即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

退屈のすすめ

2012年01月21日 02時08分26秒 | 雑感
Long Tail Worldというブログの僕がiPadを返品した理由:Why I Returned My iPad - HBRという記事、面白かったので紹介します。

これはiPadに関する話ではないです。
退屈っていう大切な時間を僕らは放棄するようになってる、って警告、警鐘の話です。
非常に思うところあり。
電車の中でもボーっと外の景色を眺めていたりとか、予定も何もなく何しようかなあと考えてゆったりする休日の過ごし方とか、ずいぶんとしてないもんなあ。
次から次へとすること、しなきゃならないこと山積みで、何かに追われているような毎日。
特にfacebookやこのブログも含め、ネットっていうのがかなり曲者。
しょっちゅうチェックしたいサイトもあるし、将棋のモバイル中継を見てたら退屈なんて論外だ。
そんな日常の中にすっぽりはまってるし、ONもOFFもなく欠かすことのできない生活習慣(病)になっているとも言える。

そして、あと3つ、これに類する記事を最近見つけました。

「本物の孤独と出会おう」鴻上尚史さん筆
一部引用。
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もし「本物の孤独」を経験したいと思ったら、あなたは、携帯電話の電源を切りパソコンやテレビからも離れて、あなただけの時間を持つ必要があります。
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「とりとめのない夢想」と創造性
一部引用。
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刺激の欠けた退屈な状態は、価値がない時間と思われやすい。詩人のヨシフ・ブロツキーは、「退屈な状態」は「精神のサハラ砂漠」だと呼んだ。けれども彼は同時に、退屈とは「精神の窓だ」とも述べた。「もしこの窓が開いたら、閉めようとするな。大きく開けてみろ」と。

秘訣は、退屈それ自体ではない。退屈がどのようにわれわれを思考に向かわせるかだ。人は、刺激のない単調な状態に陥ると、脳が自動的に、特別な行動に入るようになっている。「とりとめのない夢想にふける」状態(Mind-wandering)だ。

効率にとりつかれた現代社会では、この状態は怠け者的な習慣だと思われやすい。フロイトはこの状態(白昼夢)を「幼稚な」思考の一例とみなした。生産的ではなく、問題を先送りする姿勢のあらわれというわけだ。しかし最近の神経科学は、この状態に関するわれわれの見方を劇的に変えている。
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ツイッターのTL読むのを自粛中。理由は?
一部引用。
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TLのこのような「心地よいカオス」に、毎日毎日長い時間接するのが習慣化してくると
まとまったものを読むのが上手く出来なくなってくる。
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ということで、「退屈のすすめ」です。

エキサイティングなもの、クリエイティブなもの、すべては退屈から生まれる。
退屈という状態、環境を作り出すことが、脳を活性化して、普段は生まれないような創造性を引き出すことになる。

前にも書いたけど、座右の銘のように思ってるこの言葉、結構気に入ってます。

《人生は暇つぶし。》

勝間和代的効率的生き方、とか、使命感とかミッションとか、1分1秒を無駄にせず、真剣に、努力に努力を重ねて、夢の実現、自分の目標に向かってまい進する姿勢。
明日死ぬかもしれないと思って今日という貴重な時間を悔いのないように過ごすこと。
今日という日を悔いのないように、一生懸命に生きる。
大切な時間、親からもらった大切な人生。

こういう考え方を否定するつもりは全くないけれど、仮に人生まるごと長いて退屈な暇な時間だと思うと、どうせだったらうまく楽しく暇をつぶした方がいいと思う。

つまり「人生は退屈なもの」、ってところから出発する。

読書も趣味もすべては暇つぶし。
いや、仕事だってそう。

何万年という歴史とか、大自然とか考えてみると、自分ひとりの力なんて高が知れている。
そんなちっぽけな自分の他愛ない一生。

無事になんとか生きていれば、60年とか80年とか、ずっと暇。
そんな大量の暇を、だらだらと無駄に過ごすのか、暇だからちっとは面白いことでもしてみよう、なんて思って何かをするのか。

いろいろしたところでそんなもんは大したことない。大勢に影響ない。
長い人生にとっては、取るに足らないこと。所詮、どうやったところで、暇なんだから。

例えば、
★10kmを●分で走る、って目標で、しっかりがんばって日夜練習する。

☆あまりにも暇なので、景色でも見ながらぶらぶら早足で散歩でもしてみるか、家にいてもつまんないし。

結局は大差ない、同じことになるような気もする。

退屈だからこそ、退屈ゆえに新たな発想が生まれる。
心を自由にさまよわせることで、退屈しのぎの新たな一歩が踏み出せる。
このところすっかり「退屈」という気分から遠ざかってることを深く反省してしまいます。

さあ、退屈な毎日を始めようではありませんか?
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