ぶらぶら人生

心の呟き

5月の庭 (窓辺の花 その蕾)

2008-05-24 | 草花舎の四季
 前記した「水木?」の花の蕾。これがまた、格別かわいく、雰囲気がある。
 壁面に、点描画が置かれたかのようだ。思わずカメラに収めて帰った。(写真)
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5月の庭 (窓辺の花 ?)

2008-05-24 | 草花舎の四季
 草花舎の窓辺に、頭をのぞかせ、白く咲いている花がある。(写真)
 昨年から、名前が分からないまま、移ろいゆく様を眺めてきた。花が実となるまで。

 昨日、草花舎から帰宅し、手がかりを求めて、木や花の写真を沢山載せている「歳時記」を開いてみた。
 これではあるまいか、と思える花の写真が載っていた。
 その名は「水木」。
 いわゆる「花水木」とは異なる植物である。
 別の本によると、「水木」は、<春先に枝を折ると水が滴ることからついた名前>とあった。
 いかにも、初夏の花らしいさわやかさが、気に入っている。

 次回、草花舎に行くときには、植物の本を持参し、葉のつき方、花の特色を観察してみよう。

 (追記 26日。 どうも「水木」ではなさそうである。Yさんの話では、「ブッラクべりー」ではないか? とのこと。ネットで調べてみると、それらしくもある。が、花の写真は少なく、今の段階では判断しかねる。果実なる日を待つことにしたい。)
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5月の庭 (ギョリュウの木)

2008-05-24 | 草花舎の四季

 「あの木の名前、分かりましたよ」
 と、Yさん。
 あの木とは、草花舎の裏、母屋の前にある古木のことである。
 「<花おりおり>にも、出てます、ギョリュウ!」
 「ギョリュウ?」
 私は、草花舎の書棚から<花おりおり>(朝日新聞社刊・湯浅浩史・文、矢野勇・写真)二冊を取り出した。

 漢名の「御柳(ぎょりゅう)」に由来する名前のようだ。
 <優しい細やかな葉、枝ぶりは柳に似てしなやか>
 <古木の幹は太く荒々らしい。その相貌は竜さながら>
 などと、記されている。

 草花舎の<ギョリュウ>も古木で、幹は凄まじい。だが、対照的に枝ぶりや葉は繊細である。その木が花をつけたのに驚き、過日のブログ(5月12日<草花舎の四季>)に書いた。
 裏庭に行ってみると、まだ花は残っていたが、かなり色あせていた。(写真)

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5月の庭 (ハナイカダ)

2008-05-24 | 草花舎の四季

 昨日、草花舎へ出かけると、
 「ハナイカダは、庭にもありますよ」
 と、Yさんに言われ、在所を教えてもらった。

 過日、友達の家に誘われた際、<ハナイカダ>が、その玄関の花瓶に活けてあった。その日、初めて目にした<ハナイカダ>のことをブログに書いた。Yさんは、それを読んでおられたのだ。

 草花舎の庭にも、ハナイカダのあることを私は知らなかった。
 昨年植えられ、今年初めて、花をつけた様子である。まだ背丈も低い幼い木は、二枚の葉に花を乗せていた。(写真)
 地味だが、初々しい姿である。
 来年は、幾枚の葉に、花が乗るのかしら? と想像するだけで楽しい。

 春の季語となっており、歳時記には、
 【花筏(はないかだ)】で出ている。<ままっこ>ともいうようだ。

 <花筏名のみ華やぐあをさかな  伊能 洋>

 三句が掲載されたなかに、上の句があった。
 確かに、その名前には華やぎがあるのに、葉も花も緑である。


 ハナイカダとは関係のない話だが<葉も花も緑>と書いて思い出した。
 昨日は、草花舎で、スーザンさんと日本語会話の勉強をした。その時、たまたま<色>の表現が話題になった。
 周囲を見渡しながら、
 白→白い服・白い柱・白い肌(スーザンさんの肌は白い) etc
 赤→赤い花
 黒→黒い髪
 黄→黄色い花
 などと、ジェスチャーと発音で、<白>と<白い>の関係を言い合っていたとき、スーザンさんが、突如、窓外の木の葉を指さし、<みどりイ?>と聞かれたのだ。
 私とTちゃんは思わず顔を見合わせて笑い、
 「難しいねぇ」
 と、言い合ったのだった。平素は何気なく使っている言葉なのだが……。
 白という名詞を形容詞化するとき、いつも<い>を添えればいい、と言うわけにはいかないのだ。
 緑→緑の葉、緑色の葉
 と、繰り返し発音して、分ってもらうしかない。
 <黄色い、茶色い>とは言えても、<緑い、紫い、緑色い、紫色い>とは言わない。
 スーザンさんは、文法的な勉強は好まれないが、方言的な言い回しではなく、美しい日本語を学びたいとの思いは強いようだ。したがって、妥協もせず、正しい言い方を繰り返すしかない。
 一緒に会話を交わす練習をしながら、気づきもしなかった日本語の特色に気づくことしばしばである。

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