺に、オオイヌフグリの花を眺めたりしながら。

        

 すぐ近くの木立から、鶯の声が聞こえてきた。
 私にとっては初音である。甲高い囀りが聞こえる。
 国道を挟む反対側の山からも、その声が聞こえてくる。
 例年、2月には、どこかで鶯の声を聞いたはずなのに……。

 鶯はまだだろうか? と、絶えず気にしていた。大塚の散歩のときも、家の周囲でも。
 今日やっと、その囀りが届いた。
 耳にも、春が訪れた。

 次の停留所までは、意外に上り坂であった。
 10度から20度くらいの勾配なのだが、それが急坂を登っているように感じるのは、歳のせいであろう。
 
 今日は、紫木蓮にも出会った。
 家を出て、バス停に向かう途中で。
 毎年、この大きな木は、白木蓮に遅れて花を開く。
 (今年は、白木蓮の盛りを見ることができなかった。
  白木蓮の花の美しい期間は、とても短い。
  開花したら、だらしなく崩れてしまう。汚れ色に変色して。
  開花寸前の、白い炎のような蕾が、一番美しいように思う。)

        

        

        
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津田医院へ

2019-03-20 | 身辺雑記
              3月の健診
          血圧検査、いつものように高め。
              次回、血液検査。

 診察を受ける人が多く、バッグに入れて出た『なつかしい時間』(長田弘著)を読みながら待つ。
 詩人・長田弘さんのエッセイは、さりげなく綴られた言葉に深い味わいがある。

 <言葉むなしければ、人はむなしい。語彙というのは、心という財布に、自分が使える言葉をどれだけゆたかにもっているかということです。その言葉によって、いま、ここに在ることが生き生きと感じられてくる。そういう言葉をどれだけもっているか。いまは、言葉のあり方というのが、あらためてそれぞれの日常に、切実に問われているときのように思われます。(2000年3月3日)> [「語彙の行く末」より]

 自らの語彙の乏しさを恥じつつ読む。

           
               待合室の花

        
           同じく、待合室にある水槽の熱帯魚
            (魚、何匹いるでしょう?)
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