即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

パーソナリティ力と将棋

2007年04月29日 22時32分09秒 | 将棋
先日、田坂さん の新刊『プロフェッショナル進化論 「個人シンクタンク」の時代が始まる』について書きました

今日は、その話が、将棋の話と、つながっているのではという内容です。

この本の結論は、
「すべてのプロフェッショナルは、個人シンクタンクへと進化する。」

「個人シンクタンク」へと進化するための「7つのシンクタンク力」とは、
「インテリジェンス力」「コミュニティ力」「フォーサイト力」「ビジョン力」「コンセプト力」「メッセージ力」「ムーブメント力」
です。

では、いかにすれば、この「7つのシンクタンク力」を身につけ「個人シンクタンク」へと進化することができるのか、そのための6つの戦略。

1.「コンセプト・ベースの戦略」
インターネットを自分の「知的創造の場」とする。
2.「パーソナル・メディアの戦略」
良き影響力を持つ「自分だけのメディア」を育てる。
3.「プロフェッショナル・フィールドの戦略」
自分の「経験の智恵」を語れる専門分野を育てる。
4.「アドバイザリー・コミュニティの戦略」
人々の智恵が集まる「コミュニティ」を創り出す。
5.「ムーブメント・プロジェクトの戦略」
人々の行動を集めて「ムーブメント」を創り出す。
6.「パーソナリティ・メッセージの戦略」
自分の「パーソナリティ」を発信する。

この「6つの戦略」を貫く心得。

それは、自分というものが、他者から、組織から、社会から、
いかなる「信頼」を得ているかどうか。

そしてそれは、突き詰めていくと、
自分のこだわり。
自分の思想。
自分の内なる魂。

「自分らしさの発見」ということになる。

今、誰もが簡単に情報が手に入るようになり、自分と言うもの、自分のアイデンティティとか、パーソナリティというものが、ますます問われる時代になりました。
良かれ悪しかれ、その部分にスポットライトが当てられてしまい、多くの人の前に浮き彫りになってしまう時代です。

例えば、身近な例。
田坂さんの話の中にもあったことですが、

話のうまいへた。

同じことでも、Aさんが話すと、とても楽しい気分になり、生き生きと伝わってくるけど、その同じことをBさんが説明すると、つまらない、何を言ってるかよくわからない、みたいなこと。

あるいは、会社の会議のこと。

ほとんど発言せず、単に誰かが言ったことの鸚鵡返しとか、言い方変えただけとか、で存在感の無い人。
よくしゃべるし、どんどんしゃしゃりでてくるけど、あっち飛び、こっち飛び、で、結局あんたの意見はどうなの?って、何も見えない人。
ほとんどしゃべらないけど、ポツリと言ったことが、誰も気づかない重要なポイントを掴んでいる人。

情報革命により、「言葉で表せる(専門的・最先端の)知識」の共有が進んだので、相対的な価値が下がった。

そして、「言葉で表せない智恵」が、重要な社会になった。

一人一人の力が、ガラス張りになった。

個人個人の「メッセージ力」が重要な時代になってきた。

個人のプロフェッショナルフィールドが問われる。
パーソナリティや人間性、人間力が問われる。

人間を磨くこと、人間力を身につけていくこと。

心の動く、共感の得られる、メッセージを紡げているか。

法人としての企業や経営者も、その人間性やパーソナリティが大事になった。

IRとか、コンプライアンスとかいうことも、その証。

そのような時代の中で、
我々は、上記の6つの戦略を実践して、社会の中に、信頼とか、ブランドを、築いていかねばならない。


片上五段のdaichan's opinion最新の記事「その後の世界」を展望してみる」、読みました。

田坂さんの話は、ビジネスのプロフェッショナルはどうすればいいのか?
片上五段は、プロ棋士は、どうすればいいのか?

違う部分もあるとは思いますが、共通している部分がかなりある。
そう確信しました。

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 前回書いたように、現在の僕は、近いうちに、少なくとも自分が現役でいるうちには、コンピュータに勝てなくなる日が来るだろうと考えている。そのとき将棋というものはどうなるか、プロの世界というのはどうなるのか。
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将来的に、コンピュータに勝てなくなった時、将棋の価値とは何か、と問いかけています。

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 意識しているかどうかに関わらず、現在のプロ将棋界は「最高峰の技術」を見せるという側面が強いように思う。受け手も最高峰の戦いだからこそ、それを楽しみに見る。そこから徐々に変質して、「この人の対局だから見に行く」「この人が指しているから棋譜を見る」というような「この棋士」を見せるようになるのではないかと、僕は考えている。まあ当たり前と言えば当たり前なのだが、そういうふうに変わっていかざるを得ないように思う。それが一部のトップ棋士だけでなく、棋士一人一人に課せられていくような気がする。
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棋譜よりも、棋士に価値があると、言っています。

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 いますぐにでもできることの一つとして、例えばもうすこし棋士の盤外の活動(これは何も「普及」に限らない)を表に出す努力を、連盟が組織として行っていくべきではないだろうか。棋士の価値を高める、あるいは宣伝していく努力が、もっと必要ではないかと強く感じる。
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棋士の盤外の情報をもっと出すことで、棋譜の価値が高まる、と言ってます。

片上五段のところにTBしているWEB2.0(っていうんですか?)ITベンチャーの社長のブログにも共感する意見が書かれています。

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「例えば、ドラムを叩くなんていうのはシンセサイザーに任せれば間違いなく人間より上手なんです。当たり前ですがリズム感は完璧です。最近はただ譜面どおりに叩くだけではなく、そこに個性を持たせることもできるようになってきています。厳密に言えば、これはドラムだけではなく、全ての楽器について言えることです。そんな時代になったとき、プロのアーティストはなぜ存在するのか。そのあたりに、ソフトが人間を越えた時代のプロ棋士のあり方のヒントがあるんじゃないですか」
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音楽と将棋。
この捉え方、面白いです。
ほんと、その通りですね。

ジャズなんかはそのプレーヤーの個性がかなり出るのだと思いますが、クラシックは、マニアじゃないとわかりにくいですよね。
同じ、第九とか、運命、とか、って曲を聞いて、これはカラヤンだとか、ウィーンフィルだとか、って、どこまで指揮者やオーケストラの個性が出ているんでしょうか?
シンセサイザーで作った音と、ストラディバリで弾いた音。
もちろんどんどん近づいているんだと思います。
アーティストの存在意義がより問われていることに間違いないでしょうが、ステージでの演奏という視覚的に楽しめる要素も大きいので、将棋のほうがより根深い問題かと思います。


IT革命によって、将棋に関しても、情報や知識は誰でも簡単に手に入るようになった。
人間のやっていたことが、どんどん侵食されてきた。
羽生さんの高速道路論にも共通する話。)

人間はどうすればいいのか。
より高度なことを問われることになる。

田坂さんの言葉を借りると、下記のようになる。
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「専門的な知識」ではなく「職業的な知恵」。
それはスキルやセンス、ノウハウやテクニック、さらにはマインドやスピリットといった「言葉で語れない知恵」だ。
別の言葉で表現するならば、例えば、「分析力」「直感力」「発想力」「企画力」「交渉力」「営業力」といった「何々力」と呼ばれる能力や知恵のことである。

「知的プロフェッショナル」と呼ばれる人材。その特徴は第1に「自立」、もう1つが「個性」だ。そして「豊かな経験」よりも「深い体験」が価値をもつようになる。
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単に物理的な勝つための技術。デジタル的な解。
高度だけど、物理的な無機質な意味の棋譜。

これはもう価値がないと思う。

技術書的な意味の棋譜は、価値がない。
例えば、どこかに対局者の名前がない棋譜があったとして、僕らの棋力では、それは、名人戦の棋譜なのか、C2クラスのものなのか、はたまたアマチュアのトップのものなのか、見分けが付かない。

そこに、羽生とか、森内とかの、人間が介在して、考え方や人生そのものが絡んで、そういう人間同士が生み出したものであるから、価値がある、と思う。
背景に長い将棋の歴史や、名人戦の歴史があるから、たくさんの棋士や人間が繰りひろげてきた世界があるから、その棋譜に価値がある。

「高速道路の先で、渋滞している、」という部分の解がここにあるかもしれない。

その対局者の個性や生き方、センス、マインド、スピリットといったものが関係しているからこそ面白い、と思う。
(このことを突き詰めていくと、女流=弱い=価値がない、という理論は崩れます。)

パーソナリティ力の勝負、ぶつかり合い。
人間力でどちらがどう勝っているか?

人間味溢れる指し手。
人間と人間の気持ち、気合、精神力、理性、知性、魂などの戦い。
物語、ドラマ、アート。

棋譜に血が通っているか。
棋譜に魂が感じられるか。

扇子の音、とか、寒がり・暑がり、とか、対局場におけることだけでなく、
盤外の棋士の情報も、今までよりずっと大事になると思う。

「横歩の取れない男に負けるわけがない」みたいな、マスコミを使った盤外の駆け引きなどは、対局者の性格が出ていて面白い。

コンピュータがしないこと、できないことは何か。

人間しかしないこと、できないこと、
人間だからこそすること、できること、とは何か?
人間らしさ、とは何か?

難しいです。

Web2.0革命によって、ビジネスにしろ、将棋にしろ、音楽にしろ、全ての分野で、このことが問われてきます。

将棋ソフトがどんどん高速化・高度化することによって、将棋の質や価値が、進化・変化していかざるを得ないように、すべてのことが変質・変革を求められています。

棋士の方々の、メッセージ力パーソナリティ力
心から期待しています。

僕らファンにとって、もっともっと将棋を楽しいものだと、思わせるように、がんばってください。

もしボナンザの方が強くなったからと言っても、棋士の対局の魅力度はさらに高まっていくことを願っていますし、応援しています。
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3 コメント

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共感&勉強になります (川島孝之(表参道の小さな広告屋から))
2007-04-29 23:38:31
す、すごい文章量と内容の
力作記事だと思います。

なるほどなぁ、と参考になる箇所や
リンクが、いろいろとあります。

すすっと数行で意見など書けませんが、
「いやー、読ませていただきました」
という感謝の感想まで!
返信する
長文、すみません (ssay)
2007-05-03 20:32:12
最初の6つの戦略ですが、随分レベルが高いですよね。しっかり参考にさせて頂きますが、レベル高い!!
あと、これは皮肉とか悪い意味で捉えて欲しくないのですが(あえて言えばウィット?)、この6つの意味、ブログを書くということにも当てはまりますよね。話の上手い下手なんて、そのまま文章の上手い下手につながりますし。これをブログの中で紹介してしまう、nanaponさんの勇気に敬意を表します。いや、コメントを書く側としても、意識してますよ(笑)。
途中音楽の例がありましたが、ぼくはこれには少し首を傾げています。クラシックのことは門外漢ですし、コンピューターの自動演奏が現在どの程度のレベルかも全く知りませんが、音楽における機械と人間とのかかわりは、1985年頃、一時ポピュラーミュージックの世界で話題になりました。例えばフィル・コリンズなんかは、彼のアルバムの中でドラムマシーンを導入していたわけですが、彼自信もドラマーなのですね。で、ぼく自身が彼のアルバムを聴いた中で、ドラムマシーンのジャストなリズムと、フィル自信のドラム演奏とどちらが良いかと言えば、それは圧倒的にフィルのドラムが良い、という事になってしまいます。こと、芸術の世界では、機械はあくまで一つの手段にすぎず、機械自身が何かを表現するというのはありえないのですね。
一方、将棋ですが、これには「手を読む」という要素が存在します。これはすなわち、「計算する」という事に他ならないのですが、コンピューターを日本語に訳すと、「電子計算機」であり、まさにこの計算するということにおいては、コンピューターの独壇場であるわけです。最も典型的な例は「詰み」ということになります。
ところが、渡辺竜王とボナンザが真剣に対局してみて、改めて分かったことは、将棋には単に「手を読む」ということ以外の様々なしかも重要な要素があったというわけです。ボナンザは手を読みきれなかった。時間や能力などの要因で。一方、プロには高度なレベルで「手を読まない」能力があることは将棋ファンのnanaponさんでしたら、ご案内のとおりです。
どうですかね?将来、プロの「感性」とか「感覚」というものをコンピューターに取り入れる事ができるかどうか。
あと、コンピューター将棋を考える場合、ぼくが持っている一つのキーワードは「コンピューターに藤井システムをプログラミングできても、コンピューターが藤井システムを創り出す事はできない。」というものです。(ワードじゃないか(笑)。何て言えばいいんでしょう?)。
ある局面においてコンピューターが初めて指した手、コンピューター新手というようなものは存在し得ると思います。事実、先日ホザンナが指した▲6四歩などは、人間には思いつかないが、指されてみるとなるほど、この局面における最善手かもしれないという手です。しかし、コンピューターに、穴熊に組まれる前に居玉のまま攻めつぶしてしまえなどという、全く新しい、画期的な構想を発表されたら、ちょっと怖いですよね。それこそ、ターミネーターの世界(笑)。
最後に、ぼくなんか棋力がおそらく初段以下ですが、プロの将棋のどこに魅力を感じるかと言われると、むしろ高度な技術よりも、人間ドラマといいましょうか、棋譜に表れる個性とか独特の魅力とか、勝負のアヤとか、そういったものだと思います。そういう意味では、昨年末の竜王戦は大変盛り上がりましたし、逆に現在の名人戦は、いまひとつ盛り上がりに欠いています。あくまで、個人的な意見ですが。
今後の若手棋士の活躍に期待しています。
(長文、読んで頂きありがとうございました。)

PS.「横歩を取れない・・・」は、最高の盤外戦術でしたよね。アノ人は今・・・(ため息)。
返信する
熱いコメント、ありがとうございます。 (nanapon)
2007-05-06 11:58:28
ssayさん、こんばんは。 レス、遅くなりました。

>あと、これは皮肉とか悪い意味で捉えて欲しくないのですが(あえて言えばウィット?)、この6つの意味、ブログを書くということにも当てはまりますよね。話の上手い下手なんて、そのまま文章の上手い下手につながりますし。これをブログの中で紹介してしまう、nanaponさんの勇気に敬意を表します。いや、コメントを書く側としても、意識してますよ(笑)。

おっしゃることはわかりますが、勇気だなんて言われちゃうと、僕、根っから気が弱いたちで・・・。(笑)
僕はあまり意識してないですよ、ほんと。

>途中音楽の例がありましたが、ぼくはこれには少し首を傾げています。クラシックのことは門外漢ですし、コンピューターの自動演奏が現在どの程度のレベルかも全く知りませんが、音楽における機械と人間とのかかわりは、1985年頃、一時ポピュラーミュージックの世界で話題になりました。
>例えばフィル・コリンズなんかは、彼のアルバムの中でドラムマシーンを導入していたわけですが、彼自信もドラマーなのですね。で、ぼく自身が彼のアルバムを聴いた中で、ドラムマシーンのジャストなリズムと、フィル自信のドラム演奏とどちらが良いかと言えば、それは圧倒的にフィルのドラムが良い、という事になってしまいます。こと、芸術の世界では、機械はあくまで一つの手段にすぎず、機械自身が何かを表現するというのはありえないのですね。

はい、僕も基本的にはそう思うんですが、WEB2.0(っていうんですか?)ITベンチャーの社長のブログを読んで、音楽のこと、いろいろ考えてしまいました。
ssayさんのおっしゃるフィル・コリンズのドラムのことは、よくわかるんですが、今のコンピュータの技術ってすごいので、どこまで演奏の情感やタッチを再現できるものなのか、ちょっと知りたくなった次第です。映画、CFなどの映像の世界でも、実写の部分より、編集で、いろいろ加工する部分が多くなっていることは確かです。
いわゆる生のアナログの演奏、というものと、デジタルの編集とか加工とか後処理とかが、より人間の情感に訴えるように多分できていることは、どう解釈すればいいんだろうか。
このこと、改めていろいろ調べて書いてみたいと思いますので、またご意見いただければと思います。

>一方、プロには高度なレベルで「手を読まない」能力があることは将棋ファンのnanaponさんでしたら、ご案内のとおりです。
>どうですかね?将来、プロの「感性」とか「感覚」というものをコンピューターに取り入れる事ができるかどうか。

「手を読まない」能力、どうなんでしょうか?物理的な意味だと、もし全部無駄な手まで読んだとしても、時間にも疲労にも影響しないでしょうから、関係ないですよね。
なので、「手を読まない」能力ということの、大局観とかバランスとか、ってことだと思います。
ここができるのかどうか。

>あと、コンピューター将棋を考える場合、ぼくが持っている一つのキーワードは「コンピューターに藤井システムをプログラミングできても、コンピューターが藤井システムを創り出す事はできない。」というものです。(ワードじゃないか(笑)。何て言えばいいんでしょう?)。

ふーん、そうですね。わかります。
ごきげんにはならないので、ごきげん中飛車も創り出せないでしょうね。(笑)

>ある局面においてコンピューターが初めて指した手、コンピューター新手というようなものは存在し得ると思います。事実、先日ホザンナが指した▲6四歩などは、人間には思いつかないが、指されてみるとなるほど、この局面における最善手かもしれないという手です。しかし、コンピューターに、穴熊に組まれる前に居玉のまま攻めつぶしてしまえなどという、全く新しい、画期的な構想を発表されたら、ちょっと怖いですよね。それこそ、ターミネーターの世界(笑)。

そういう意味で、人間の世界では、そんな発想は誰もしなかった、非常識であったような、新手や新たな考え方、っていうのはあるのかもしれません。それ、楽しみですね。

>最後に、ぼくなんか棋力がおそらく初段以下ですが、プロの将棋のどこに魅力を感じるかと言われると、むしろ高度な技術よりも、人間ドラマといいましょうか、棋譜に表れる個性とか独特の魅力とか、勝負のアヤとか、そういったものだと思います。そういう意味では、昨年末の竜王戦は大変盛り上がりましたし、逆に現在の名人戦は、いまひとつ盛り上がりに欠いています。あくまで、個人的な意見ですが。

同感です。竜王戦、感情移入しちゃって、ドキドキしながら見てました。やはり、高度な技術にはついていけないので、そうなると、ドラマや個性やアヤ、に魅力感じてしまいます。

>今後の若手棋士の活躍に期待しています。
(長文、読んで頂きありがとうございました。)

いえいえ、またいろいろご意見ください。

>PS.「横歩を取れない・・・」は、最高の盤外戦術でしたよね。アノ人は今・・・(ため息)。

ほんと、ああいうことやる人、いなくなりましたね。
糸谷四段、やってくれないかと、期待しちゃいます。
返信する

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