「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

本日の効果音(53) Le Clan des Siciliens / Ennio Morricone (1969)

2012-09-30 | 閑話休題・本日の効果音

○出勤しては自宅休養、という状態の間に、(1)Andy Williamsさんの訃報に合掌。少し前のチャンネル銀河で「主任警部モース」と「ルイス警部」と「アンディ・ウィリアムス・ショー」はずっと見ていたから、中で歌う数々の名曲カバーとか60~70年代の若々しく闊達なイメージが鮮やかに印象に残っている。こんな風に歌えたら気持ちいいだろうなあ、と聞いてる方が思ってしまうような良い声だった。
(2)去年ふと思い立って赴き、撮影した門司港駅が、今後5年位かけて改修工事となるのだそうだ。28日夜がひとまず営業終了だったとか。しばらくはごぶさたになるのか。行って撮影しておいてよかった。復活を楽しみに待ち、また訪ねたいと思う。

(佐賀の建築物お散歩のつづきのまだ途中ですが、おまけ)

 さて、散歩中に全然昼食をとっていなかったので、ここに来たならせっかくなので、ご当地メニューといわれる「シシリアンライス」をいただいて帰ろうと思う。だいたい福岡の近辺では見たことも食べたこともなく、佐賀にも何度か来ているがまだ遭遇していなかった。あいにくランチタイムが終わってディナータイムにはまだ早いという中途半端な時間帯だったため、ごはんものの出ないところもあり。とりあえず開いているところで頼めそうな玉屋の上のレストランに飛び込み、一品注文してみる。たれぱんだ、キイロイトリとむすび丸もまったり休憩している間、さっそくいただきます。

    
 予備知識ではシシリアンライスとは「ライスの上にサラダのようにレタスその他の野菜が盛られ、その上に甘辛く炒め焼かれた牛肉(おそらく名物・佐賀牛)が載り、ドレッシングなどで味付けがなされている」もの、と聞いていた。各店によってそれぞれ味に創意があるとか。こちらはセットでコーンスープと少しフルーツが付いていた。お肉もあるのに少し酸味のきいたドレッシングでさっぱりとしたお味。夏場などでも、これならかなり野菜が食べられますね。しかし、これは何か、どこかで食したことのあるような?このサラダ感覚、と言えば……そうだ、羽田空港でいただいたドネル丼を思い出した。あれもビーフだったし、酸味のあるソースだったもんね。いちおう佐賀の方が、甘辛な焼肉の味もドレッシングもやや日本風で、日本人には親しみやすい味なのかな?そうすると、やっぱりトルコかシリアあたりの料理のイメージから付いた名っていう説は、そのへんが根拠なのかな?と思ったり、しているうちに完食。ごちそうさまでした。

(玉屋から一望する佐賀市内)
 さてこのシシリアンライスをいただく時のBGMといえば、当然

本日のBGM:
 映画「シシリアン」のテーマ / エンニオ・モリコーネ (「le Clan des Siciliens」 / Ennio Morricone)(「The Very Best of Ennio Morricone Vol.1」)
 (※というよりも実をいうと順序が逆で、元々その映画「シシリアン」(1969)を検索しているうちに、やたら検索結果に頻出する「シシリアンライス」というのがあり、それって何だ?と興味を持って、それでふと佐賀に散歩に来ちゃったわけなのだが><)

 この半音移動がバッハの「前奏曲とフーガ イ短調 」BWV543のプレリュード(前奏曲)からアイデアを得たものとの話も伝わる、有名な美しいフレーズ。しかしモリコーネが作ると、その上に哀愁漂うゆったりした旋律が相乗的に絡みながら進行するので、ほんとにイタリア風なやるせない雰囲気の名曲になる。さすがモリコーネおそるべし、同時期にトランティニャンの映画の方では「殺しは静かにやってくる」を作っておきながら、返す刀で「シシリアン」も作っていたとは!
 さらに、あの「びよーん」(!)の音を使うので、どこか非情なマカロニ・ウエスタン調(爆)な感じも加わり、得も言われぬ味わいなのである。それにしてもこの「びよーん」(口琴)は当時の流行りだったのだろうか。ただ、西部劇に限らず、1970年代前半になってきてしまうとテレビで頻繁に、例えば渡辺岳夫の「お祭り銀次捕物帳」とか「天才バカボン」や、広瀬健次郎の「ど根性ガエル」なんかで使われまくってるイメージで、どことなくユーモラスな色のついたものになってしまってはいるが。(※うむ、ビブラスラップと口琴を密かに用意練習しておくと、年度末の隠し芸大会で効果音に使用できるかもしれないぞ←!?)

 …てなことはともかく、“「ゴッドファーザー」よりも早い時期にシチリアのシンジケートのイメージを印象づけた”といわれる有名な映画と映画音楽の存在が、やはり昭和50年頃までに(他の数多のマフィア映画のイメージとも重なって)どこか当時の人々の潜在意識に浸透し、シシリアンライスの「シシリアン」という言葉の響きの採用に何か影響していた可能性があるのでは、と勝手に推測するのだが、どうであろうか。確かに料理の呼称の由来とするには目出度くないやくざなフィルムノワールで、一般市民から見れば犯罪者側の自業自得「悪因悪果」な話で幸先の良い展開ではないのだが、その点は日本の歌舞伎の白波物みたいなものと思えばよろしかろう。むしろ、この「晩年のジャン・ギャバンの誇り高き矜持」「青年からおっさんの過渡期的なアラン・ドロンの絶妙な不良味」「苦み走ったリノ・バンチュラのデカ」の三拍子揃った娯楽映画、もしくは「マツコ&有吉の怒り新党」の「新・3大○○調査会」風に喩えるのであれば「日本人なら知っておくべきアラン・ドロンの三大グレイトな御最期(笑)の一つ」といっても過言ではない(爆)映画である。シシリアンライスのご当地なら、この映画と音楽がもっと知られていてよいはず。佐賀市内の名画座的THEATRE CIEMAあたりで「シシリアンライスの本場でシシリアンを偲ぶ夕べ」(?)みたいなリバイバル上映会をすればいいのでは(笑)。いかがでございましょうか?(20120930)
コメント    この記事についてブログを書く
« 20120928 | トップ | 20120930 »

コメントを投稿