そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

都会からは新コロナは消えることがない

2020-07-04 | 新型コロナウイルス

今日(4日)の東京都の新型コロナの感染者数131名である。新型コロナウイルス(COVIDー19)の感染についてどうしてもわからないことが二つあると以前に書いた。欧米に比べてアジアでは、感染者数が三桁少なく、死亡者数が二桁少ないのである。要するに感染者で100倍、死亡者で10倍アジアが少ない。100年前のスペイン風邪ではこの逆でアジアが二桁少なかった。
FactorXと言われ、生体側の要因から風俗習慣やBCGなど諸説がある。現在の医学での究明は難しく、統計からは類推するしかなく、後年医学か人類学の解明を待つほかはない。

もう一つ厄介なことがある。感染者が東京都とその関連地域で、日本全体のほぼ8割を占めていることである。こちらは後述のような推測がつくというものの、やはり違和感が残る。明らかに東京は二波の中にある。(上図)
東京とその周辺(埼玉と神奈川)の人口は日本人口の23.7%も占めるが、面積は僅かに2.22%に過ぎない。即ち、ほぼ4分の1の人間が、50分の1の所に集中している。これは異常である。空気を正常化する山も森林もなければ、河川もほとんどない。
面積は東京都がせまい方から全国の3番目、埼玉県は9番目、神奈川県は5番目である。私の住む町は平坦で山はないが東京の7割ほどの面積で、1万6千人しか人口がない。人口密度は東京の1万分の一である。20人以上を同時に見ることはまずない。東京に足を踏み入れると常時見知らぬ人ばかりの数百人と接触することになる。これは異常なのである。多くの都会人は気が付いていないが。
都会の濃密な人間距離がウイルスの存続を許すことになっている。買い物距離を置いて並んでみても一瞬のことでしかない。これではウイルスは消えることないだろう。おまけに仕事場など以外は、殆ど人間関係が存在しないに等しい人との接触である。夜の仕事ばかりがターゲットにされているが、都会そのものの生活様式こそがコロナ後の生活の在り方として問われるべきである。
殆どの都会の人には田舎あがある。なければ両親か祖父母には田舎がある。田舎は”住めば都”の都会に人材を送り続けてきた。人的な密度の偏在は経済効率をも、田舎から奪ってしまった。そうした偏在と不自然な人間関係が新コロナの登場によって問われているといって過言でなかろう。
先日紹介した足寄町の活躍はこうしたことへの問いかけの意味もある。経済効率から人は集まっても、人と人との距離は遠ざけるばかりとなる。新コロナはヒトと金の偏在を問うているといって良い。
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