〇夜、また熊本で地震。福岡も少し揺れたらしいが帰途の移動中で気づかず。
福島、岩手、宮城では5月に入って山火事が続いている。山河も大地も憤怒に満ちているのか。
今日も朝から晩まで仕事であった。風邪気味かもしれずあまり調子が良くない。家に着いて、明日に備えて休むことにする。
先週出かけた帰りの福山駅も、実は下車したのは初めてだった。少し歩いた大黒町というところに、赤レンガ通りという謎の区画があるが、どうも本当に近代化遺産的な古い建築ばかりが並んでいるというのと違って、1979年(昭和54年)頃に赤レンガ的なデザインと意匠で商店街を形成したらしい。(※ということは、KinKi Kidsの中の人が生まれた頃では…)
そしてさっそく目ざとく見つける(爆)
キイロイトリ「ヤッパ マズハ キルケニー デスナ」
Kensintonというカフェ&パブで、所謂ブリティッシュ・パブの設えとメニューですね。
昼ご飯を食べ損ねていたので、これで落ちついてから、ロンドンプライド生とライトミールとサラダで夕ご飯にする。昼間撮影しつつ気づかないうちに何時間も歩き続けたので、軽く回ってくると心地よい疲労感と安堵感に包まれる。
店内には、静かに1940~50年代風のJazzが流れている感じ。わりとこういうところで一人飲みの人もちらほらいる。サッカーの試合中などではなくて、落ち着いててゆっくりできてよかった。
本日のBGM:Thème Borsalino / Claude miBolling
再び祥月命日の11日がやってくる。少ししみじみと思い出したこと。
朝、「我らが」アラン・ドロンの引退宣言なるニュースを見ていて、ふと頭の中に流れたのがボルサリーノと冒険者たちのレティシアの歌のやつだった。この人そのものがある種の「文化」だった。
この人もいかにも暗黒街チックな感じがするというだけでなく、意外と低音で腹に響く声の人だ。まだ学生の頃、それこそ田山力哉氏じゃないけどジャン・マレーやアラン・ドロンやジャン=ユーグ・アングラードとか、映画の台詞の発音を聞いてフランス語の響きに憧れた頃、というのが20世紀には存在する、なかなか甘美な記憶として。
2012年の秋にイマジカとか映画のCSチャンネルで、えらく毎日この人の映画の特集をやってたので、同様に連続してた天知茂特集と一緒に見まくっていたことは、この自分の「別室」ページを遡るとわかる通り。モリッシー先生がザ・スミスのあのジャケットを作ったのもアラン・ドロン先生のおかげといえる。どうもその頃、シシリアンという言葉の響きだけで興味を持って、めったに行かない佐賀にふと出かけてみたら、どういうわけかその数年後、佐賀に出張の仕事で時々通うようになって、今となっては結構おなじみの場所になってしまった。これもレベルは違うが、不思議なご縁である。(20170511)