ぶらぶら人生

心の呟き

医療技術の進歩 (パイナップルリリー)

2008-08-30 | 身辺雑記
 兄が脳腫瘍の手術を受けたのは、27日であった。
 正午から始まった手術が終わったのは5時だったと聞いている。
 そうした手術に立ち会った経験がなく、手術のやり方も、術後がどんなふうなのかもよく分からない。
 兄嫁からのメールで、手術が無事終わり、意識が戻ったとの知らせを受けたのは、夜の8時を過ぎていた。

 ところが翌夕、兄の携帯からメールが入った。<昨日、無事手術が終わった>と。
 24時間後には、メールが打てるとは、驚きであった。
 (翌日、兄嫁のメールで分ったことだが、医師からはメールすることは禁じられていたらしい。兄が勝手に送信したのだと知った。)
 それにしても、脳の手術を受けながら、そうしたことが可能であるのが不思議だ。

 さらに驚きは続いた。
 術後の翌々日に当たる昨夕は、兄の携帯から電話がかかってきた。
 ひどく威勢のいい声であった。
 <もう二、三年は生きたいと思っていたが、それは無理かもしれない。これからは、一日一日、生きている幸せに感謝して過ごしたいと思う>
 その電話で、兄は余生の生き方まで語っていた……。

 視野狭窄などの原因となっている、神経の周囲にある腫瘍は取り除けなかったと聞いている。
 それが、これからの生活にどのように影響するのか、さらに何らかの治療が続けられるのか、予後のことはよく分らない。
 ただ、19日、病院に見舞ったときに比し、術後が悪くなったとは思えない。
 兄も、医学の進歩を口にし、術後も食欲があり、用便も自分で達しられるなど、順調な恢復ぶりを喜んでいたのだが……。

 しかし、人生は不定。
 アフガニスタンで、住民のために情熱を傾けて生きていた伊藤和也さんが、拉致の瞬間まで、自らの命の限界を感じることはなかったでだろう。
 また、思いがけぬゲリラ豪雨で、明日の自分が存在しないなど、その犠牲者は考えもしなかったに違いない。
 老少不定のはかなさ、人の運命といったものに思いを致した。兄の明日が分からないのと同じように、私の明日だって分からない。
 兄の悟り(?)の如く、病む者ばかりでなく、人間みな、確実に存在する今日の幸せをかみしめて生きるべきなのかもしれない、そう思う昨夕であった。


 (添付の写真は、過日、M レストランで見た<パイナップルリリー>。緑の花とは珍しい、と思いつつ眺めたが、一般的には白が多いのかもしれない。ピンクの花もあるようだ。)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ぶらりと巡って (KITTY EX.) | トップ | 体の補強 (撫子) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿