田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

母の残像(Louder Than Bombs)

2016年12月13日 17時43分49秒 | 日記

 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「ニンフォマニアック」などを手がけたデンマークの鬼才ラース・フォン・トリアー監督を叔父に持つ、ノルウェーの新鋭ヨアキム・トリアー監督の長編第3作。戦争写真家の母イザベルが謎の死を遂げてから3年。母の回顧展の準備のため、長男のジョナが父と弟が暮らす実家に戻ってくる。事故か、自殺か、不可解な部分が多いイザベルの死。久しぶりに顔を合わせた父と息子たちが妻への、そして母へのそれぞれの思いを語り、イザベルの知られざる一面を戸惑いながらも共有していく。3人はそうすることでイザベルの死を受け入れ、家族としての絆を取り戻していくかに見えたが……。第68回カンヌ映画祭でコンペティション部門に出品され、ノルウェーのアカデミー賞と呼ばれるアマンダ賞では監督賞、脚本賞、撮影賞、編集賞を受賞。ジェシー・アイゼンバーグ、ガブリエル・バーン、イザベル・ユペール、デビッド・ストラザーンと、国を越えたキャストが顔を揃えた。(映画.comより)

 

 

 

 難しい映画でしたね・・・。あらすじは上にある通り、有名な戦争写真家だった母(イザベル・ユペール)が、皮肉なことに引退してから交通事故で亡くなる、という事件が起きてから3年。彼女の回顧録が出されることになり、写真の整理や契約内容などに関して、家族がもう一度一緒に過ごすことになり、そして起きる悲喜こもごも・・・。これだけ男ばかり(夫・長男・次男)が遺されると、結構面倒なのね・・・というのが素直な感想です。

少し前に、似たような映画を見た気がします。同じくフランス女優ジュリエット・ビノシュが著名な戦争カメラマンで、彼女のために国に残って子供たちの面倒をみている優しい夫がいて。ただ、彼女は大怪我をすることがあっても死ななかったし、子供は女の子ばかり(二人)だった。どうしてもカメラマンをやめれない感じで描かれていたし、違うと言えば違うのですが、設定がね。

すっかり渋くなったガブリエル・バーンと、イザベル・ユペールが夫婦と言うのがとっても新鮮。凡人には思いつかない組み合わせですね。ユペールは相変わらずミステリアスできれい。憧れるなぁ。息子がマジシャンの(違う)ジェシー・アイゼンバーグ。ユペールの仕事仲間にデヴィット・ストラザーン。彼も渋くなりましたね。

で、3年前に亡くなった母の死を巡って、三者三様の思惑が入り乱れるのですが、このへんがわかるようでわからなかった。自分自身、幼い頃やごく若い頃に祖父母を失ったきりで、両親や夫という近親者を失った経験がまだないからかもしれません。ティーンエイジャーの次男が父親にとても反抗的なのも、「お母さんが亡くなったのは別にお父さんのせいじゃないのに」とか思いました。母親を慕う気持ちはわかるのですが。なんかこの複雑な感情が、難解でした。私は感情がなさすぎるのかもしれません。

凡人ですみません。やっぱトリアーの血はすごいな。でも、映画全体の静かな雰囲気は好きでした。

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PK(PK)

2016年12月12日 07時46分02秒 | 日記

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 日本でもロングランヒットを記録したインド映画「きっと、うまくいく」のラージクマール・ヒラーニ監督と、インド映画界のスターであるアーミル・カーンの再タッグ作。本国インドでは「きっと、うまくいく」を超える興行成績を記録し、全米公開もされた。留学先のベルギーで大きな失恋を経験したジャグーは、いまは母国インドのテレビ局で働いている。そんなある日、ジャグーは、地下鉄で黄色いヘルメットを被って大きなラジカセを持ち、あらゆる宗教の装飾を身に付けてチラシを配る奇妙な男を見かける。男は「PK」と呼ばれ、神様を探しているということを知ったジャグーは、男になぜ神様を探しているのか話を聞くのだが……。(映画.comより)

 

 

 

 突拍子もない映画。何という設定。しかしながら、インドでは宗教の力がこれだけ人々に影響している、ということは勉強になりました。そしてまた、敬虔な信者が多いインドでも、「神様はどこにいるのか」と探して「見つからない」そして、「神様はきっと電話をかけ間違っているんだ」という、取り方一つで「宗教批判」とも取れるこんな表現が、許されるのだなぁ、というところが驚きです。

冒頭で描かれるので書いてしまいますが、PKは宇宙人です。母星は何らかの理由で荒れているのか住みづらいのか、なにがし「自分たちと同じような生き物がいる」ということで、地球を見に来ているのです。素っ裸で現れ、いろんな人に騙されたり親切にされたりしながら、地球の言語を学び(相手の手を一定時間握るとその人の言語を習得できるのですが、なにぶん見かけが男なので、女性の手を握ろうとしても男性の手を握ろうとしても殴られるハメに)、習慣を学び、文化も学んでいきます。しかしそのうち、「じゃぁ我々を守ってくれる神様はどこにいるんだろう」と思い始め、「会いたい」と強く望むようになります。そして、どの宗教が一番なのかわからないPKは、ありとあらゆる信心にトライし、ありとあらゆる修行をこなしてゆきます。でも、一向に神様は現れず、状況も良くなりません。彼は神様に会って、お話がしたいだけなのに。八方塞がりなPKは、人間から見るとちょっと奇行ですね。そんなところが、テレビ局に勤める女性ジャグーの目にとまり、彼を「ネタ」ととらえたジャグーとともに、いろんなハプニングを起こしてゆきます。

PKのシーンが長いので、冒頭のジャグーの恋愛シーンはなんだったのかと、途中では思うのですが、これがラストに効いてきます。

インド映画の例に漏れず、かなり長い映画なので、冗長に感じることは確かです。でも、宗教に関して「おかしい」と感じたPKがとことん追求してゆく様は爽快でもあります。少し怖いですけどね。そしてラストのジャグーと恋人の話は感涙必至。ここに結びつくのかぁ・・・と驚きです。

ダンスシーンはやや少なめ。でも、普通に(?)暮らしている人なら、PKの疑問に大いに共感できるかも。

長ささえ苦にならなければ、お勧めです。

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インフェルノ(Inferno)

2016年12月05日 07時22分53秒 | 日記

 ダン・ブラウン原作の世界的ヒット作「ダ・ヴィンチ・コード」「天使と悪魔」に続き、トム・ハンクスが三度、ハーバード大学教授の ロバート・ラングドンに扮したシリーズ第3弾。ハーバード大学の宗教象徴学者ラングドン教授は、数日分の記憶を失った状態で、フィレンツェの病院で目を覚ます。謎の襲撃者に狙われたラングドンは、美しい女医シエナ・ブルックスに助けられて病院を脱出。何者かから追われる身となったラングドンとシエナは、生物学者ゾブリストが人類増加問題の解決策として恐ろしい伝染病を世界に広めようとしていることを知る。そしてゾブリストが詩人ダンテの叙事詩「神曲」の「地獄篇」になぞらえて計画を実行していることに気づき、阻止するべく奔走するが……。ロン・ハワード監督と主演のハンクスが続投するほか、ラングドンと共に謎を追う女医シエナ役を「博士と彼女のセオリー」のフェリシティ・ジョーンズが演じる。(映画.comより)

 

 

 

 今頃やっと見ました。はっきり言うけど、長く上映されてるんですね。トム・ハンクスとダン・ブラウン、ロン・ハワードだもんね、そんなものかな。記憶力が悪いのか、「ダ・ヴィンチ・コード」や「天使と悪魔」はほとんど覚えてない状態なのですが、まぁ話がつながっているわけでもないだろうと思い、チャレンジ。結果、楽しめました。ラングドン教授は随分老けこんできてるのに、ヒロインは相変わらず若い美人女性で、ハリウッドの伝統をきちんと踏襲しています。

ビリオネアのベン・フォスターは、頭も良く、自ら「殺人ウィルス」を開発しました。地球の人口はものすごいスピードで増え続けていて、このままだと地球は滅ぶ、だからそのままにしていつか滅ぶか、今人口を半分にするかだ、という彼の理論はある意味もっともです。まぁしかし、実行できるものではないですよね。命運の強い人のみが残るか。

ということで、ベンはあるウィルスを撒こうと思っているわけです。個人的には、強くそう思うのであれば、ラングドン教授に謎解きなど挑まずにさっさと撒けばいいと思うのですが、やっぱり少しの迷いがあったのかもしれません。謎解きは確かに複雑でおもしろいものでしたが、なんでこんなに回りくどいことをするのかがそもそも疑問です。生物テロなんて、やりたければやればいいし、今回の謎解きがハナからラングドンを標的にしたものであったのか、そうでなかったのならなんでラングドンが命を賭してまでこんな謎解きをやらなければならないのか。なんか、その出発点から納得できない感じです。まぁ、シリーズだから仕方がないとか言われればそれまでですが。また、原作にはきちんと書かれているのかもしれませんしね。

犯人(?)は、ラングドンと知恵比べをしたかっただけかもしれません。ともかく、かなりの深手を負っているはずのラングドンが、走る、走る。教授としての知識をフルに活用しながら、謎を解き、WHOと共同で生物テロを阻止するまでの活躍が描かれます。またこのWHOの女性長官とラングドンは、どうやら昔つきあっていた様子。こんな設定もアリなんですね。

大変よくできた映画だとは思うのですが、このシリーズはそろそろ終了してもいいんじゃないかと、個人的には思います。

 

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ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅(Fantastic Beasts and Where to Find Them)

2016年12月04日 16時58分29秒 | 日記

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 世界的人気を誇る大ヒットファンタジー「ハリー・ポッター」シリーズ完結から5年を経て、新たに送りだされるシリーズの第1作。原作者J・K・ローリングが自ら脚本を手がけ、実際に発売もされたホグワーツ魔法魔術学校の指定教科書「幻の動物とその生息地」の編纂者である魔法動物学者ニュート・スキャマンダーが繰り広げる大冒険を描く。未知の幻獣を求めて世界中を周り、ニューヨークにたどり着いたニュート。ところが、魔法のトランクに詰め込んでいた魔法生物たちが逃げ出してしまい、魔法生物を禁じているアメリカ合衆国魔法議会のお尋ね者になってしまう。さらに、魔法の根絶を目論む秘密結社・新セーレム救世軍の暗躍で、事態は思わぬ方向へ転がっていく。主人公ニュートを「博士と彼女のセオリー」のオスカー俳優エディ・レッドメインが演じ、ヒロイン役には「インヒアレント・ヴァイス」のキャサリン・ウォーターストンを起用。共演にもコリン・ファレル、エズラ・ミラー、サマンサ・モートンら豪華キャストが揃う。「ハリー・ポッター」シリーズ5作目から監督を務めてきたデビッド・イェーツがメガホンをとる。(映画.comより)

 

 

 

 なるほど、なかなかの出来でしたね。「ハリーポッター」シリーズは、回を経るごとにダークになり「こんな暗い話だったっけ」と、ついて行けない感じに陥ってました。それで、この作品もどうしようかと迷ったのですが、評判が良いと言うことでチャレンジ。変な髪型のエズラ・ミラーやすっかり落ち着いたコリン・ファレルにも興味がありましたし。

時代設定はハリー・ポッターの前日譚になるのかな?ここに出てくる美人姉妹の魔法使いが「おじいちゃんがふくろう飼ってた」って言ってました。ともかく、学者然としたエディ・レッドメンがおかしく(いかにも動物に夢中でヲタクっぽく、なんでもやってしまうところ。求愛ダンスとか)「この子、本当になんでもやるなぁ」って感心してしまいました。お話はシンプルで、つまりは世界中を回っている学者がおっと、人間界に魔法動物を逃がしてしまった。早く集めて人間界を元に戻さなきゃ・・・それだけのことです。そこに、人間に絶対にバレないようにいろいろ規制している「アメリカ魔法議会」とか、魔法の根絶を目指す秘密結社(長はサマンサ・モートン)、それに操られている気弱な魔法使い(エズラ・ミラー)、さらには彼に絡んでくる「魔法使いはもう少しのびのび暮らしてもいいじゃないか」派の長官(コリン・ファレル)などが絡んで、シンプルだったはずの話がどんどん複雑になってゆきます。今回は人間が一人絡んじゃってるんで、そこも見所。いい人なんですよ~、彼が。画も素晴らしくて見応えあり。

ただ、難を言わせてもらえば、少々冗長。2時間25分(予告含む)は、長く感じました。このシリーズは長いのが常だけれど、もう少し見やすくしてもいいかもしれません。でも、次回作も楽しみです。

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