ぶらぶら人生

心の呟き

図書館にて (図書館前の鉢の花)

2008-05-17 | 身辺雑記
 図書館前の鉢に咲いていた花。(写真)
 こちらは、園芸趣味の人なら、一目で花の名前が分かるだろう。よく見かける種類のように思う。しかし、私は、その名を知らない。

 この花のすぐ近くに腰を下ろし、タバコを吸っている人がいた。休憩時間、外に出て、図書館の日陰で、しばし寛ぐ感じで。
 私は、多分図書館勤務の人だろうと思い、木の名を尋ねるには格好の人に出会えたと喜んだ。が、確かめてみると、そうではなかった。
 逆に、
 「○○さんですね」
 と言われ、よく見ると、かすかに顔に見覚えがあった。
 20年以上前の知己であった。少年から青年の顔に変わってはいたが、面影が残っていた。郵便局に勤務しているのだ、ということであった。
 往時の話をひとしきりした。
 花の名を確かめることはできなかったが、思いがけぬところで昔年の知己に会った。私が、図書館の人かと尋ねなかったら、そのまますれ違うことになったであろう。
 人と人との出会いは不思議である。思いがけず縁を深めたり、無縁に終わったり……。

 図書館には二時間いた。
 「月魚」という題に惹かれて手に取った小説は、三浦しをんの作であった。
 名前は聞いたような気がするけれど、どんな作家かは知らない。あとがきを読んでみて、文章からすぐ若い作家であることが想像できた。
 <緊張のあまり、借りてきた死にかけの猫みたいに大人しい私>と、編集者(だったと思う)に会ったときの自分を表していた。気取った比喩を使う人だな、と思いながら、「月魚」を読み始めた。
 古書業界が小説の舞台である。まるで知らない世界なので、興味を抱いた。同時に男性世界の人間間関係を描こうともしているようだ。
 続きは、次回図書館で読むことにし、借りずに帰った。
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図書館前の木 (エゴノキの花?)

2008-05-17 | 身辺雑記
 図書館前に、花を見事につけた一本の木がある。(写真)
 花もいいし、樹形もいい。
 花はみな下向きに、うつむいて咲いている。
 木の下に立つと、花の傘をさして佇んでいる感じであった。
 横から見ると、花は細く長い花柄をつけ、ぶら下がるようにして咲いている。

 これが、エゴノキの花ではあるまいか、と思った。どうだろう?
 図書館の受付に聞いてみたが、よく分からない。
 庭の管理者は、平日勤務なのだそうだ。
 後日、確かめてみたい。
 シャリンバイについても。
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図書館前の垣根 (シャリンバイ?)

2008-05-17 | 身辺雑記
 図書館前の垣根の木が、今、花盛り。(写真)
 シャリンバイ(車輪梅)だと思うが、どうだろう?

 昨年の今頃、土田の浜で見かけた花とよく似ている。
 暖地の海岸に自生するらしいことや、葉や花の特色から、多分間違いないだろうと判断したのだった。

 今、広辞苑で確かめてみると、「庭木として栽培」とも記してある。
 図書館前の、この白い花も、多分シャリンバイにに間違いないだろう。
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グラントワへ (ヤマボウシの花)

2008-05-17 | 身辺雑記

 今日、出かけるなら、グラントワで食事をしようと決めたもう一つの理由は、西エントランスの脇に咲いた<ヤマボウシの花>をもう一度眺めたかったからでもある。
 昨日、この花に気づき、カメラに収めようとして、外出時には必ずもって出るはずのカメラが、カバンにないことに気づいた。入れ忘れて出かけたのだった。

 ヤマボウシは、私の家の庭にもあるのだが、花をつけてくれない。
 60歳になったとき、父のくれた祝い金で、ヤマボウシと花水木を前庭に、シデコブシを裏庭に植えた。実際に頼んだのは、紅白の花水木だったのだが、後で一本はヤマボウシだと分った。植えた春と次の年には、数個の花をつけので判明したのだ。が、その後は全く花が咲かない。花水木に至っては、一度も花をつけないし、大きくもならない。よほど庭土と相性が悪いのだろう?
 私は、秋の紅葉を楽しむだけで満足している。それでいて、今年はあるいは? と、心の中では花の咲くことを心待ちしているのだけれど。
 シデコブシの方は、毎年花を咲かせてくれる。春先、比較的早い時期に、ひらひらとシデのようなピンクの花びらをなびかせて。

 グラントワのヤマボウシの花は、もう花期を過ぎようとしているのだろう。
 緑の葉が茂り、葉陰に潜むように咲いていた。(写真)

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歩道のベンチ

2008-05-17 | 身辺雑記
 今年になってからは、朝の散歩を怠ることが多い。というより、ほとんど歩いていない。こんなことでは足が弱るだろうと、内心では気になっている。さらに、ひっそりと家で過ごす時間が長くなると、心が鬱屈しがちである。

 家の中にいても、上手にメリハリをつければ、変化のある生活はできるだろう。
 庭に出れば雑草が伸び放題、家の中にも物は出放題。家事の上手な人ならば、あるいは几帳面な人ならば、それらをこなすだけでも、24時間はあっという間に過ぎてゆくに違いない。
 私は、雑草も気になるし、ものの片付かないことも気にはなる。が、それを絶対の仕事として優先させることがどうもできない。それを後回しにして、自分のしたいことをしてしまう。私のしたいことは身体を使わず、じっとしていてできる仕事ばかり。だが、それの繰り返しは、時に精神を閉塞する。そればかりか、身体のバランスを失することにもなる。

 <外に出るべし>
 そう決めて、昨日来、街に出かけることにした。
 昨日は、グラントワへ行き、「国立能楽堂コレクション展」の後期展示を観たり、「島根の室町文化展」を観たりした。前回観た「版画の世界展」の部屋にも入ってみた。
 「島根の室町文化展」では、<六部奉納品>というものに初めて接し、書写した法華経が小さな筒に収められているのを物珍しく眺めた。
 <六部>は、<六十六部>ともいうようだ。全国66ヵ所の霊場に1部ずつ書写した経を収め、全国を行脚したのだという。

 昨日はその後、口腔に不快があるので、かかり付けの歯科医院に寄り、臨時に診察してもらって、簡単な治療も受けた。


 今日は、図書館に行くことを目的に家を出た。
 お昼は外で取ることにして、グラントワ前で下車した。
 <ポニイ>の海鮮どんぶりで、昼食を済ませようと……。

 バス停を下りたとき、木製の手づくりベンチが目に入った。(写真)
 新品ではないので、かなり前からあったのだろう。
 人間の目は、意識を集中しない限り、随分沢山のものを見落としてしまうもののようだ。このベンチの前を、これまで幾度も通ったはずである。しかし、記憶にはない。というのは、無意識に眺めていたか、全く見ていなかったか、のどちらかであろう。

 今日はまず、ベンチの左端に鳥が止まっているのに気づき、足を止めた。椅子の右側には、フクロウもいる。さらに、ベンチの横には、ウサギがいる。座席の部分は、丸太ん棒である。
 変わったベンチに、私も腰掛けてみた。ウサギと並んで。
 坐り心地はは悪くない。
 <デザイン・製作 家田由望>とベンチの横には、製作者の名前があり、県産の木材で製作したものである、との説明もついていた。
 これ以外にも、歩道には木製のベンチが置かれている。

 ちょっとした路上ウォッチング。
 関心を抱けば、あちらこちらに、心を遊ばせてくれる、楽しいものはありそうだ。
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