昨日、草花舎の中庭を歩いていると、ピンクの蔓バラが、小径をふさいでいた。(写真)
昨年も、同じ位置にあったのかどうか?
スーザンさんとの日本語会話の勉強は、昨日が3回目。
私たちは何気なく使っている日本語だが、尊敬語・謙譲語・丁寧語の存在が、言い回しを複雑に変えていて、初めて会話を学ぼうとする外国の方には、さぞ理解しがたいことだろうと思った。
文法は抜きにして、音を頼りに覚えこむのは、並大抵のことではないように思える。
あなたは どこに おすまいですか?
わたしは ○○に すんでいます。
<住む>=<l i v e>と分っていても、そして、例文を英語で置き換えた言い方がプリントしてあっても、やはり日本語の言い方や発音をマスターするのは容易なことでないような気がする。
しかし、スーザンさんは熱心である。
しかも、会話の練習を、会話としてだけでなく、その言葉の奥に潜む、日本の文化、日本の国民性など、目に見えにくい世界も探ろうとされるので、学習は単純にはいかない。歴史を聞かれたりすると、はたと考え込んだりしなくてはならない。スーザンさんは、優れたアーティストとして、会話を通して、もっと深く日本を知ろうとされているようだ。
前回の勉強で、<通じ合う>という言葉の響きや言葉の意義に感動されたスーザンさんは、<通じ合う>世界を書いた詩はないかと尋ねられた。が、即座には思い出せず、また考えてみると、曖昧にしておいた。
すると昨日、早速、詩は見つかったかと尋ねられた。
私は、その課題を頭の片隅においてはいたが、適当なものを思い出せないまま、真剣に探そうともしていなかった。一方、たとえ見つけたとしても、その日本語の詩をスーザンさんに分っていただくのは至難の技だろうとも、思っていた……。
どんなふうに、スーザンさんに解答するかは、私にとっての課題である。
そもそも文学は、<通じ合う>世界よりも、<通じ合えない>世界の方を、よりテーマとして扱ってきたのではあるまいか?
向日性より背日性を、幸せよりは不幸を、喜びより悲しみを、プラスよりはマイナスを、etc。後者の面から、あるべき姿や生き方を問う場合の方が多いのではないか?
文学の一面についての、そんな思念をめぐらせながら、昨夜は枕元に幾冊もの詩集を積み上げて、天井を眺めていたのだった。
草花舎の庭に、場所をたがえて、色の異なる三種類のジギタリスの花が咲いていた。(写真は、その中で一番目立っていた花)
一度では花の名前が覚えられず、再び季節が巡り来るころには、その名をすっかり忘れていて、思い出せない名前が実に多い。それなのに、なぜだかジギタリスは覚えていた。
一直線に立ち上る茎に、釣鐘型の花が密集して、ややうつむき加減に咲く特色が、よほど印象に残っていたのだろう。
<きつねのてぶくろ>という別称も、愛らしい。
なぜキツネなのかは分らないけれど。
イヌ・ネコ・キツネなどの動物は、植物の名によく冠せられるようだ。
イヌノフグリ・イヌガシラ・イヌナズナ・イヌエンジュ・イヌニンドウ・イヌガヤ・
イヌグス・イヌザンショウ・イヌシデ・イヌツゲ・イヌビワ・イヌマキ・イヌムラダ
チ…
ネコジャラシ・ネコノシタ・ネコノメソウ…
キツネアザミ・キツネササゲ・キツネノカミソリ・キツネノヒマゴ・キツネノボ
タン・キツネノマゴ・キツネノチャブロク…
そういえば、ネズミも出てくる。
ネズミサシ・ネズミモチなど。
今日は、あまり晴れやかな気分になれない一日だった。
昨夜、近所に不幸があった。
公の葬儀は、故人の意思で行われないという。ごく近所なので、朝、お別れに行ってきた。90歳の、心臓発作による死とのことであった。
長い間、孫、曾孫の世話をよくされ、痩躯ながら元気そうな方だったのだが。
数日前、胃ガンの手術で一か月入院、元気になって退院されたばかり、との話を聞いた。そのことを話してくれた人も、入院の事実を知られなかったようだ。
近所のことでも、知らないことが多い。
入院の件も全く知らなかったし、昨夜、救急車や警察の車が出入りしたことにも全く気づかなかった。
お家を訪ねる用もなく、何かの折に、戸外でお会いすることもなかった。考えてみると、その老女に限らず、日頃、近所の人に会って、言葉を交わすことが非常に少ない。都会並みに、近所付き合いが希薄になっている。
永遠の眠りにつかれた、老女のお顔は安らかであった。心臓の発作は、瞬間的に、苦しみがあるものかどうかは知らないけれど。
四世代の大家族なのだが、仕事で外出中のため、その死に気づかれたのは、数時間が経ってからだったようだ。
老女の死に対面した今日は、どうしても自分自身の老い先を考えてしまう日となった。死の時も死の病も、選択は不可能と分かりながら、長く患うことなく、火種が自然消滅するように、安らかに永遠の眠りにつきたいとつくづく思う。そして、葬式などはいらない。誰かのお世話にはなるだろうけれど、ひっそりと風の如く空のかなたへ消え去りたい、そんな心境である。
前々から、老女の住まいの玄関先には、老女のかわいがっておられる鸚鵡が一羽、飼われていた。今朝も、その死に多分気づかないであろう鸚鵡は、「おばあちゃん、おばあちゃん」と呼んでいた。哀れであった。
鸚鵡という、言葉を真似ることのできる、この利口な鳥は、餌をくれる人の交代について、どんな受け止め方をするのだろう?
その名を尋ねると、<シナモン、ニッケイの木>とのことだった。(写真)
五月の陽光に照り輝く葉は美しいけれど、格別珍しい木ではなそうに思えた。それもそのはず、シナモン(ニッケイ)は、クスノキ科のクスノキ属とのことだ。どこかで見かけたような感じがするのは当然である。
花が咲き、実もなるという。
この小木にも、いずれ、淡い黄緑色の小さな花のつく日が訪れるのだろう。