亡き主人の帰りを待ち続けた秋田犬の物語は、時を超えて今も人の心を揺さぶっている。
11月で生誕100年の「忠犬ハチ公」。 東京・渋谷駅前の銅像周辺は、今も待ち合
わせをする人々でにぎわっている。 ゆかりのある人々は「いつまでも語り継がれてほ
しい」と願っている。
ハロウィーンで大混雑をしたあとの11月初め、渋谷の銅像前では、記念撮影の訪日客
らが列をなしていた。 米国からの友人を待っていた女性は「渋谷といえばここだか
ら見せてあげたい」と待ち合わせ場所を決めたんだそうだ。 「忠実さが日本の犬ら
しい。 渋谷の街が変わっても『ハチ公前』の景色は変わらないでほしい」と話す。
1923年、秋田県大館市で生まれたハチ公。 生後約50日で、渋谷に住んでいた東
京帝国大の"上野教授"に引き取られた。 教授を渋谷駅まで送り迎えし、教授の急逝
後も10年近く駅に通い帰りを待ち続けたとされる。 35年3月に死んだ。
「これほど愛され続ける犬は世界中探しても他にいない」。 研究してきた白根記念渋
谷区郷土博物館・文学館の"松井学芸員"は話している。
上野教授の遺族ら、生前を知る200人以上に話を聞いた。 「病人に静かに寄り添っ
てくれた」「子どもが背中に乗っても怒らない」。 証言から浮かび上がるのは、人
懐こくて優しい姿だった。
今年8~10月に開催した企画展では、収集し
た写真や文献など約250点を展示。展示期間
中の来館者数としては過去最多となった。
「亡くなった家族や、離れて暮らす親しい人に
会いたいという思いと重ねるからこそ、国や時
代を超え、人の心に響くのでは」と松井学芸員。
「一つでも多く事実を解明したい。 200年、300年先も語り継がれてほしい」と
語った。
大館市の生家には記念碑と石像が建てられ、多くの見物客が訪れる。 家を継いだ"斎
藤さん"は「ここを出る時には名前もなかった子犬が、ハチ公として形率が得ている
のは誇らしい」。 2003年には記念碑除幕式には上野教授の子孫が訪れるなど、
交流が生まれたという。
上野教授の出身地、津市。 近鉄久居駅前には12年、教授とハチ公が見つめ合う姿の
銅像が建立された。 銅像を守る会のメンバーで、「ハチ」にちなみ毎月8日には清
掃活動をしている"杉原さん"は「見ると優しい気持ちになる。 100年を機にたく
さんの人の見に来てほしい」と、いとおしそうに語っている。
11月で生誕100年の「忠犬ハチ公」。 東京・渋谷駅前の銅像周辺は、今も待ち合
わせをする人々でにぎわっている。 ゆかりのある人々は「いつまでも語り継がれてほ
しい」と願っている。
ハロウィーンで大混雑をしたあとの11月初め、渋谷の銅像前では、記念撮影の訪日客
らが列をなしていた。 米国からの友人を待っていた女性は「渋谷といえばここだか
ら見せてあげたい」と待ち合わせ場所を決めたんだそうだ。 「忠実さが日本の犬ら
しい。 渋谷の街が変わっても『ハチ公前』の景色は変わらないでほしい」と話す。
1923年、秋田県大館市で生まれたハチ公。 生後約50日で、渋谷に住んでいた東
京帝国大の"上野教授"に引き取られた。 教授を渋谷駅まで送り迎えし、教授の急逝
後も10年近く駅に通い帰りを待ち続けたとされる。 35年3月に死んだ。
「これほど愛され続ける犬は世界中探しても他にいない」。 研究してきた白根記念渋
谷区郷土博物館・文学館の"松井学芸員"は話している。
上野教授の遺族ら、生前を知る200人以上に話を聞いた。 「病人に静かに寄り添っ
てくれた」「子どもが背中に乗っても怒らない」。 証言から浮かび上がるのは、人
懐こくて優しい姿だった。
今年8~10月に開催した企画展では、収集し
た写真や文献など約250点を展示。展示期間
中の来館者数としては過去最多となった。
「亡くなった家族や、離れて暮らす親しい人に
会いたいという思いと重ねるからこそ、国や時
代を超え、人の心に響くのでは」と松井学芸員。
「一つでも多く事実を解明したい。 200年、300年先も語り継がれてほしい」と
語った。
大館市の生家には記念碑と石像が建てられ、多くの見物客が訪れる。 家を継いだ"斎
藤さん"は「ここを出る時には名前もなかった子犬が、ハチ公として形率が得ている
のは誇らしい」。 2003年には記念碑除幕式には上野教授の子孫が訪れるなど、
交流が生まれたという。
上野教授の出身地、津市。 近鉄久居駅前には12年、教授とハチ公が見つめ合う姿の
銅像が建立された。 銅像を守る会のメンバーで、「ハチ」にちなみ毎月8日には清
掃活動をしている"杉原さん"は「見ると優しい気持ちになる。 100年を機にたく
さんの人の見に来てほしい」と、いとおしそうに語っている。