3日目の午後、萩の町に入った。
萩城の城郭は残っておらず、城跡だけであった。
そこが今回の萩往還道歩き(全53㎞のうち、車を使った部分を抜いて43㎞)のゴールとなった。
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城下町の町筋は基盤目状に角され、中級や下級の武家屋敷、町家が軒を連ねていた。往時の面影をとどめたものがたくさんあった。半日ではとても周りきれずその一部をみて雰囲気を味わっただけであった。
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毛利の殿さま
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萩八景遊覧船乗り場
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今年、世界遺産になった「萩反射炉」
残っているのは煙突部分だけである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/06/a225c5b8e185a7ef5f597a75091db772.jpg)
“反射炉は西洋で開発された金属溶解炉。近世の反射炉で現存するのは伊豆の韮山に築造されたものと、この2基だけで、わが国の産業史上貴重な遺跡とともに、萩藩の幕末における軍事充実の熱意がうかがわれる・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/70/c77d474bf3ca9b4475dda57d854f4bcb.jpg)
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現在放映中の「花もゆ」のモデルとなった「松下村塾」も賑わっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/d6/3bd7c4efee429e6ef33506f1500b381f.jpg)
↓ 松下村塾の説明文が萩教育委員会により、以下に記されている。
是非読んでみましょう。この小さな小屋同然の建物の重要性が解ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/de/85c0a7fc5e134f95bd7636018d52848e.jpg)
「吉田松陰は安政四年(1857年)実家杉家宅地内にあった小屋を改造して八畳の塾舎とし、更にその翌年十畳半を増築した。これが現在の松下村塾、松蔭二十七歳のことである。
ここで松蔭が教育した期間は一年であり、実家の幽囚室時代と通算しても二年半に過ぎない。
この短い期間に、この粗末な教室から若い松下村塾グループが育ち、安政の大獄で刑死した師の志を継いで尊攘倒幕運動に挺身し、明治維新の原動力となった。
同士の主な者は激動期に死亡していったが、生き残った者は維新政府の中枢に立って、新しい日本を指導することになった。」 萩市教育委員会
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「幽囚室」
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次は最終回、やっと「金子みすず」についてレポートします。
萩城の城郭は残っておらず、城跡だけであった。
そこが今回の萩往還道歩き(全53㎞のうち、車を使った部分を抜いて43㎞)のゴールとなった。
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城下町の町筋は基盤目状に角され、中級や下級の武家屋敷、町家が軒を連ねていた。往時の面影をとどめたものがたくさんあった。半日ではとても周りきれずその一部をみて雰囲気を味わっただけであった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/2b/70f12593c301568ec40391e8f1c02acc.jpg)
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毛利の殿さま
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萩八景遊覧船乗り場
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今年、世界遺産になった「萩反射炉」
残っているのは煙突部分だけである。
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“反射炉は西洋で開発された金属溶解炉。近世の反射炉で現存するのは伊豆の韮山に築造されたものと、この2基だけで、わが国の産業史上貴重な遺跡とともに、萩藩の幕末における軍事充実の熱意がうかがわれる・・・
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現在放映中の「花もゆ」のモデルとなった「松下村塾」も賑わっていた。
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↓ 松下村塾の説明文が萩教育委員会により、以下に記されている。
是非読んでみましょう。この小さな小屋同然の建物の重要性が解ります。
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「吉田松陰は安政四年(1857年)実家杉家宅地内にあった小屋を改造して八畳の塾舎とし、更にその翌年十畳半を増築した。これが現在の松下村塾、松蔭二十七歳のことである。
ここで松蔭が教育した期間は一年であり、実家の幽囚室時代と通算しても二年半に過ぎない。
この短い期間に、この粗末な教室から若い松下村塾グループが育ち、安政の大獄で刑死した師の志を継いで尊攘倒幕運動に挺身し、明治維新の原動力となった。
同士の主な者は激動期に死亡していったが、生き残った者は維新政府の中枢に立って、新しい日本を指導することになった。」 萩市教育委員会
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「幽囚室」
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次は最終回、やっと「金子みすず」についてレポートします。
吉田松陰を師と仰ぎ、ここで学んだ人達が、明治政府を作り上げ、日本は近代化へと向かいます。
吉田松陰師弟の文献にふれると、スケールの大きさを感じたことが想い出されます。
山口県は多くの総理大臣も出ているのですね。今の阿部さんも・・・デスネ ううう・・・
いい街でしたが、もっとゆっくり観たいところです。
ミカンはまだ青く、収穫は2月以降のようでした。
今回の同行者は80代前半のかた2名もいましたが、しっかり歩かれました。私もあと10年歩けるかしら?といいましたら・・おふたりも山歩きな好きな方たちで、やっぱり続けることが大切!といわれました。