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萩往還道歩き&仙崎に金子みすゞ訪ねて その6

2015年11月15日 | 街道歩き
4日目;11月14日は萩を離れ長門市へ、金子みすゞが住んでいた先崎の町へ。
金子みすゞのパンフレットから
 <幻の童謡詩人>
「本名;金子テル
 1903年、山口県大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。
 大正末期、優れた作品を発表し、西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されましたが、26歳の若さでこの世を去りました。
 没後、その作品は散逸し、幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなりましたが、1982年童謡詩人矢崎節夫氏の“16年にわたるみすゞ探し”により遺稿集がみつかり、甦りをはたしたのです。
 その優しさにつらぬかれた詩句の数々は、いま大きな感動を持って、人々の心に広がり続けています」


(私はまだみすゞのことを十分解っていないので、この日にこの町でみたことをそのままここに貼り付けてみます)

まず、仙崎駅へ。この駅は山陰線の支線の終点だった。




駅から北へ向かって海岸に出るまでの1km道を「みすず通り」と。


駅舎の壁には「先崎かまぼこ」のかまぼこ板に書かれたモザイクアート。
金子みすずへのメッセージが多いようだった。
















金子みすゞ記念館、その隣に実家の書店を移築されていた。金子みすゞ生誕百年にあわせて2003年4月11日にオープンした。





みすゞ(テル)の弟(1歳の時に上山家に養子に出されていた)
 詩人、シナリオライター  お互いに慕い合っていたという

















みすゞは実家の墓に眠っているという




街中のモザイクアート
右は女学生時代、左の写真は亡くなる前日にみすゞ自ら写真屋に行って撮り、遺したものという。







先崎港




観光船にのって、
海上アルプスといわれている青海島・おおみじまの内海をクルージング











外海近くになると日本海の荒波が寄せてきた








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2 コメント

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ずっと前に (t-k)
2015-11-16 09:39:09
ドラマを見て、そのあとみすずの全集を買いました。薄幸の詩人もこんなに大切にされて、現代の人々を優しい気持ちにさせている。良いですね。
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Kitaさんへ (nemobaba)
2015-11-16 15:02:44
みすゞが26歳で幼い娘を母親に託し、死を選んだのか・・・記念館のビデオではその原因の直接的な説明はありませんでした。時代背景や結婚生活の確執など・・・今だったら死ななくてもよかったのかもしれないとおもいました。
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